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short story

「ネットカウンセリング 心の休憩室」 HPをご覧くださったみなさまに、 ちょっとした付録をご用意しました。ブログや掲示板はありがちなので、簡単な自作の 物語です。
現代に生きる20代の女性が、身の回りに起こりそうな事から、 非現実的な事まで、さまざまなシーンを、「夢」という形の無い箱の中で 語ります。興味のある方は是非読んでみてください。
SAWA
プロローグ
 木村沙和 中堅の文具メーカーに勤める25歳のОL。いつ頃からだろう。沙和の脳神経に 時折スイッチが入るようになった。これが入ると、沙和は夢をみる。はっきりとした、ブレの 無い完璧に整合性のある夢だ。
  時空間を超えて沙和は飛び、そこにもともと「いる人」と して、周囲から認知されている。ただ、年齢はそれぞれでも、沙和の本質は変わっていない。 感性も記憶もそのままに、「夢の中にいる」ことを知っている。 そして辿り着いた「その世界の状況」をすっかり把握した状態で、夢に飛ぶ。そこにいる「沙和」を演じる、 ということなのか。ただ注意が必要だ。 「うかつな発言や行動は慎め」一度誤解から魔女狩りに遭いかけた時の教訓だ。
 最初、沙和は自分がどうしてこんな夢を見るのか悩んだ。検査をしても異常は無い。 時と場所を問わず、フッと目の前の場景に一枚ガラス板が入ったようになり、周囲の音の ボリュームが少し落ちるのだ。そしてちょっと胸がドキドキして・・夜、夢をみる。
 最近はあまり気にならなくなったが、あの不思議な感覚。「ご案内」が届くと、うっすらと汗をかく。


Stage 1  19歳の儀式


現代・弁護士・シカゴ


 「おはよう、サワ」
「あらフランク、早いじゃない。」爽やかそうにしているが、今朝のわたしの調子はイマイチだ。
「アンナの取調べは進んでないみたいだ。話がブレる」
「まだ動揺してるでしょうね」
「両親の話は?ふたりの喧嘩を止めたくて、興奮して、思わず発砲したってのは?」
「どうかしてるわね、フランク!まだ睡眠中なの?」
  二日前の事件だ。言い争いを止めない両親に向かってアンナは泣きながら銃を撃った。弾は母親の膝に当たった。幸い酷い怪我にはならずに済んだが、問題は殺意と計画性の有無だ。銃は父親のものだが、きちんと保管されていた。そして現場となったリビングでふたりは、ソファーに向かい合って座っていたのだ。 ガラステーブルを挟んで・・・喧嘩を止めたくて興奮して思わず発砲したのなら、天井か、正面の壁に当たるだろう。初めから対象を母親に定めて、銃身を斜め下に構えて発砲。そう考えるのが自然だ。瞬間的に父か母かを決めたのだとしたら、あまりにも残酷だ。わたしは何かに引っかかっている。
 「大丈夫?サワ、二日酔いみたいな顔して」   心配してる? からかってる?「昨夜は鍋パだったのよ」そう、盛り上がっていたその時に「ご案内」が来たのだ。
「へっ! 鍋パ? 」
「あっ……ほら、日本人の友達に教わったの。テーブルの上で料理して、そのままみんなで食べるのよ」まずい、説明に成ってない。
「そんな事よりフランク、アンナの友達にあたってくれないかしら」
「大学に行けば話を聞けるだろう」
「ハイスクールもお願い。彼女自身についての情報が欲しいの。あっ!ボーイフレンドも忘れないで」
「了解。でもサワ、いったい何が気になってるんだ?」
 わたしが知りたい事ははっきりしている。
 「動機よ」


 やっと面会に辿り着いたか。駐車場は無いし、手続きは面倒だし。弁護士は犯罪者じゃないわよ! 刑事の方がよほどそれっぽいわ。
 それにしてもフランクときたら……熱心に話を聞いた女の子12人、男の子ひとりって、ほとんど付けたしじゃない。この調子じゃ、今年中にロースクール卒業なんて無理ね。百年位かかればいいんだわ。
 アンナの学生生活は健全だ。成績も中の上というところか。明るくて目立つが、自分からリーダーシップをとるタイプではなさそうだ。時折母親とテニスをしていたようだが、サークル活動には参加していない。 アンナの両親は、この景気悪化で苛立ってはいるけれど、特別険悪、という程でもない。彼女は父親よりも母親との方がずっと仲が良かった。母親がモールで仕事を始めたのは、アンナが大学に入学してから。それまではジャムもクッキーも手作りする、専業主婦の優しい母親…
 アンナ19歳。あなたは、何をしたかったの?


 「はじめまして、アンナ。弁護士のサワよ。少しは眠れてる? 」
「あまり…あの、弁護士さん、母の具合は? 足は大丈夫でしょうか。」
 震えている?「サワでいいのよ。ええ、お母さんの怪我は平気よ。今はあなたの事を心配している」
「……」
「ねえアンナ、話して欲しいの。喧嘩を止めるため、だけじゃないわよね?」
 凍りついたようなアンナの表情。やがて震える唇から、搾り出すように出した言葉は「…親殺しの儀式…」
「オヤゴロシノ ギシキ」


 シカゴの街は、ほんの数ブロック進んだだけで、そこに住む人達の層が違って見える。まして川を挟んだ向こう側に見える景色は、点在する工場と灰色の空が重なりいっそう重苦しい。これがシカゴの冬だと思い知らされる。  アンナは自立したかったのだと言った。「ママは優しいし、映画やショッピング、いろんな所に連れてってくれる。お小遣いは少ないけれど、代わりに欲しいものを買ってくれる。一緒にテニスもはじめたわ」
「ママの事、大好きよ。でも、友達とサークルに入った方が楽しい、こっそりボーイフレンドとドライブした方が楽しい、そうなんでしょ? そう思えるようになりたい、そういう生活を楽しんでみたいって思ったの」
「本で読んだのよ。自立のためには親殺しが必要だって書いてあったわ。もちろん本当に殺す訳じゃないわ。儀式なのよ」
  ここまで一気に話すと、アンナの瞳には涙があった。
「後悔している、どうすればいいのか分からない」と泣きじゃくるアンナにわたしは、「ご両親と話をしなさい。気持ちの全てを包み隠さず話しなさい」と言った。
「許してもらえるのかな……」
「きっとね。驚かれると思うけど、まずは話をしなければいけないわ」


 「胆略すぎて哀しいな」
 親殺しの儀式とは精神的な自立のプロセスを総括した比喩に過ぎないはずだ。親と言い争い、時に泣かせ、心配をかけて、気が付くと自分の道を歩いている。そして親との関係が少し変わっている。自立ってそんなものじゃないかな。19歳になるまでアンナは何をして、何をしないで生きてきたのだろう。
「それで警察は?」そう言いながらフランクは、近くのダイナーで買ったコーヒーを渡してくれた。
「セラピストのところに通う事を条件に、なるべく早く返すつもりだと言っていたわ」
「ねえフランク、実家には帰っているの?」
「時々ね。ぶつぶつ言いながらもおふくろさん、オムレツにチーズ入れてくれるんだよ。なんだかんだ言ってもかわいい息子なんだよ、オレ」
「出来の悪い息子程かわいいって!?」
「うるさいよ。サワってホントうるさい!」
「はいはい」
 この次家に帰ったら、肉じゃが作ってお父さんとお母さんに食べてもらおうかな。ふっと実家のこたつが目に浮かび、少しだけ胸が熱くなった。


Stage 2  流れは塵と共に
                *河原者の説明は文末に記載
 ページをめくる沙和の手が止まった。エスニック系のサンダルが欲しいなとか、グルメ情報は変わりばえしないな、とか思いながら、いつもだったらあまり目を通さない、その手の記事のところで手が止まった。  愛新覚羅ー川島芳子の生涯


中世 農家の娘 日本


 農家の朝は早い。
 都からは程遠く離れた村。それでも小さいながら市も立つし、行商の旅人が少なからず行きかう山あいの農村。
 かまどに入れる木ぎれを納屋に取りに行く。昨夜の雨も上がり、新緑の匂いが空気を包む。人の気配を感じてふっと目をやると、朝もやの中で舞う女がひとり。桔梗・・・水干を身に着け白拍子の流れを汲むという舞手。桔梗が舞うと、桜も吹雪くという。美しい。姉の舞手、葵とは異なった美しさを持つ。旅の歌人は葵を三ヵ月と詠んだ。
 「誰? 」
 「あっ! 」
 「さわ……か? 」
 「こんな時分から桔梗は稽古か? 奉納は済んだというに…」
 何を今更、と言いたげだ。右頬の下から顎にかけて、遠目にはわからない、 うっすらと青いあざがある桔梗の顔が、かすかにほほえんだような気がしたが。
 「わたしも葵も、舞いたいと思った時はいつでも舞う。たとえ金にはならずとも舞う。 通りすがりの誰かが見ていて、請われれば御の字じゃ。舞手と遊女は紙一重。それゆえ、さわではいささか役不足」
 冷たさが漂う桔梗の言葉にわたしはとまどった。
 「我らのような者は皆似たりよったりじゃ」
 舞手の血……運命か……
 それ以外にどうやって生きる? じっと見つめる桔梗の目が、そう言っているようだった。


 それから程なくして、桔梗が消えた。
 天狗に連れ去られたのを見た者がおる。
 いや、足を踏み外して川に落ちたそうだ。
 まさか、河原者が川に喰われたか。
 桔梗の舞が見れんのは残念じゃ。
 今年は雨の具合もちょうどいい。秋の実りを楽しみにせっせと田畑を耕す。
 「のう、さわ、足も腰も痛うてかなわんが、明日の身もわからぬ河原者を思えば、百姓はまだ幸せじゃ。 葵も不憫よのう」


 気が付くとわたしは山の中にいた。何かに導かれるように山の中を歩いていた。 桔梗と、別れ際にかわした言葉が気になって仕方なかった。
 「それが舞手の血か? 」と尋ねたわたしに
 「血……血が運めを決めるのなら、わたしは運めにあらがって生きるしかなさそうじゃな。」
 「ふふふ」 桔梗は言いながら確かに笑っていた。
 風の思うままに木々が揺れる。月は明るさを失わない。ふっと気配を感じて身を硬くした。その背中に響く声。
 「桔梗は自ら流れた」
 天狗! いや山伏か……どちらでもよい。怖くはなかった。
 「何処へ? 」「何故? 」わたしは桔梗の舞、いや桔梗自身に惹かれていたのか……
 「西へ。鎌倉から都へ幕府が移った今、その方が身入りがいいと考えたのじゃろう」
 「葵ひとりを残してか。母者が死んだばかりだというに、たったひとり姉を残してか! 」
 「桔梗は傷を負った侍に、山で捨てられた子じゃ。それをわしが拾って、死んだ京に託した。 もし畑の中に捨てられていたら、おぬしのように百姓の娘として育っていただろうに」
 それじゃあ…桔梗の顔が浮かぶ。わたしの言葉に、ふふふ、と笑う桔梗の顔。
          血 は 血   運め は 運め
         カワラモノ と呼ばれる美しい舞手の桔梗


 「葵はどうする! 」
 「アレはアレで、自らの身を考えるじゃろう。もともと、桔梗と離れた方が良いと思っていたのは、 葵の方じゃからな」
 「舞うだけでは食っていけぬ。葵一人では身が立たぬのは承知の上で桔梗を離した」
 月がかすむ。やがて雲が動くまで。
 「葵は男じゃ」


 どれ程立ちすくしただろう。
 愛情も意地も塵のように崩れ、やがてのみこまれる。
 時代は流れ、やがて差別が制度として組み込まれる社会がくる。 成熟したはずの現代になってもなお、その影を引きずる。
もう一度読み直してみようと沙和は思った。時代に踊らされたのか。さからって生きるすべは無かったのか。何が運命を決めたのか。
 愛新覚羅ー川島芳子


   河原者…もともとは、河原に住み着いた貧しい者のことを意味した。 そこから生活のために、技術を身に着けたが、それが河原者の職業として定着し、 その職業に就く者の蔑称として使われるようになった。文化、芸能の担い手も多くが含まれた。 ただ、中には小作農に戻る者や、腕をかわれて富裕層の元へ出入りする者など、流動的な面もあったといわれる。


Stage 3  それが恋だとわかったから


 見た目は草食系っぽいけど、それはそれで悪くない。話していると雰囲気が伝わる。
 「すっごくいい感じ」
 沙和は思った。合コンから始まる恋って案外アリなのかも……
 その時スイッチが入った。ちょ、ちょっとお願い! 今夜はいい夢みさせて!!


現実のままのOL もちろん日本 もちろん現代


 「ねえ沙和、今夜ちょっと飲まない? 」
 「ああ、おはよう美香。そうね、久しぶりに飲むか」朝っぱらからわたし達何言ってんだか…
 島村美香。所属の課は違うが、同期入社だ。現実の世界では程々の付き合いだが、ここでは仲がいい。 そういえばデスクの配置も、社員の顔ぶれも少し違っている。おまけにわたしには、彼氏がいることになっている。ちょっと複雑な気分。
 夕方、残業もなく「ラッキー! 」と言いながら二人で会社を出た。 わたし達は隠れ家的なダイニングバーに腰を落ち着けた。このあたりは学生も多く、居酒屋は少々うるさい。 バラード系のR&Bが、抑えられたボリュームで流れる。女友達の二人組。話題はやっぱり、的なものから始まる。
 「ちょっと噂になってるよ、美香。最近販売企画の倉沢さんとラブラブだって。付き合ってんの?」 わたしはひやかし半分に聞いた。
「違う。仲良くしてるし、好きだけど、っていうかだから困ってる」美香の言葉はため息まじりだ。
「友達以上、恋人未満かぁ…」沙和は、なる程なと思った。
 美香の大学時代のサークル仲間、中田修也とも同じような距離間、友達以上恋人未満で続いている。 一緒にいると居心地が良くて、離れられないそうだ。
 運ばれてきたサーモンのマリネとクラッカー、チーズの盛り合わせ。本気でおなかがすいてきた。
 「キープが二人ってみんな思うよね……」頬杖を付きながら、チーズをつまむ美香。
 自分から思い切って飛び込む勇気が無いのか、待っているのか、そこまでの気持ちは無いのか……
 「倉沢君の事は、どの程度に思ってるわけ? 」
 「修也とお・ん・な・じ」
「このままズルズルいったら、結局みんなパーになって、三人共傷付くよ」
 何となく説教くさくなる。
 キッシュを追加した。シャンディー・ガフを三杯、最後の一杯は、話題が変わった。


 美香と別れアパートに一人帰り、出張中の彼氏とのコールタイム。狭いけれど、安っぽくはないわたしの部屋。 夢の中の部屋はカーテンの色が違う。そしてお決まりのように、マグカップが二つ。さすがにミッキーとミニーという年ではない。
「そうだけど、何で? 」
「うん、今の時代安定志向だけど、別に条件を気にしてるってことじゃないなって思って」
「 サラリーマンだって今は安泰って時代でもないわ」
「もちろん。会社に全てを託せるなんて、誰も思ってないよ。 どっちが好きかって頭で考えても、結局決められないんだろうな。オレなんか、沙和のどこが好きって聞かれても、わかんないもん」
「え……」
「ただ好き、としか答えられない。沙和を離したくないよ」
  わたしは胸がキュンとなった。
「どっちかが転勤にでもならない限り、無理だったりして」笑いながら彼が言った。
 でもわたしはさっきの言葉にぼーっとなって、美香のことはすっかり頭から飛んでいた。


 ところが……
 本当に転勤の内示がでた。但し一年間の期限付きで。
 転勤先はタイのバンコクだそうだ。新しく設立した工場で、従業員の研修をおこなう。 コンプライアンス重視の観点を初めから身に着けてもらう、徹底した研修を行うらしい。 そのため数人の社員が派遣されることになった。そしてその辞令を受ける事になったのは ー 美香だった。
 いよいよ出発という一週間前、二人はアジアンリゾート風の店で食事をした。籐のイスはゆったりとしていて、 日本人の口に合わせた料理がおいしいと評判の店だ。
 「さぁ、話しなさい。友達以上から恋人になったいきさつを。もうひとりはどうなったのかを」後の質問はちょっと意地悪かも……
 わたしは美香の事だから、てっきり煮え切らないまま、「とりあえず一年だし」とか言って、そのまま出発するものだと思っていた。
 ちょっと照れくさそうに美香が話し始めた。
 「どっちがね、好きかって考えても、どっちも好きだし大切だったの。 でも、失ったらって思ったら耐えられなかった」
 美香が飛び込んだのは、倉沢君の胸の中だった。
 少女マンガなら、きっと中田君だろう。ずっとそばにいてくれた人の大切さに、改めて気付いた……と、 こうなりがち。
「倉沢君ね、遠恋だけどちゃんと帰って来いって言ってくれたわ」
「中田君には?」そこは避けちゃだめだしね。
 「ちゃんと話したよ。わたしね、学生生活がすごく楽しかったのね。 だからその気持ちを全部修也に投影してたのかな。修也も同じかも知れない。話してて、ちょっと思った」
 ノスタルジーか……その感じ、わたしにも何となくわかるな……店の照明が少しだけ青みを帯びていることに今頃気付く。 わたし、夢の中だというのに、間違いなく彼氏に恋してた。切ないな。出張が長引き、電話だけの恋だったのに……


 目が覚めたら沙和はすぐに気付く。携帯に未読メールが一件。合コンから始まる恋も確かにある。


Stage 4 荒涼


「やっぱりわたしはマチュピチュだな」沙和は旅行好き
 ランチタイム、始まりは誰が言ったのか「あ〜あ、温泉行きたい」からだ。
 「世界遺産ねぇ」「古代遺跡って、ほらロマンあるじゃない」
 話はどんどん大きくなる。


 教師 トルコ 第四次中東戦争後


 ちょうど数学の授業が終わった直後だった。
 ナージーが面会に訪れた時、考えられるあらゆる不安定な状態に包まれていた。やつれた顔、落ち着きの無い動作、身なりはそれなりに整ってはいたが、16歳の少女の怯えきった目。この子がナージーか……  「お兄さんから、確かにあなたのことを頼まれたわ」わたしは落ち着きを装った。
 「兄さんは今どこにいるの! 」「お願い、ターヒルを止めて……」ナージーの口調は、はっきりしていた。
 ヨーロッパと中東にはさまれたトルコなら、何とかなるとターヒルは考えたのだろう。半年程前、ヨルダンからひそかにこの国にやって来た彼は、学校の近くのガソリンスタンドで働きながら、人を探していたらしい。信頼できて、しかも目立たない人を。ターヒルは教師をしているわたしに目を付け、少しずつ近づいて来た。慎重に機会をうかがっていたのだと彼は言った。
 「この前の戦争で、家も両親も、妹以外のすべてを無くした」
 ターヒルの言葉に、17歳の面影はみじんも感じられなかった。 やっとの思いで妹と二人、パレスチナからヨルダンのサルトに辿り着いた。 勾配のきつい丘に、沿うようにつくられている古い街サルトは、街全体が遺跡のようなたたずまいを見せる。 ここで二人はゴミのような暮らしをしたらしい。
 そしてやがて、ターヒルはナージーを安全な場所にかくまうと、自らは地下にもぐった。過激派の組織だ。
 「ナージーをうまく脱出させたら、ここでサワに受け取って貰いたい。もちろんとりあえずでいい。金は持たせる」
 正直言って、わたしは気が進まなかった。イスタンブールも学生運動が激しさを増し、決して安定した情勢とは言いがたい。
 「ひとつ聞いてもいい? 」わたしはターヒルに尋ねた。
 「主義、主張、神の名の下にと言うけれど、過激なゲリラ活動で本当に世界が変えられると思っているのかしら」
 「主義、主張? 」半ばあざ笑うように彼は言った。
 「生きるって何だか知ってるか? 命を取られずに飯が食えるってことだ。オレは組織に入った。ただ、生き延びるためにだ」
 「生きてやる」
 この時、断れる理由がないことを、わたしは悟った。


 ナージーをわたしのアパートメントに連れて行くと、まず熱い風呂を用意した。そして二人で食事をすると、彼女は少し落ち着いてきた。  それにしても表情が乏しい。無機質と言ってもいい位だ。
 「ここって不思議な所ね……アラブではないし、ヨーロッパとも違う。わたし学校に行ってた頃は地理が大好きだったわ」
 「そうね、わたしの生徒達にも、難しい公式を覚えるより、世界地図のほうが人気があるわ」
 そしてわたしは慎重に尋ねた。
 「ねえナージー、あなたさっきお兄さんを止めてって言ったわね。残念だけどわたしターヒルの居所は知らないの」
 「……」  「教えてほしいの」それ位の権利はあるだろう。
 「何があるのかはわからないわ、でも……」ナージーが口を開く。
 「パレスチナからヨルダンに逃げ込んだようなわたしが、どうしたら一人でここまで無事に来ることができると思う? ターヒルから手紙が来たの。 ここに来るようにって……その時、お金と必要な書類が一緒に送られてきたわ。ちゃんと辿り着くために、何かの力が働いているに決まってる、そうでしょ? 」
 確かにナージーの言うとおりだ。
 わたしはサイズの合いそうな服二、三着とパジャマを渡して、彼女を少し早めにベッドに入らせた。
 やはり断るべきだった。わたしには荷が重過ぎる。
 窓の外、モスクの屋根が月明かりの中でうっすらと浮かび上がる。寝付けなかった。
 ところがその何かは、既に始まっていた。


 翌朝、頭が痛むのを我慢しながらリビングへ行くと、ナージーが固まったようにテレビにくぎ付けになっていた。画面はトップニュースとして、破壊された駅の構内を映し出していた。
 「いったい何なの! 」
 アラブの主要都市にある鉄道の駅で、自爆テロが起きた。死者10数名、負傷者30名程度と伝えていた。
 「兄さんだわ! 」
 「まさか、そんな! 」ナージーはどうかしているに違いない。ターヒルが? 自分が関わった人が? わたしは奇妙な笑い声をあげた。
 「見た人が話している犯人の特徴が、兄さんそっくりなのよ! 」ナージーはヒステリックに叫び、挑むような目をわたしに向けた。動揺と恐怖が交互にわたしを襲う。
 やがて乾いた口調で彼女が言った。
 「死んだら終わりよ」
 決定的なひと言だった。哀れなターヒル、かわいそうなナージー、戦争の悲劇をいつまで背負うのか。


 「サワに迷惑がかかるといけないから」そう言って、彼女は少ない荷物をまとめた。もうしばらくここにいた方がいい、そう説得するわたしの言葉を振り切って、出て行くと言うナージー。
 彼女を見送ったそのすぐ後に何かがカチっと来た。
 いったい、どこへ行くというのだ。半ば濁ったターヒルの目。兄を亡くしても尚、無機質なナージーの表情。
 「生きのびるため」ターヒルは言った。
 「死んだら終わり」ナージーは言った。


 シンダコトニナレバ、スベテオワリニシテイキノビルコトガデキル


 ヨルダンでゴミのように暮らしていた人間が金を持っていた。報酬だろう。目撃者がいると言っても、人が行き交う駅のベンチで、壁にもたれかかり帽子を目深にかぶって、リュックを両腕で抱えていた少年だ。どれ程確信が持てるだろう。
 偽装……
 どこかの誰かがわたしを訪ねてきたら、わたしはこう言うしかない。
 「ええ、確かにナージーは兄さんだと言ったわ」
 だとすれば、わたしは二人に騙されたということだ。そしてナージーはあてもなく出て行ったわけではない。
 考えるのはやめよう。想像しても意味がない。
 ターヒルもナージーも姿を消した。わたしがするべきことは、わたしの生徒達に伝えることだ。
 憎しみは憎しみを作りだす。戦争は狂気そのものだ。
 それでも長い歴史の中で、血に塗られた過去を持たない国などあるのだろうか。


 おばあちゃんのお兄さんね、東京で大きい空襲があった時に死んじゃったの。 熱さに耐えられなくて、川に飛び込んじゃってねぇ……防空壕も何も、安全な所なんて無かったからねぇ。
 沙和が小さい頃、祖母はそんな話を沙和に聞かせた。


Stage 5 たとえばハイヒールを脱いでも


 少子化問題ってやっぱり経済問題なのかな
何かやだな、そういうのって……子供欲しくても産めない人だっているのに
沙和は新聞を読みながら、漠然と考えてしまった。


OL 日本 1980年代前半


 「……で、結論は出た? 」
 仕事が終わり、駅近くの喫茶店で、わたしは恵理と向かい合っていた。
 この時代は、まだ多くの店で、アイスコーヒーに最初からガムシロップを入れて運んで来ることが多い。 わたしはあらかじめガムシロ抜きを、注文しておいた。
 「それがなかなかね、伸治には仕事続けてもいいって言われてるんだけど、最近わたしの考えが少し変わってきてるの」
 恵理は年明けに結婚が決まっているが、寿退職するか、会社に残るかで迷っていた。 恵理の婚約者、中野伸治は父親と共に、洋食レストランを経営している。わたしも一度行ったことがある。 こじんまりしているが、雰囲気といい、味といい、なかなか評判が高い。
 「どう変わってきたの? 」わたしは尋ねた。
 「コピー取りやお茶くみが嫌だって訳じゃないの。ただ、その先の目標がないの」
 「目標か〜わたしもそうだな」
 「何か、女の自立やキャリアウーマンって言葉に踊らされるのかなって、そんな感じがして仕方ないの」
 新橋、ここから見える霞が関ビル。36階建のこのビルが建った時、誰もが驚いたのは言うまでも無かった。 しかし今では36階を越える高層ビルが、いくつも出現している。何かにあおり立てられるようにわたし達は動いている。
 恵理は雑誌にあふれ返っている『女の自立』という言葉を、
 「ウーマンリブの名残に飾りを付けた流行物のような気がする」そう言った。
 わたしが生きる30年近く後の世界より、選択肢が少なく、流されやすいと感じるのは、気のせいだろうか。


 翌朝出社した時だった。
 掲示版の周りで、数人がひそひそと小声で話をしていた。そして通達の前で青ざめていたのは岡本八重子、28歳の先輩だった。
 『9月1日付けで、販売部 岡本八重子を 静岡第二工場勤務とする』


 「岡本さん、一体どういう事なんですか」昼休みになるのを待って、やっと声をかけることができた。
 「木村さん……どうもこうも、三日間お休みをいただいたの。保育園で秋子が怪我をしたものだから…… それで今日出社したら、辞令が出て……」
 「内示は、説明は、あったんですか? 」
 「それが……理由は言わなくてもわかっているだろうって部長に言われたわ」
 「そんな……」
 一体どういう事だ。所属部が違うので、わたしには詳しい事はわからなかった。
 「暗に退職しろって意味なのよ。子供を育てながら働くことの、これが現実なのよ」
 わたしが入社した時、研修を担当してくれたのが、八重子だった。仕事も良くできて、面倒見もいい。それ以来、結構親しくさせて貰っている。
 子育て、と八重子は言ったが、秋子という名のその子は、八重子の実の子供ではない。 交通事故で亡くなった姉夫婦の子供だ。戸籍はそのままだし、養育費の援助はうけているが、八重子は実質的な育ての親だ。複雑な事情がありそうだが、そこは聞かずにいた。
 「わたし、オーストラリアの大学を出たの。向こうで親しくしていたサンダース一家には二人の子供がいるんだけど、一人は養子よ。 事情はしらないわ、でもとても仲良く生活している。あの国は多民族がしっかり融合しているし、里親になるって、案外特別な事じゃないのかも知れないわね」
 以前、秋子のことを尋ねたわたしに、八重子はそう答えていた。
 「子供はよく熱を出したり、怪我をしたり、残業もあまりできないから、わたし上から嫌味言われっぱなしだったのよ。女子社員が少ないから、特にやり辛かったし」
 「でも、でもそんなのおかしいです! 岡本さん、このまま引き下がるんですか」
 「組織の中にいる以上、仕方ないわね……でもわたし、別に考えてることがあるの。心配しなくて大丈夫よ」八重子は落ち着いていた。


 現実のわたしの世界では、ここまで横暴なことはしないだろう。
 この時代の半ばレトロな風景が気に入っていたが、全てが色褪せていくようだった。


 八重子が辞表を提出した日、八重子と恵理とわたしは、ささやかな旅立ちの会を開いた。肩の凝らない焼肉と生ビールでの、言ってみればちょっと年齢の高い『女子会』だ。
 「それで八重子さん、いつオーストラリアへ発つんですか」
 「手続きが済みしだいね、一ヶ月位かかるかも知れないな……前からサンダースに誘われていたの。 自分が経営する会社は、大きな企業とは言えないけれど、わたしと秋子にベストの環境を用意できるってね」
 デイリーなジャムや、果実酒の製造販売を行っているその会社で頑張ってみたい、そう八重子は言った。
 「八重子さんらしい選択なんでしょうね、あ、そうそう、恵理も会社辞めるんですよ、ね、恵理」
 「そう、わたし考え違いしてたんです。社会の中で働くっていうのは、パンプス履いてスーツ着て、オフィスにデスク持ってって……でもそれは形。わたし、彼の店で働きます。家業を継ぐのも、立派な仕事だと気付いたんです。
 「そのとおりだわ、農家のお嫁さんだって、夢を叶えるためにアルバイトしながら頑張ってる人だって、立派な社会人だと思うわ」しみじみと八重子が答えた。
 「乾杯しようか」八重子が言った。
 三人でグラスを持ち、
 「新たな出発に乾杯! 」
 その瞬間、店内にいたお客さんから一斉に拍手と歓声が起こり、わたし達はギョッとした。
 みんなが注目していたのは、実はテレビの画面、野球中継だった。
 巨人戦。一塁に篠塚を置き、4番、原 辰徳がホームランを放った、まさにその瞬間だった。


 生き方は、最後は自分で決めるものだ。だから責任も持てる。
 姉の子を我が子として愛し、育てる八重子。社会人として家業を継ぐという恵理……
 こうでなければいけない、などという事はきっと無いはずだ。


最終章


 今までたくさんの不思議な夢を見てきた沙和
 いったい何があったというのだろう
 いったいどんな意味があったというのだろう


   特別なことなど何も無い
 ごく普通のどこにでもいる普通の女性
 あなたのようでもあり
 わたしのようでもある


 たくさんの夢はたくさんの旅物語
 時間を超え見てきた世界は
 歴史の歯車の中ではほんのささいな点のような風景


 それでも沙和は体感した
 擬似体験といえども体感した
 夢からさめてもそれは憶えている


 自立 差別 恋愛 戦争 生き方……
 どれも間近でそれを見て
 沙和なりの感性で解釈してきた
 静かに
 そして確かに沙和の心に刷り込まれていった
 何故?
 誰にでもある事なのか
 そうかもしれない
 形は違っても耳にしたり目にしたり本当に経験したり
 それが単に「夢」だっただけなのかもしれない


 沙和…沙和…
 ほら呼んでる
 あなたを呼んでる
 この物語のもうひとりの主人公が……


Stage Final  わたしのSAWAへ


コツン、クルッ、パタパタ
 「元気に動きまわっているわね、あなた」わたし達の大切な宝ですもの……いつまでも


 「沙和、沙和」わたしは沙和を呼ぶ。
 「……お、かあさん?」沙和の声が聞こえた。
 「ふふ、びっくりした? 」
 「ここは一体どこ?なんかザーザーって聞こえるけど……何でお母さんの声が聞こえるの! これは何なの」
 沙和が慌てるのも無理は無い。今までとはまったく違った世界、実態のわからない世界に飛んだのだから……
 「沙和、今あなたはわたしのおなかの中にいるのよ、まだ生まれていない赤ちゃんなのよ」わたしは心の中で話しかける。
 「……」
 「びっくりしちゃったでしょ、今までも恐い思いや切ない思いいっぱいしてきて、今度はわたしのおなかの中なんだから……ごめんね」
 「おかあさんだったの?今までの夢……」
 「驚いた? 」
 「驚いたって、ちょっと待ってよ!訳がわかんない、超能力じゃない!」
 「ハハ、まさか!だからホントにごめん」わたしもどう答えたらいいのか、よくわからない。
 「あのね、あえて言うなら、わたしの気持ち、かな……わたしが沙和に見せておきたかった事、伝えたかった事、話してもわからないけど、見れば心に残るような、そんなわたしの思いなの」
 「でも……」沙和は半信半疑だろう。
 「どっちにしたってほら、これも夢なんだから、ね」
 「……そうか、そうだね、まぁいいか」
 沙和は夢の世界で、多くの経験をした。それらのひとつひとつが彼女に刷り込まれていった。それがこれからの人生にどう影響を与えるか、それは、その時々において沙和が考え、判断することだろう。親の願いはただひとつ、子供の幸せだ。ただただ愛しく、大切な命……
 「ねえ、おかあさん、おとうさんは? 」
 「ここに居るわよ、おとうさんわたしのおなかに手を当てて、嬉しそうにしてる」
 「あ、もしかしたらこれかなぁ……なんか光がうっすら射してて、あったかい」
 「きっとそうよ、まだ名前もないから、あかちゃんっていいながら…よくこうしているのよ」
 「そうなんだ、おとうさん結構厳しいから……なんか、なんか……」
 「あなたのおとうさんだもの」


 「おかあさん」沙和が言う。
 「なぁに、沙和」


エピローグ
 沙和の母は洗濯物を干しに、庭に出た。
 片隅に赤い彼岸花が少し咲き始めていた。
 なぜか胸がいっぱいになり、空をみあげる……そこに懐かしい両親の面影を見たような気がした。

                                                                             




Fin.

      お読みくださった皆様、ありがとうございました

by kaori
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