捨身木に花が咲く 第3部
                     ー14ー

翌日、隣国からの調度品の買い付けの一団が来て、かなりの調度が売却できたとの報告が竜潭の元にもたらされた。蓮月はそれを待っていたのだ。そしてそれを確認した後、蓮月は1人寧州に向けて翠篁宮を出発した。

それをふまえ、竜潭は秋官長の春風と夏官長の栄鶴を呼んで、今回の寧州阿岸の派兵について検討していた。もちろん塙麒もそこに顔を出している。首都州侯の立場から、首都州師黒備三軍37500兵の派兵の権限を持っているし、このような血なまぐさい話ではない時は、少しでも竜潭の側にいたいと思っている。最近蓮月に遠慮して竜潭の近くにいられないのが少し寂しかった。

塙麒はこう言う時は少し離れたところでじっと皆の話を眺める事にしている。

寧州州師と王師禁軍をどれくらい出すか。他の州からどれほどの援軍を送ってもらうか。
「報告によれば、寧州の阿岸の塩害はかなり深刻でもはや一刻の猶予も残されていないと聞く。ならばすぐにでも動ける兵を派兵し、その対策を行うべきだ」
春風はそう主張する。
「さもなくば、阿岸に暴動が起こる日も近いと思います」
その春風の意見に竜潭も深く頷く。
「暴動はどうかわからぬが、あの塩害は猶予がもはやないと言う意見には賛成だ」
竜潭は自分の目で見て来た状況から、春風の意見を後押しする。
「しかし、主上。派兵となりますと手続きがいささか厄介でございます。まずは寧州州侯殿に派兵の旨をお知らせし…」
「時間がない。寧州の州師がだせんというのなら、首都州師を出すまで」
春風がぐずぐずと言い述べる栄鶴を黙らせた。
「主上。御決断を」

竜潭はゆっくりと立ち上がった。
「手続きとやらは俺がやろう。寧州州侯には俺が直接話しをしに行く。首都州師を出さずともいいだろう。そして今から禁軍中軍二師を淳州に派兵し備蓄食料を運ばせよう。今年の旱魃は免れるとは言え、後に採れる作物は今日の飢えは癒してはくれんからな。さらに中軍二師を寧州の塩害対策に当てる。まずは塩害にあっている土地の地面を掘り、そこに新しい土を運ぶと言う作業をせねばならん。道々手伝いの人夫をかき集めろ。多少賃金を弾ませてもよい」
「主上、性急すぎましょう。いったいその賃金とやらはどこから出るのでございましょう?昨年の被害から、今年は国庫の予算をかなり削らねばならないと聞き及んでおりますが」
「案ずるな。蓮月がなんとかしてくれる」

栄鶴はしばし考え込む素振りを見せた。
「栄鶴殿は何を懸念しておられる?全てに反対をなさっていては何の解決にもなりますまい。いや、栄鶴殿ははそれがお望みか?」
春風はその表情がやや乏しい灰色の瞳を栄鶴に向けた。
「いや…、そんな事はございませんが…」
栄鶴は口籠ったものの、決断した様に竜潭の顔を見つめた。
「では、主上。主上の思し召しのままに」


蓮月は寧州州侯の館を尋ねていた。
「度々のご足労、大変痛み入ります…」
州侯の架基(かき)は恐縮して蓮月を見つめる。しかし、蓮月はこの男に何か胡散臭いものを感じていた。蓮月は部屋の中をゆっくりと見回してみる。殺風景な淳州の部屋と違い、見事な調度が並べられ、そこかしこから女官達のさざめくような笑い声が聞こえて来る。今回の塩害の報告が無ければ大変安定した州であると勘違いしそうなほどだ。

確かに寧州はとても良い港に恵まれ、繁華街も活気に満ちてはいる。しかし…。

「いつになったら塩害の対策を始められるおつもりか?」
「寧州州師をだすという方向で検討して参りましたが、なかなか兵が集まりません」
「集まらぬと?」
蓮月が眉根を寄せた。
「理由をお聞かせ願おう」
蓮月の強い視線で一瞬架基の顔がひるんだ。
「このところ港の近辺の警護にかなりの兵を費やしております。特に慶の方面の船を扱う港に時おり妖魔が出没しており、守りを強化しているところでもあります。また大司冦様から塩害地域の反乱が予想されるからと見回りや警備を強化しており、余っている兵がほとんどありません」
「見回りや警備の兵が土を運ぶ事になんの差し障りがあろう?」
「彼らは雑役兵ではありません」
蓮月はのらりくらりと笑みを浮かべてかわして来る架基を、表情のない瞳で見つめた。始めから塩害を解決させるつもりが無いのが見え見えだった。

「良くわかりました」
蓮月はがっかりした顔で立ち上がった。素直に諦めたかのような表情を浮かべる。
「お力になれませんで申し訳ございません。こちらの問題が収まりましたら必ず御連絡いたしますから」
「はい、ぜひお願いいたします。いつまでもお待ちしておりますから」
肩を落とし、蓮月はとぼとぼと州侯の館を後にした。


「蓮月様、本当によろしゅうございますのか?」
蓮月に付き従う叙笙(じょしょう)は心配そうな深いとび色の瞳を向けた。州侯の館を後にした蓮月は、その程近くの宿屋に叙笙を待たせていたのだ。高級官吏が好んで使うこの宿。蓮月は日頃から気持ちが落ち着かなくて余り好いてはいない。華美な装飾、豪華な料理。立派な厩があるから使っているものの、食べるものもほとんどない幼少時代を過ごして来た蓮月にとって、この贅沢な佇まいは一種の嫌悪感をもたらさずにはいられない。とくにここから近い村で深刻な被害が出ているというのに…。

「心配はいらない。髪の毛などすぐに伸びるもの」
叙笙はそれ以上何も言うまいと思った。官吏としての顔をしている蓮月は、もう自分が何を言っても止める事が出来ないのを経験的に知っている。しかし、胸騒ぎを感じ思わず口を開く。
「一つお聞かせいただけませんか?いったい何の為にそのお綺麗な御髪をお切りに?」
「州侯の館に入り込んでみようと思う」
「州侯とは?据瞬様のところでございますか?」
「いや。寧州の架基殿」
「ええ!?」
叫び声のような声を叙笙は上げた。
「おやめ下さい!」
叙笙は明らかにうろたえ、蓮月の肩を掴んだ。その剣幕に蓮月は驚いた顔を叙笙に向ける。

「前から不思議に思っていたのだけれど、叙笙。何か知っているのなら教えてもらいたい。据瞬様についてもきっと何か御存知のはず。私は官吏としても新参者だから何もわからないのです」
叙笙はあきらかにうろたえた顔で目を伏せた。しかしその目を上げた時、毅然とした表情で蓮月を見つめた。その威厳は今までの女官としての叙笙とは別人のようだった。

「よろしゅうございます。しかしこの話しをお聞きになったら、少しばかりお暇を頂く事になりますがよろしゅうございましょうか?」
「私を脅迫為さる?」
「とんでもございません」
叙笙は険しい瞳を蓮月に向けた。蓮月は思わずたじろぎそうになり、しかし気を取り直した。そして同じような毅然とした顔で叙笙を見つめ返す。
「叙笙。私はできれば貴女を失いたくは無い。でも、少しばかりならお暇をさしあげてもいい」
「よろしゅうございます。必ず戻って参りましょう」

叙笙はきつく掴んだ蓮月の肩を離し、蓮月の向側に回りこみ、屈みこんだ。

「あれは先先代の主上、蕪帖様の時代でございました。私はまだ巧国には参っておらず、蓬山におりました」
叙笙はその昔蓬山の女仙だったと聞いている。蓮月は静かに頷いた。
「蕪帖様が昇山なさったとき、共に昇山されたのが現在の寧州州侯架基様でございます。塙麟は蕪帖様を選び登極なさいました。私はそのとき架基様に付き従い蓬山を下りました」


「叙笙、私は王になれなかったけれどお前がこうして手に入った。それだけで昇山した甲斐があった」
そう言った架基は巧に帰ると昇山仲間であった蕪帖に取り立てられ、秋官長におさまった。秋官は国の警察組織、裁判組織であり、国民と密接に関わる仕事をしている官の一つだ。叙笙の話では、架基はそれはそれは熱心に職務をこなしていたのだと言う。
私は官と言う訳ではございませんでしたから、と前置きをしながら叙笙は続ける。
「どなたが何をなさっていたのかは定かではございませんが、そのころの官には据瞬様、春風様、栄鶴様がおいでになりました」

蓮月はハッとした顔をして、叙笙を見つめた。蓮月や竜潭が今一番欲しいと思っている情報を、もしかしたら叙笙が知っているのかも知れない。

「据瞬様はまだ官吏にお成りになっていらっしゃらなかった頃、蕪帖様が登極された時は他の三人の方々はそれはそれは仲がよろしゅうございましたのよ。しかし、据瞬様がお仲間に入られてからにわかに状況が変わって参りました」
「その時の春官長は…?」
「春風様でございました。ですから貴女様が据瞬様からお聞きになられたお話は、作り話でございます。何故そのようなお話をされたのか、私にはわかりません。据瞬様は最初から夏官として名をあげられたのでございますよ」

蓮月は困惑した表情を浮かべた。

「いったいそれは…」
「据瞬様のお心はわかりません。ただ、あの方は貴女様を陥れようとするおつもりはございませんでしょう。しかし、架基様はわかりません。昔もそうでございましたから。いまだにこうして州侯として君臨なさっているのが私には不思議でなりません」

叙笙はここで小さく息をついた後、小さな声で一言を告げた。
「蕪帖様に直接手をかけられたのは、恐らく架基様でございます」
くっ、という小さな驚きの声が蓮月の喉元から漏れた。