捨身木に花が咲く 第3部
                     ー7ー

蓮月は竜潭を伴って、宮の一室に案内した。そこには見事な宝飾品がところ狭しとならんでいる。
「これがこの桃李殿に備え付けられていた調度品の全てでございます。私の記憶によれば、ここにあるものは全て先先代の塙王の物だと思います。後ほどいつどこから入手したものであるかをきちんと明らかにして、主上にお届けに上がる予定です」
竜潭はゆっくりと頷いた。

竜潭はこの部屋に案内される道すがら、桃李殿に品のいい調度が趣味よく並べられているのを見て取っていた。あれは蓮月の趣味で揃えられた物なのだろう。それに比べれば目の前のものは余りにも華美で豪奢で、確かに蓮月の持ち物とはそぐわない気がする。

以前桃李殿には何度か来た事があったが、その時とは全然雰囲気が変わってしまっていた。

先先代の塙王といえば、この桃李殿に何人もの美姫を囲い贅の限りを尽くしたと聞いている。その治世は始めこそ順風満帆に思われたが、ここに女を囲ってからあっという間に国が傾いた。麒麟が病み、余命幾許もなくなったときにはその美姫さえも彼を見放し、ここに贅沢な調度だけが残された。

確か蕪帖(ぶじょう)という名前だったか。彼は官吏出身ではなく地方のごく普通の農民だった。言わば成り上がってしまったのだ。最初こそ国政に心を砕き、堅実に国を整備しようとしたけれど、それは長くは続かなかった。寵姫涼嬬(りょうじゅ)に出会ってしまったからだ。彼はこの桃李殿にこの姫を囲い、彼女の機嫌を取る為にたくさんの服や調度を取り寄せた。

そして噂がたった。主上は女にだらしがない、女を東宮に囲っている。そしてそんな女がひとり増え、二人増え、遂には数える事もままなら無いほどの女がこの桃李殿に囲われる事になったという。だが、この話は相当大袈裟に伝わっていると竜潭は思う。この桃李殿は何人もの人間が住まえるほど広くない。

しかし、竜潭は身が引き締まる思いがした。いつ自分が王道を踏み外すともしれない。ちらり、と蓮月を見遣る。先ほどまで浮かれていた気持ちが急激に萎んでいく。その表情に気がついた蓮月は竜潭の方をきちんと向き直り、にっこりと笑った。
「いかがなされました?」
「人の世ははかないものだな。たとえ永遠の命を与えられると言う王にあってもそれは同じ…」
蓮月は竜潭が何を思っているのか、すぐに理解してもう一度笑んだ。
「主上は御心配に及びません。据瞬様も私もおそばについておりますから」
竜潭は無言でふいっとその視線を外して、そこに並べられている調度に目を移した。

そこには色とりどりの玉で作られた造花がある。虹色に輝く貝殻を埋め込んで牡丹やら蝶やらの模様を見事に描いているつい立てがある。太さの揃った藤で編まれた三日月をかたどったような変わった形の籠に、玉で作られた果物が収まった置き物がある。半裸の天女をかたどった瑪瑙の彫刻は艶かしい微笑みを口元に称え、その瞳の先にあるのは翡翠でできた龍の置き物だ。龍は大きく口を開き、その短い前足には鋭い爪に水晶の大きな玉が握られている。箪笥は引き出しが透かし彫りになっていて、物をしまうと言うよりは物を見せる為にあるような代物だ。

前に見た時は見事な調度だと思った。ここ桃李殿はこんな華やかなものがある、素晴らしい住まいだと思っていた。だから蓮月をここに住まわせようと思ったのだ。

だが、こうしてみるとどれも綺麗に掃除はされているがおよそ息吹は感じられない。生活に役に立ちそうなものではないと言うのもあるだろうが、もはやこれらにはここでは必要性が全くないのだ。蓮月はいつからこれらをこの部屋に押し込めたのだろう?恐らくここに住む様に言われて一番最初にここに運び込んだのだろう。古びている訳ではないが、打ち捨てられ色褪せているかのような、一抹の侘びしさがにじみ出る。

かつて華やかな桃李殿の象徴でもあったこれらの調度は、もはやこの桃李殿だけではなく巧国からも追放されようとしているのだ。

「これを本当に売り払っていいのだな?」
「もちろんでございます。明日から早速交渉に当たります」
「うん…」

他国との取り引きは大司徒である蓮月の役目だ。今までも小司徒として大司徒を補佐して他国と交渉事を任されていたのだろう。少しも気負ったところがない、と言うよりはどう交渉するかの算段でもしているかの様に瞳が輝いている。
「これらをどこに売り払うつもりだ?」
「そうですね。この少女の彫像は慶王がお好きそうです。まず慶に交渉いたしましょう」
くすり、と竜潭は笑った。
「確かに雪笠はこう言う子が好みだったな」
蓮月はどう言う返答をしていいかわからず曖昧に微笑みを浮かべた。

「慶王雪笠とは机を並べた仲なんだ」
蓮月の困った顔を見て、竜潭は慌ててそう取り繕った。なぜ自分がこんなに慌てて取り繕っているのかも良くわからないまま。ただ、頭の奥の方でそうしろと命じた何かがいる。
「そうでございましたか」
曖昧な笑みをそのまま浮かべ、蓮月はそう答えた。何となく気まずい空気に変わった。

竜潭は焦る。焦る必要などないのだが、どうしていいかわからない焦燥感に駆られ、じっとしていられなくなった。

竜潭はじっとしているのが苦痛になり、その少女の彫像の後側に回りその足下に目を落とした。足の下には小さな台座が据えられているのだが、丁度足と台座の境目の辺りに何やら小さく折り畳まれた紙のようなものがひっそりと忍ばせてあるのを見つけた。

「あ…」

小さな声を発して竜潭は屈みこんでそれを指先でつまんだ。するり、と難無くそれは台座の境目から姿を現した。
「まあ、それは…?」
蓮月は眉をひそめて竜潭の手許を覗き込む。台座から顔を出していたと思われる紙の部分は、薄茶色に変色していたが、きめ細かく漉かれている上質の紙のようだった。かなりもろくなっているそれを、竜潭はできるだけそうっと開いてみる。紙は幾重にも折り畳まれていた。

「私は悲しい…。香梶(こうび)は私を裏切り、私を葬ろうとしている。気をつけよ。私亡き後もきっとこやつは…」

竜潭は顔をしかめた。変色した紙の部分は文字の一部が消えてしまっている。どんなに目を凝らしても、次の数文字が読み取れない。

「こやつは、『なにやら』を狙うだろう。手に入れるまで決して諦めぬに違いない」

文字はここで終わっているが、紙はもう少し大きく、竜潭は更に気をつけて折り畳まれた紙をゆっくりと開いて行く。だが、そこにはもう文字は見当たらなかった。代わりにどす黒いシミが一面に広がっている。シミのいくつかは何か濃い色の液体がぽたぽたと滴った跡のようだ。そしていくつかはそれを擦って尾を引いた形になっている。

見た瞬間にわかった。この液体は紛れもなく血液だ。

「この紙は昔から公式の文書を作成する時に使うものだ。今も同じものを使っている。だが、ここに透かしが入っているだろう。これを使うのは王だけだ」
竜潭の指さす所を、蓮月は伸び上がる様にして覗き込んで目を凝らす。確かにそこには鳳凰をかたどったような透かしの模様が入っていた。
「ではこれは?」
「これは前王燦大の字ではないと思う。俺は彼には会った事はないが、彼の残した書はいくつか見た。これは彼の字ではない」
「では…?」
「ここに寵姫を囲ったという前々王蕪帖だろう。ここで何かがあったな」
竜潭はその紙を大事そうに懐に入れた。


「あの、よろしければ向こうの部屋にお茶の用意をしておりますが、ご一服なさってはいかがでございましょう?」
眉間に皺を寄せて何やら考え込んでしまった竜潭に、蓮月が声をかけた。
「あ、ああ。そうだな」
竜潭は我に返り、蓮月を見た。蓮月は心配そうに竜潭を見つめている。その眼差しは艶を含んでいるようであり、それは気のせいのようでもあった。いつもそうだ、と竜潭は思う。何か大切な事を考えなくてはならない時に、この笑顔に惑わされそうになりふと立ち止まる。最初に出会った時に危険だと思ったのはそこなのかもしれない。

傾国の美女…

そんな言葉が竜潭の頭を過った時だった。
「蕪帖様の事を少し調べてみます。いったい何が起きたのか」
再び竜潭は蓮月の顔を見た。その時の蓮月はもはや傾国の美女の笑顔ではなかった。きりりとした官吏の顔。それを見て竜潭はまた惑う。そして首を左右に振った。今日の自分はどうかしている。

竜潭は再び蓮月の後を付いて部屋を出た。