ー13ー
「やはりどこかおかしゅうございます、主上」
蓮月は据瞬の元を辞して乗り込んだスウグの上から竜潭に怒ったような表情を見せた。
「おかしいとは…?」
「据瞬様のおっしゃっていた事が納得できません」
「どこが…?」
「だって、あんな据瞬様は滅多にございません…」
蓮月はうまく説明できないもどかしさに、唇を噛み締めた。竜潭はそんな蓮月に微笑みを投げる。
「貴女は据瞬の事になるとムキになるのだな」
そう言うと蓮月に向けて少し不機嫌な顔を見せてみる。
「まるで貴女は据瞬に恋している少女の様だ」
「違います!」
ますます怒った顔になった蓮月を見て竜潭は吹き出した。
「怒った顔も綺麗だ、蓮。だがどうしてそんなに怒っている?」
「怒っているのではありませぬ」
蓮月は隣に並んで竜潭に向かってきつい顔を向けた。
「多すぎるような気がしてなりません…」
蓮月が呟く様に吐き出した。
「多いって何が多いんだ?」
竜潭が優しく声をかける。少し身を乗り出し、すぐ隣にある蓮月のまぶたにそうっと唇を寄せる。蓮月は少し顔を軟らかくしたが、それでも心配げに竜潭を見つめた。
「主上。私はずっと考えておりました。この蕪帖様のお話、先代の烈王と酷似していると思われませんか?」
「燦大様と…?」
「据瞬様のすぐ上におられる方がいずれも王に諫言し、成敗されています。そしてそのすぐ後に麒麟が病み、王が亡くなる…。偶然でございましょうか?」
「あはは、確かにそうだが、考え過ぎだよ、蓮。失道の直前にはありがちなことだ」
「でも!」
蓮月はきっぱりと言う。
「偶然と言えばあまりに偶然でございますが…。しかし今日の据瞬様はいつもの据瞬様ではございませんでした」
蓮月は眉間に皺を寄せ、竜潭を見つめた。蓮月は一度だけ見た事がある。己を飾る事も隠す事もない魂がほとばしり出ている据瞬の姿を。つい最近、泣きながら夜を徹して飲み明かしたあの晩の据瞬と同じだ。
「主上は据瞬様と長いおつきあいでございましょう?しかし余り据瞬様については御存知ない」
「確かに。俺は据瞬の弟子だからな。弟子は普通師匠の事を深くは知らないものなのではないか?」
「私も存じません。でも、時々思うのです。いったいこの方はどこからいらしてどこへ行こうとなさっているのか…」
「蓮…」
竜潭もそれは考えないでもなかった。
「私に少し調べさせていただけますか?」
「据瞬をか?」
「そういう事になるかも知れませんが、据瞬様というよりは香梶という方について、知りとうございます」
竜潭は考えた。敬愛する師匠、据瞬を疑う事になるのだ。だが、蓮月のいう様に確かに今日の据瞬の様子はおかしかった。据瞬を疑うというよりも、この香梶という男について知っておきたいと思う。
今の官はほとんど先代の烈王燦大の時の官吏のままだ。登極したときに国内の事情をほとんど知らない竜潭は、新しい官吏を決められるほどの人脈を持っていなかった。何人かは自ら選んで決めたが、不具合のないところは燦大亡き後仮朝を守って来た官をそのまま起用しているのだ。
もしかしたらそれは燦大の時もそうだったのではないか?先先代の蕪帖に仕えていた官が、何人かいてもおかしくない。そしてもし香梶が名を変え紛れ込んでいたとしたら…?蕪帖の失道に何か絡んでいる人物をいまだに官においている可能性はないのだろうか?先ほどの据瞬の話では香梶は既に誅されてしまったという。少し安心はしたが、それでもなにかわだかまりが残る。
「わかった。蓮に任せよう」
蓮月は引き締めた顔を竜潭に向けた。
「ありがとうございます。では主上、河西に参りましょう。旱魃の様子を見とうございます」
「うん」
「なにも申しますまい」
翠篁宮に帰った竜潭は、冢宰の佇叔にやり込められているところだ。
「主上がこうして勝手な振る舞いを為さる方だとは思ってもおりませんでしたから」
竜潭は赤くなって怒りを押さえきれずにいる佇叔を見て、思わず吹き出しそうになるのを懸命に押さえていた。
「何故我々に一言お断りいただけなかったのでございましょう?」
何も申しますまいと言う割には、徹底的に追求するぞ、と言う構えに見える佇叔の表情は、竜潭を非難すると言うよりは戸惑いを隠せないと言うものにも見えた。
「俺は少し俺らしくなりたいと思ったんだ」
はぐらかす様に竜潭は言う。
「少し気になる事があったから…」
「気になる事でございますか?それは淳州の旱魃や寧州の塩害の事でございましょうか?」
「それもある。今日淳州の旱魃の被害地を見て来た。今年は雨量も平年並みで河も今のところ干上がる気配は見せていないが、これからの季節に注意が必要だな」
「それはよろしゅうございました。大司徒がきちんと監視を続けるよう手配済みだと聞いております」
「うん。蓮月からもそのような報告を受けた。まだ援助は必要だと思うが、州侯も大司徒も尽力してくれたお陰で、何とか今年の実りは期待できそうだな。寧州ほどの危機感は感じなかった」
竜潭は佇叔の顔をじっと見つめた。彼も先代の燦大の時から冢宰を務めている。もしかして蕪帖の事も知っているのではないか…。
「いかがなされました?」
いつにない視線に戸惑って佇叔は竜潭に問いかけた。
「佇叔はいつから官吏をしている?」
佇叔は戸惑い顔のまま、少し宙を見上げた。
「確か…、あれは先先代の蕪帖様がお倒れになる寸前の事でございましたか。春官に任じられ、間もなく御守していた白雉が二声を上げました。あれはまだ駆け出しの私には衝撃でございましたね」
「春官だったのか」
「最初から冢宰になったりはいたしませんよ」
「それはそうだな」
竜潭はそのまま軽い気持ちで佇叔に聞いた。
「香梶という人物を知っているか?据瞬の話では春官長だったという事だが」
竜潭は見た。香梶、という名前を出したとたんに佇叔に表情が一瞬にこわばったのを。
「…主上、そのお名前をどうして…!」
これには竜潭の方がうろたえそうになったほどだ。いつになく強い口調から香梶と言う人物がただの春官長だったのではないと確信する。
「いや。たまたま知る機会があった。据瞬にも聞いてみたが、なんとも歯切れが悪くて…」
佇叔は真面目な男だった。恐らく据瞬よりも…。竜潭に見つめられるのが耐えられずに思わず俯いてしまった。
「無理に話さなくてもいい。佇叔、俺が信を置き、頼み込んで冢宰になってもらった貴方だ」
佇叔の唇が微かに震えるのが見えた。
「主上、これだけはお信じ下さい。香梶は決して貴方様に害をおよぼす事はございません。確かに蕪帖様とは反目しあう間柄ではございましたが、それは故ある事」
「涼嬬とかいう愛妾を巡り争ったと据瞬に聞いたが…」
「そこまで据瞬殿はおっしゃいましたか。その通りでございます。あの時はお二人ともお若うございました」
佇叔の口調も大変歯切れは悪いものの、その真摯な眼差しから悪意は感じられなかった。
「もうよい。俺にとくに何も差し障りがない事なら、無理に知る必要はない。ただ、このところ不穏な動きがあると聞き少し神経質になっていただけだ」
その竜潭の言葉を聞き、佇叔は深々と頭を下げた。
「主上、もう一度断言いたします。香梶殿は…、愁香梶(しゅうこうび)という男は心からこの巧を思っている男でありました。主上がこの国を立派に切り盛り為さる限り、お味方になる事はあっても決して敵する事はございません」
竜潭はその言葉を選び選び話す佇叔を静かに見つめた。
「一つだけ聞いておきたい。香梶殿は御存命なのか…?」
佇叔の顔がみるみる赤くなった。そして非難がましい視線を竜潭に向ける。
「据瞬殿からは…?」
「涼嬬の前で蕪帖殿に誅されたと聞いたが?」
佇叔の顔がすうっと青くなった。
「明日はどこに行くか?」
竜潭は蓮月のいる桃李殿を当然のように訪れていた。蓮月は香りの高い茶を差出しながら、こともなげに言う。
「明日は竜様は御留守番でございます。私は1人で寧州に参ります」
「ひとりで!?」
竜潭は目を釣り上げた。
「蓮…!」
「大司徒としてのお仕事がございます。主上には主上のお仕事がおありでしょう」
「それはそうだが…」
「その間に主上にお調べ頂きたい事がございます」
蓮月は小さな書き付けを竜潭に渡した。
|