捨身木に花が咲く 第3部
                     ー17ー

蓮月は竜潭にいつもの様に心安らぐ一服をいれ、それを差し出した。竜潭は破顔し、それを受け取る。ほんの数回しかここに通ってはいないが、既にこの儀式は生活の一部になりつつある。蓮月は竜潭に茶を渡した後に自分の分もそれをいれて、戻ってきた。

竜潭は当然の様に身体を開き、自分のすぐ脇に蓮月の為の空間を作る。蓮月もその新たな居場所に嬉しそうにおさまった。

「今日は蓮のお陰で話が先に進んだ」
優しげな笑みを浮かべて竜潭が口を開いた。蓮月と打ち合わせた通りの兵を現実に差し向ける事が可能になった事を、まず知らせたかったのだ。
「春風と栄鶴を納得させる事ができたのは大きいぞ。それも蓮が資金をうまく調達してくれたお陰だ」
「それはよろしゅうございました」
蓮月は嬉しそうな竜潭の顔を見ると、自分まで嬉しくなってしまう。だがその二人の名前を聞いたとたん、今日の色々な出来事が脳裏を過った。

「どうした?そんな浮かない顔をして…」
竜潭は怪訝そうに蓮月の瞳を覗き込んだ。わずかな表情の曇りまでわかってしまうほど、この数日竜潭は蓮月に近くなっていたのだ。
「あ、いえ…」
そう口籠る蓮月をさらに心配そうに竜潭が見つめる。蓮月はふと自分の瞳を覗き込まれていることに、耐えられないほどの痛みを感じ、思わず瞳を閉じた。
「言うて見ろ。そんな顔は蓮には似合わん」
竜潭は優しく蓮月の頬を大きな掌で包み込んだ。蓮月の頬にほんわりと暖かさが伝わる。

「私は、血に飢えた麒麟なのだと…」
苦しげに蓮月の唇から言葉が漏れた。再び開いた蓮月の瞳は、怒りと言うより恐怖が満ちている様に思える。
「血に飢えた麒麟!?」
竜潭は繰り返し、あはは、と声を上げて笑った。
「誰がそんな事を?」
「わかりません。でも捨身木に咲く花は麒麟が捨てて来たものを受け継ぐのだと…。だから私の瞳は血の色をしているのだと…」
「まさか!ありえない」
もう一度否定してから、竜潭は再び蓮月の顔を覗き込んだ。
「誰がそんな事を言い出したのかはわからんが、蓮からはそんな事は想像もつかん。気にする事はない」
「竜様…」

蓮月はすでに迎える体勢の整っている竜潭の肩の辺りに、そうっと顔を寄せた。それを当然の様に受け止めながら、両腕を蓮月の背中に回す。 蓮月はあんなに気に病んでいたのが急に馬鹿らしくなった。こんなにあっさりと否定してもらえると清清しくさえある。

蓮月はその暖かさに身を委ねながら、本当に竜潭を愛おしく大切に思う自分を確認していた。この人の為なら、何でもできると思った。

「今日、何があった?」
「寧州の架基様にもう一度塩害の対策についての協力を要請しに参りました」
「架基か…」
竜潭の顔が少し曇る。仮朝の時からの臣をそのまま起用しているに過ぎない、信頼のおけない男。竜潭は架基に対してずっとそのような印象を持っていた。特に何かが気に入らない訳でもないが、華やかな生活ぶりが噂に聞こえて来る度に、なんだか不安な気持ちにさせられる、そんな男だった。
「本来ならば州侯殿が我々に援助を申し込まれるのが筋と言うもの。しかしけんもほろろに断られてしまいました。港の警備に手一杯だと…。しかしその割には兵を民間から募る訳でもなし、街は大変のんびりした佇まいでございました」
「おかしいな」
「はい。州侯のお住まいも大変豪華で私は据瞬様のおいでになる淳州に馴染んでおりましたから、大変違和感を覚えます」
「確かに寧州は港の拠点。そちらに力を入れるのは当然と言えば当然だが…」

しばらく考え込んだ竜潭であったが、不安そうに見つめる蓮月の視線に気がついて微笑んでみせた。
「なあに、いずれわかる。ここで考えたとて何もわからんだろう。それに今宵はそんな話をしに来たのではない」
竜潭は改めて蓮月を抱き寄せた。その少しばかりの強引さに蓮月は思わず身体をこわばらせる。それを感じて竜潭は少し腕を緩めた。
「あ、あの…」
困った様に蓮月は竜潭の顔を見上げた。
「申し訳ありません、主上…。あの…」
竜潭は一度腕を離し、蓮月に微笑んだ。
「無理に急がぬ」
再び竜潭は腕を蓮月の肩に回した。蓮月も瞳を閉じてそっと竜潭にもたれ掛かった。竜潭はそのまま動かなかった。


翌日、蓮月は単身淳州の据瞬の元に向かった。今日も朝議は欠席した。冢宰は何か言いたげな様子ではあったが、何も言わなかった。その瞳の奥に蓮月に対する信頼が見えるようで、いつも蓮月は頭が下がる思いがする。
「蓮。待たせたな。どうした?」
困惑顔で据瞬が部屋に入って来る。特別に謁見を申し込んだのではなく、ずっと蓮月が仕事に使っていた部屋で据瞬が来るのを待っていた。しかし今日は使い慣れた調度がよそよそしく見えるのは何故だろう?
「据瞬様」
蓮月はやはり据瞬の顔にもよそよそしい何かを感じて、思わず身構える。
「今日は主上は一緒ではないのか」
「はい」

短い沈黙が流れ、その居心地の悪さに一度腰掛けた据瞬が立ち上がる。そのまま大きな窓辺に寄り、綺麗に晴れ上がった外を眺める。据瞬の顔に日が当たって眩しげに目を細めた。
「据瞬様。回りくどいお話はいたしません。だから据瞬様もどうか…」
皆まで言うな、と言うような眼差しで据瞬は振り向いて蓮月を見つめた。その目の青さは今までと変わらない。蓮月を少しうっとりとした視線で見つめる眼差しも変わらない。
「香梶という方にお会いいたしました」
「!」
据瞬が目を見開いた。

再び短い沈黙が流れる。
「まさか…」
今回もその沈黙に耐えられずに口を開いたのは据瞬だった。
「女性の方でした。貴方様がよく御存知の、そして彼女の子息は私も存じ上げておりました。いえ、本当に御子息かどうかははなはだ怪しゅうございますが…」
「蓮!」
それ以上の言葉を遮る様に鋭く据瞬が蓮月の名前を呼んだ。

「いったいどう言う事でございましょう?何故貴方様は私や主上に虚言をなさったのか」
「虚言ではない…。虚言とは言い切れぬ」
据瞬はぶつぶつと力のない口調でそれだけ言うと、くるりと窓の外に顔を向けた。

「信じたかったのだ…」
しばらくの沈黙の後、据瞬は口を開いた。そして、今まで見た事がないほどに悲しそうな顔で据瞬は振り向いた。その表情に思わず蓮月は腰が引けそうになる。しかし、唇を噛み締め据瞬を睨み付けた。

据瞬はゆっくりと蓮月の側に寄ってきた。その悲しそうな顔に、据瞬に憧れる女ならそれ以上の言葉を求めはしないかもしれない。だが、蓮月は毅然と言い放った。
「御存知の事を全てお話しいただけませんか。何やら面倒な事が知らないところで進められている様に思います。それは余り好ましくはございません」
「…そうだ…な」

しばらく迷った後に据瞬は語り始めた。
「これからの話はできれば蓮の胸に納めておいてもらえるとありがたい。いや、これは俺自身をさらけだしてしまうような話だから、蓮も余計なところは忘れて欲しい…」

あれは、俺がまだ幼かった頃の事だ、そんな前置きの後、据瞬の口からは信じられないような言葉が飛び出した。
「蓮、俺と貴女の父親の愉燵はガキの頃からの知り合いでな」
蓮月はその一言ですっかり困惑した顔になった。父からはそんな話は一切聞かされてなかったからだ。
「俺は五曽の村のガキ大将だった。愉燵は土地の名士、そしてもうひとり五曽には藩起という男がいた」
「燦大様に誅された大司馬の…」
そして、彩施の父だと言われる男だった。
「藩起様は恐らく更に前の王の代からずっと官吏をしていたに違いない。だが、翠篁宮を追われて五曽の村に戻っていたのだ。俺は藩起様から剣の使い方を学び、人として生きる道を教わったと思っている」
竜潭が据瞬を見る時のような目で、据瞬は宙を見つめた。恐らく藩起と言う男は据瞬にとっては決して追い付く事のできない憧れの存在であったのだろう。

「藩起様には身体の弱い奥方と、滅多に外に出てこない子供がいた。性別すら知らないほどに我々とはかかわりを持たない様にしていたのだ。俺や愉燵は田舎の子供とは遊ばないのだろうと思い、特に興味も持たなかったのを覚えている。俺は長じて愉燵と共に大学に入り、五曽の村を離れたので、その後の事は余りよくわからない。だが、藩起様の子供は蓬山で女仙となっていたのだと、だいぶ後から知った」
「では、据瞬様は彩施と言う方をその時まだ御存知ではなかったのですね」
据瞬はゆっくりと頷いた。