捨身木に花が咲く 第3部
                     ー8ー

翌日朝議で竜潭は何気ないふうを装っていた。そんな意識をついしてしまうほど、なんだか今朝は蓮月が気にかかる。

昨夜、客間に案内された竜潭は、その決して華美ではない部屋の心地よい長椅子で蓮月が茶器を器用に操るのを黙って見つめていた。見事な手さばきで茶葉をいれ、湯を入れる。蒸らす時間も絶妙で香り高く器に若緑の液体が注ぎ込まれる。

こうして差し出されたその液体は、かつて経験した事がないほどに見事な一服であった。一口口に含んでその蘭の香りのような微かな香りと甘さに驚嘆し、思わず蓮月の顔を見つめる。
「お口に合いましたでしょうか?」
やや心配げに見つめ返す蓮月を、竜潭は感服した顔で頷いてみせた。

そしてその様子を見て、蓮月も安心した顔をした。

実は蓮月は竜潭が訪れると聞き、心の奥底から緊張していたのだ。酒(しゅ)の方がいいだろうか、それとも茶の方がいいだろうか。さほど親しくなった訳でもないから、やはり茶の方がいいだろう。では茶葉は何にしようか。茶器はどれがいいだろう?お茶請けは…?そう思案する事自体がとても楽しい事であり、わくわくするような出来事でもあった。

こんな時、蓮月は自分が女であったと自覚する。日頃は女だと思われたくなくて男物のような官吏服ばかり着込み、肩ひじを張っているのだ。だけど幼い頃からずっと憧れていた人が自分の屋敷に来て、自分と差し向いでお茶を飲むなんて、なんて素敵な事なんだろう?

翠篁宮に帰るとすぐに、蓮月は職場を辞して万全の準備を整えのだ。そしてそれは成功した様だった。

「手間を取らせて悪かったな。疲れているだろうに」
竜潭は帰り際、そう蓮月をねぎらった。
「いえ、とんでもございません」
再び白い敷石のある土間で叩頭して、蓮月は答える。
「調度の取り引きに関しては、貴女に全て任せる事にするが…」
そう言った後に、竜潭は少し間をおいた。それをいぶかしんで蓮月は顔をあげる。そして恥ずかしげに少年の様に微笑む竜潭を見た。
「貴女の煎れてくれた茶は大変うまかった。またここに茶を飲みに来てもいいか?」

瞬間蓮月は嬉しそうに微笑んだ。
「もちろんでございます、主上」
その笑顔を見て竜潭も破顔した。


蓮月も何気ないふうで朝議に参加した。今日の朝議は秋官長が仕切る事になっている。秋官長である大司冦(だいしこう)はこの朝議に参加する誰よりも官吏歴が長いと聞いている。春風(しゅんふう)という字を持っているが、前の王に賜ったのだと本人がこっそり言っていたのを小耳に挟んだ事があった。そのころまだ小司徒だった蓮月は、春風を羨望とも憧憬とも付かない感情で見つめたのを覚えている。

その春風とこんなに早く机を並べて、朝議に参加する日が来ようとはその時は想像もしていなかったが、いざ共に同じ立場に立ってみると今まで考えていた彼の像が崩れていくのを感じた。
「今日の朝議では、いま農村のあちこちで起こっている現状をお話しておこうと思います」
春風は眉間に皺を寄せて周りを見回した。
「寧州阿岸を中心に、農民達は不穏な動きを始めております」
「不穏な動き?」
まず竜潭がそれを聞き返した。
「ただ今調査中でございますれば、もう少しお待ち頂きたい。警の話では昨年が不作であった為に生活の苦しさから、決起しようとしているのではないかという事でございます」

竜潭は首を傾げた。寧州阿岸と言えば、昨日訪れたあの辺りだ。確かに農作物は一面立ち枯れている状態ではあったが、彼らの様子から決起するような事があるのだろうか?と思わずにはいられない。そう言う事もあるかもしれない。でも、彼らが蓮月を裏切って暴動を起こす事がある様には見えなかった。

蓮月も眉根を寄せた。現状を話すと言っておきながら全ては憶測だ。何の裏づけもなく、ただ遠巻きに見て勘ぐっているだけなのではないか?

蓮月が口を挟もうとした時、それを見越した様に竜潭が口を開いた。
「その裏づけは?」
「農民達がこのところしばしば集まっていると、警に進言をしたものがいると言う事です」
「その者は?」
「はい、農民の1人であると名乗ったそうです」
「で、その後どうした?」
「とりあえず彼の話を聞き、村に帰した所翌日になってその男の遺体が見つかったのだと報告がありました」

「寧州の州侯に話を聞こう。それから対策を考える。場合によっては州師か王師を出す事になるかもしれないが…。栄鶴」
「は」
「すぐに兵が掻き集められる様に手配は怠りなく」
「心得てございます」
栄鶴は恭しく頭を下げた。

辺りはざわざわとどよめきのような声が上がった。
「心配はいらぬ」
竜潭は強い語調でそう言い切ると、軽く笑ってみせた。
「寧州の事なら俺も少しは知っている。一部の地域では作物が塩害で相当の被害を出している事も認める。今わかっているのはそれだけだ。いずれにしても人手は必要になるだろう。準備しておくに越した事はない」

竜潭はすぐさま立ち上がった。
「今日の朝議はここまでだ。俺は今から出かける。詳しい状況がわかり次第、この件は再び朝議にかけるとしよう」
冢宰は辺りを見回し厳かに告げた。
「これにて本日の朝議は終了いたします」

蓮月は王宮の書庫に足を運んでいた。頭を冷やしたかったのもある。寧州阿岸の人々には自分の思い入れがあるのは確かだ。昨日のあの様子から、決起する予定がないとは断言できないとも思う。しかし彼らがそんな事をするだろうか?自分に反旗を翻し、自分が仕える主上に鉾先を向けるなどと?

個人的な感情は出したくなかった。真実はただ一つなのだ。自分が彼らの為にできる事は、信じる事と一日も早く塩害を食い止める事。昨日竜潭と話し合った通り、まず慶の国にあの宝物を売りたい旨を青鳥に託した。数日で返事が返ってくるだろう。あの国も王が立ってさほど巧と変わらないから、たいして裕福だとは思えないが、王の在位していない期間が短かったから復興は比べ物にならないくらい早かっただろう。

あの国の王は主上竜潭の知り合いでもある。そのよしみから多少色好い返事が返ってくるかもしれない。本来ならば直接行って、自ら交渉したいと思ったが国をあける事は避けた方が良いような気がしていた。

蓮月は何気なくこの国の歴史の本を手に取り、見るとは無しに目を走らせる。まるで自分の渦巻く色々な気持ちを一度忘れようとしているかの様に。

「あら…」
蓮月はその本の真中ほどのページに、何やら薄紙が挟まれているのをみつけた。そこにはその本に書かれている詩が書き写されている。

白栲(しろたえ)香る季節の風、汝決して気を許すまじ…神木はこの世の神に仕える事のみならず、神たらんと欲している

変な詩…、と蓮月は思った。白栲とは神に捧げる神木で、西王母様にお祈りを捧げる時に使ったりする事もある木の名前だ。別名は何と言ったか。確か春から初夏にかけて地味な緑色の花が咲く。その木が神になりたがっている…?

蓮月はその本が置かれていた辺りの数冊を更に手にとった。見れば同じような詩が一遍ずつしおり代わりに挟み込まれている。どれもこれも妙な詩だ。丁寧に手書きされているそれは、まるで悪戯が発覚する事をわくわくした気持ちで迎える子供のようだ、と蓮月は思った。