捨身木に花が咲く 第3部
                     ー19ー

竜潭は1人真剣な顔で目の前の二人を見据えていた。王の執務室。目の前には冢宰の佇叔と塙麒が心配そうに竜潭を見つめ返している。
「どうしてもおいでになるおつもりですか」
何とか説得できないかと、縋るような眼差しで佇叔が言う。
「ああ、もう決めた」
さらりと言う竜潭に塙麒が食い下がる。
「でも、竜潭様。どうして竜潭様がわざわざおいでにならないといけないんです?そんなのは将軍の仕事でしょう」
「だが、俺はその将軍を余りよく知らないんだ。もう登極して30年以上もたつと言うのに」

二人は言葉に詰まった。それに畳み掛ける様に竜潭が言葉を続ける。
「これは前から考えていた。俺はこの国の官を余り知らない。登極したての頃は、慶国でかなりの時間を過ごした俺にとってはこの巧国のほうがよほど異国に見えた。知らないから今まで仮朝を切り盛りしてくれていたものを、そのままその地位につけたのだが、そろそろ俺が官を決めても良いのではないかと思っている。すでに慶で過ごした月日よりも登極してからの月日の方が長くなったしな」
「しかし…」
「俺が決めてはまずい事でもあるのか?」
竜潭は口を挟もうとした佇叔を睨み付けた。もごもごと佇叔は口の中で何やら呟き、黙りこんでしまった。

竜潭は昨日決まった寧州への派兵の指揮を直接取ると言い張っているのだ。

「竜潭様のお気持ちはわからないでもないけれど…」
不安そうに塙麒が小さな声で意見を言う。
「あまり急なことだといろいろ混乱もするんじゃないかな。なんと言っても竜潭様がそんなに長い事この翠篁宮を空けられた事ってないでしょう?」
「確かに。だが、俺はこの数代の王について考えてみた。皆精々2、30年の短命な王ばかりだ。燦大様しかり、蕪帖様しかり。その前もやはり同じだと聞く。なぜだ?王は皆天命受け、永久とも言える命をもらったはずなのに…」
「主上…」
「俺は調べてみた。複数の人間が動いている。全ての出来事に関わっている人間がいる。何かに気がつかないといけない時期に来ているのではないかと思う。そして歴代の王達はその『何か』に気がついて消されたのではないかと思う」

「だったらなおさら…!」
なおも止めようとする塙麒を静かに佇叔が制した。塙麒の肩にそうっと置かれた佇叔の手は、まるで心配する塙麒を慰めるかの様にも思われる。
「主上。そのお言葉でここ数日の主上の行動がわかりました」
佇叔は竜潭を頼もしげに見つめた。

「正直に答えてくれ。今官の中に本当に俺の味方は何人いる?」
呻く様に竜潭が佇叔に問いかけた。
「竜潭様!」
塙麒が驚いて思わず叫ぶ。
「…」
しばらくの沈黙の後、佇叔は重い口を開いた。
「確実にお味方と言えるのは、据瞬、蓮月、そして末席に私をお加え下さい」
「僕もだ!」
塙麒が怒った様に付け加えた。
「ああ、もちろんでございます、台輔」
「それだけか…?」
「確実なのは、と申し上げました」
「後は前の王の時代からの官なのだな」
「はい。先先代の蕪帖様の時代からの…」
「数名俺が選んで着けた官もあったと思うが」
「しかし皆蕪帖様の時代からここに仕えているもの達でございます」

そして再び心配そうな眼差しで、佇叔は竜潭を見つめた。
「佇叔は何かを知っているのだろう」
竜潭はぽつり、と呟いた。
「なにが…でございます?」
明らかにうろたえた顔で佇叔が怯む。
「俺が知ろうとしている何かを。一部なのか全てなのかはわからないが」
「おっしゃる意味がわかりません」
「まあ、よい。俺の杞憂で終わってくれればよいが」

「主上!!いらっしゃいますか、主上!」
そのとき外の方から騒がしい叫び声が近づいてきた。それを聞くと同時に竜潭は大きく笑む。
「来たな」
「主上、ぜひお聞かせ願いたい!一体これは…!」
「理由を、主上!!」
どの声色も震えているのがわかる。誰かはわからないが複数の人間が戸を破らんばかりの勢いで詰め寄っているのだ。だが竜潭は部屋に錠を下ろしその訴えを無視した。

「竜潭様、一体何の騒ぎでしょう?」
塙麒が心配そうに外を見遣った。
「なに、たいした事ではない。春風と栄鶴を更迭したのだ」
薄く笑いを浮べ、竜潭は塙麒と佇叔を交互に見比べた。塙麒は青い顔色で、佇叔は真っ赤な顔色でその驚きを隠せずにいた。
「主上…!何故唐突に…?」
佇叔は信じられない面持ちでその場に立ちすくんでいた。
「その理由は冢宰にはわからぬか?」
澄んだ瞳はもはや揺るがない力に満ち溢れている様だ、と佇叔は思った。この表情の主上にはもはや迷いはないのが見て取れる。周りで何を言っても考えを変える事はないだろう。
「主上…」
「もし、俺のやっている事が天意に背いている事ならば、必ず塙麒や俺に失道の徴候が現れるだろう。その段階で軌道を修正すれば良い。修正できなければ俺の命運がつきただけの事だ。俺が退位すれば塙麒は助かる」
「竜潭様!!」
「だから安心するがいい。台輔が心配していた様な女仙を泣かせるようなことはせん」
きり、と塙麒は竜潭を睨んだ。
「確かに女仙は泣かないかも知れないけれど」
そして竜潭の目としっかり視線を合わせる。
「蓮が…、きっと蓮月が泣くよ、竜潭様」

『蓮月』と言う言葉を聞いて、初めて竜潭の表情が少しばかり曇った。しかし、何かを振り切る様に首をふると、再び毅然とした表情に戻った。
「その為にも俺はこれを乗り切らないといけないのだ。更迭と言っても何も牢に閉じ込めたりしている訳ではない。ただ、彼らに今回の出兵に関わらないでもらおうと思っただけだ」
佇叔は複雑な表情を浮かべていた。そしてそれに竜潭が気がつく。だが、竜潭は何も言わなかった。ただ、ぽつりと佇叔が呟いた。
「よろしゅうございます。私は肚を括りました」
そう言い終わった後の佇叔の顔も、竜潭同様、澄み切った瞳をしていた。


その頃蓮月は据瞬の元から桃李殿に戻ってきていた。しかし据瞬の告白の重大さにどうしていいものか見当もつかずに、お気に入りの椅子に腰をかけぼんやりと外を眺めていた。いつも気遣ってくれる叙笙はまだ蓬山から帰ってきていない。

ふう、と小さく溜め息を漏らして蓮月は据瞬の話を順に頭でなぞっていた。若かりし頃、父と友人であった事、彼の本当の名前が香梶であるということ。香梶と言う人物が複数存在していそうな事。よくはわからないが、ここ数代の目まぐるしい王の失道に何か関係がありそうだと言う事…。漠然と記憶を辿って行くと、いつの間にか竜潭の顔が思い出され、なにか耐えられないほどの不安感に襲われる。

会いに行ってみようか…。

蓮月はふと思い立った。待っていれば夜も更けた頃までにはきっとやってくるだろう事はわかっているが、思い立ったら今すぐにでも会いたくなった。そこで、ゆったりとした動作で立ち上がった蓮月は、いつものような官吏服ではなく盛装して出かけようと思った。仕事に行くのではない。ほんの少し竜潭の顔を見て帰って来るのだ。そしてすぐに桃李殿に戻り、今度は竜潭が来るのを待てばいいのだ。きっとそれだけで安心できる…。

ほんの軽い気持ちだった。まさかこれからしばらく自分がこの桃李殿に戻れなくなるとは、露程も考えてはいなかった。