捨身木に花が咲く 第3部
                     ー18ー

据瞬の話は続く。
「俺が大学に通い始めて割とすぐの事だった。その時の王が斃れしばらくして昇山する機会があった。俺は身の程も知らず昇山し、目の前で王が選ばれるのを見た。蕪帖様の前の王だ。今では名前すら覚えていない。俺は若かった。だからその現実を受け止める事が出来なかった」
「据瞬様…?」
「俺の事を愉燵からは何も聞いていないのか?」
「はい」
困惑した顔で蓮月は据瞬を見る。この穏やかに落ち着いた風貌は、過去に何かを抱えている者には見えない。
「蓮が俺と仕事をしている事を愉燵は知っているのであろう?」
「おそらくそうだと思います」
「ならば愉燵は俺を許してくれたのだろうか…」

据瞬は蓮月のとなりの椅子に腰をかけると、両手を膝の上で組み合わせて少し前屈みになった。蓮月は所在なさげに身体を丸めた据瞬がふと愛おしくなる。
「俺は王座以外の巧のものを全て手に入れてやろうと思った。全て手に入れば王を越えられると思ったんだな。まずは故郷の五曽の村だった」
「それは…」
蓮月が絶句する。
「そうだ。俺は1人で五曽の村を襲った。あの平和な小さな村をだ。殺しはしなかったが刃向かう男は二度と刃向かえない様にした。若い女は全て俺のものだった」
据瞬は唇を噛み締めた。そして恐る恐る蓮月を見遣る。
「俺を軽蔑するだろう?そう、俺はそう言う男だ」
「据瞬様…」
蓮月は困惑したままの顔で据瞬を見た。そういえば時おり不思議に思う事があった。蓮月が生まれてから村の用心棒の様にいつも据瞬が守ってくれていた。生まれ故郷とはいえ、何故そんなに熱心に彼が命をかけるのかと首を捻った事がある。罪滅ぼしのつもりだったのだろうか?父に問いてみても、ただ微笑むばかりで何の返事も返って来なかった。この前彩施の話を聞き、かつて愛した女性がいたからだと納得はしたのだが…。

「そんな俺に意を決して意見する男が現れた。察しがつくだろう。幼馴染みの愉燵だった。彼は俺と一緒に大学に入ったが卒業かなわず中退し、地方の官吏をしていた。既に仙であった彼は、たとえ腕力で叶わずとも俺より分があった。俺は意見しに来た彼に従順に従う振りをし、虚をついて騙し討とうとした。しこたま酔わせて帰り道に斬り掛かったのだ」
「…」
蓮月は耳を塞ぎたくなった。だが、この苦しげに言葉を吐き出す据瞬を見て、そうしてはいけないのだ、と察する。

「だが、俺はこの旧友を殺す事は出来なかった。彼は仙、瀕死の重傷を負っても間もなく治癒したんだ。そう、その出来事以来、俺は愉燵と言葉を交わしていない気がする。愉燵はそのまま官を退いて、家業の呉服問屋を継いだようだった」
蓮月はもう一つ納得した。自分が大学を卒業してすぐの事だ。当時すでに州侯だった据瞬が駆け出しの自分の事を大変気にかけ、優しい言葉を何度もかけてくれたのは父に対する後ろめたさだったのではないだろうか?破格の気配りの理由をあれこれ考えてみたけれど、これなら納得が行く。

「ついに俺は力で従わせた人々を煽動し、反乱を起こすに到った」
「目的は?何の為に?」
「わからぬ」
恥ずかしそうに据瞬は俯く。
「反乱が成功したとて天命のない俺は王として立つ事はなかっただろう。偽王は国を破滅させる事くらい知っていた。だが、魂のほとばしりに任せて、俺は武器を取らずにはいられなかった。他に何も思い付かなかった。だがこの淳州をほぼ手中に納めた辺りで、立ったばかりの王の王師が俺を討ちに来た。こちらは黄備   、向こうは黒備   、俺に勝ち目はなかった。もはやこれまで、と思った時、王師の右軍将軍が俺に声をかけてきた」


「香梶。一体何をしているんだ?」
据瞬はぶ然と立っていた。辺りには既に味方の姿はなく、途方もないほどの王師の大軍に取り囲まれていた。
「香梶、俺がわからぬか?」
逆光の中近づいてきた男はその背格好からすぐに師匠と仰ぐ藩起である事がわかった。

わかったものの、据瞬にはもはや発する言葉すら見当たらなかった。
「本当に困ったものだな、お前には…」
据瞬を見る眼差しは以前と少しも変わっていない。慈しむような眼差し…。据瞬は泣きたくなった。もし周りに誰もおらず藩起と自分の二人きりだったら、その場で号泣したかも知れない。

「お師匠様…」
据瞬の口をついたのは、たったそれだけの言葉だった。
「もう気が済んだか?香梶。ならば俺とともに来い」
据瞬はうなだれた。もはやこれまで、とここで腹を切る覚悟もできた。ついて行けば極刑は免れまい。そもそも何でこんな事になったのだろう?実はこの時の据瞬にもそれがわからなかった。些細な事だったような気もする。目の前で新しい王が決まって、ふいに絶望の感情が襲ってきた。しかし…。

据瞬は手にしていた太刀を足下に投げ捨てると、うなだれたまま藩起に向けて手を差し出した。降伏の合図だった。


「香梶とは…?」
蓮月がこぼれそうなほど目を見開いた。
「俺の本当の名前だ」
何ごともないような表情で据瞬が認める。
「でも!」
「まあ聞け。香梶は3人いるんだ」
「3人!」
蓮月はあぜんとして据瞬を見つめる他ない。
「俺は藩起様の後をついて翠篁宮に向かった。そこで待っていたのは春官の仕事だった。藩起様には、新しい王が立って警備に着くものが足りなくなったのだそうで、とりあえずは春官としてやって行く様にと申しつかったのだ。ただし民を煽り動かした香梶はその忌わしい名前を失わなくてはならない、と。気がつかなかった。この出来事には巧妙な仕掛けがあったのだ。見抜けなかったのは俺の完全な失敗だった」
据瞬の顔が少しばかり歪んだ。その表情は先日夜を徹して飲んだときの表情に良く似ている。やるせなさ悔しさの入り交じったような、複雑な表情だった。

「駆け出しの俺には気付きようがなかった。一足遅れて就任した春官長が俺の名前を語り、立ったばかりの当時の主上に近づこうとしていたのを…。それが誰だかは今となってはわからん。もしかしたらまだ官に名前を連ねているかも知れないし、もう仙籍を失っているかも知れない」
据瞬の無念そうな横顔を蓮月はそっと見遣る。据瞬は恥ずかしさの余りか蓮月の方が見られない。いや、蓮月のいたわるような眼差しが返って苦痛になりそうで、恐くて見られなかったと言ってもよいのかも知れない。
据瞬は気がついていた。こんな恥ずかしく軽蔑するに足る告白を聞かされてもなお、蓮月の眼差しには自分に向けていたわりと言うよりも敬愛に近い色が混ざっているのを。

正直蓮月は戸惑っていた。据瞬の告白が余りに日頃の据瞬からは想像がつかないからだ。強く聡明で太い据瞬のイメージから余りにかけ離れた姿。そして思う。歳月は人を変えるのだ。きっとこの後も驚くような告白を聞く事になるのだろう。据瞬に対する尊敬の気持ちは変わらない。たとえ過去に何があったとしても、自分に官としての道を示し、困った時にまっ先に手を差し伸べてくれたと言う事実は変わらない。拉致された時も身を呈して守ってくれたではないか。そんな男をどうして軽蔑する事があろう?

「この後は空想でしかない。だから話さなかったし真実であって欲しくないとさえ思う」
そう言って据瞬は少し口を噤んだ。眉間に皺が寄る。
「この時の王は乱心した官に誅された。俺が春官になってほんのわずかしか経っていない時にだ。そして何故か疑いは俺にかかった。仕方ない、乱を起こそうとした俺だったから、そう思われても当然と言えば当然だ。俺は藩起様の導きで慶に逃げた。そこで今の慶王の御両親に世話になったのだが、それはいずれ別の機会に話す事にしよう」
「ああ、それで、竜潭様を…」
「俺も厄介になったところだ。あそこなら信頼できると思ったからな」
据瞬はふっと表情を緩め、蓮月に微笑んだ。が、またすぐに険しい顔に戻る。

「今思うと、藩起様は俺を犯人に仕立てようとしたのではないかとさえ思う。誰かをかばう目的か、何かを隠す目的か…。そして新しく蕪帖様が王としてお立ちになった。再び俺は藩起様に呼び戻され今度は夏官としてやって行く事になった。こちらの方が性に合ったのだろう、俺はめきめきと力をつけてついに左軍の将軍になるまでになった」

ふう、と一息入れた据瞬は、悲しそうに俯いた。
「そして気がついた。再び香梶と言う名前が聞かれる様になった。今度は春官長ではない。どうやら女のようだった」
「据瞬様…」
据瞬は黙りこくった。そして唇を噛み締める。唇は強く噛み締めた為にそこの部分だけ色を失い、そして震えた。
「一度だけ聞いてしまった事があった。この頃藩起様のお嬢さんであった彩施様は普通に姿を見せる様になっていたが、藩起様の親しくしていた栄鶴殿が一度だけ彼女を『香梶様』と呼ぶのを…」

「もう、もうわかりました、据瞬様!」
肩を震わせる据瞬に蓮月は思わず駆け寄った。そしてその肩に思わず縋り付いた。