くるま日記

1988年9月     念願の車…
 無事に免許を取得しまして、お決まりのパターンですが、親の援助で車を買うことになりました。
 かねてから、スカイラインRS−TURBOが欲しくて、これがいいと親に言うと、「どうせあちこちぶつけるんだから、安い車にしなさい」と、あっさり却下されました。
 まぁ値段も値段ですから…(この当時のRS−TURBOは、中古で200万前後でした。)
 ということで、中古車雑誌を見ていて、ローレルの4ドアのMTが、手頃な値段でありました。
 まぁ焦っていたんでしょうね…この当時の私は…。電話で確認もとらずに直接お店に…。(^^;
 予想通りに、その車は売約済みでした。お店の方に「どんな車をお探しで?」と聞かれ、「日産車でMTで、値段の安いの」と、条件をつけるうちに、ピッタリの車がありました。
 ガゼール1800TURBO(3ドアハッチバック)、それも12万円!…。で、早速契約をしまして、後日車を受け取りに行くことに…。
 しかし、後で失敗に気付いた私…。車検が、翌年の6月だった…。                   つづく 
1988年9月     納車〜♪   
 うちの母同伴で、登録の手続き等をして、約1週間後位にガゼール納車と相成りました。
 連絡を受けて、会社をあがって浦安へ…。説明を受けて、若葉マークを貼っていざはっし〜ん!
 がしかし、ここで教習車がディーゼルだったことが、あだになる…。
 浦安駅前の交差点で右折しようとして、交差点のど真ん中で、スコンッ!エンスト…(^^;
 ディーゼル車って、教習所側としては、燃料費が安くていいし、教習受ける側は、トルクがあるため、半クラッチだけで、進むから楽なんです。(平地なら2ndスタートできるし)
 会社の同僚に、アクセルを軽く踏んで回転を上げクラッチミートすればエンストしないと教わり、今に至ってます。

 ところで、このガゼール、後付けのパワーウィンドウが付いてました。そして、謎の掃除機のパイプ…。
 掃除機のパイプの謎はすぐに解決。リアのハッチバックを開けると、スゥ〜っと下がってくる…。
 ようは、つっかい棒だった(笑) 
1989年4月9日     あぁ駐車違反… 
 気持ちよく晴れ渡ったこの日、電車で大宮まで出かける。
 駅まで徒歩15分程度のところを、わざわざ車を使ったことから、悲劇は始まる…。
 一方通行の道に路駐して、電車で大宮へ…。
 帰ってきて、買い物をして車に戻ると、右のガラスにべったりと駐禁ステッカーが貼られていました。
 でそのまま警察署へ…。
 青切符を切られ、ステッカーを剥がすが、これがまた上手く剥がれないんです。
 初めての違反でしたが、何よりも反則金が痛かった…。
 日付の4と9ってのが、縁起でもなかった。 
1989年6月     運命の日… 
 ついに愛車を廃車する日が近づいてきました。
 まぁ、私の最初の車選びが悪かったのが原因ですが…。
 ボーナス前に車検は厳しいです。それと、知り合いに見てもらったとこ、かなり費用はかかるとのことで、廃車を決意しました。
 6月の1週目の週末、天気のいい日でした。せっかくだから、すこし遠回りして解体業者に、車を持っていきました。
 いろいろぶつけたり、トラブルがありましたが、面白い車でした。
 同じ車種のレーシングカーと、オープンカーのプラモがありますので、完成したらUPしたいなと思っています。
 皆さん、中古車選びは、慎重に…。 
1989年6月      私が運転した車編…第1回サニーバネット(トラック) 
 自分の車がしばらくないので、ここからは、いままでにハンドルを握った車について紹介したいと思います。
 最初は、日産サニーバネット(トラック)です。(ちなみにガソリン車)
 たまに実家に帰って、高3のときにバイトしていた酒屋に遊びに行く(というか、行くと無償でお手伝い…^-^; )と、
 配達を頼まれてちょこちょこ運転してました。
 自分の車が、重ステだったのであまり苦にはなりませんでしたが、コラムシフトにはてこずりました。
 2から3速にアップしようとすると、5速に入ったりして…。
 一度、引越しの際に借りたのですが、引越しの日がよりによってお彼岸。引越し先の近くに墓地があるため、大渋滞
 んで結局、予定時刻にトラックを返せずに、店長に大目玉を食らったのは、言うまでもありません。 
1991年頃      私が運転した車編…第2回   日産ローレルメダリスト(E-HC33) 
 私の友人のご自宅の車です。
 ちょうどこの頃夜勤をやってたこともあり、友人と勤務明けが重なると、この車でよく撮影に出かけていました。
 AT車に乗るのは、教習車いらいです。
 ハンドルを握った感想は、ラクチン!、パワフル!高速道路でも凄い安定感でした。(高級セダンだから当たり前ですが)
 また私が、初めてスピードリミッターをかけた車でした。f(^_^)
 ちなみに、スピードリミッターがかかると、アクセルを踏んでも、燃料の供給が止まり、エンジンブレーキがかかります。
 (車速がおちれば、再び燃料が供給されます。)
 この形式には、MTの設定もあったので、欲しい車の候補にはあがりました。(当時の私の給料では…)
 とにかく長時間運転しても疲れない車でした。ただ、左足がさみしかった…。
1991年6月27日     車探し… 
 夜勤明けで帰宅途中、駅を降りて自宅とは反対方向、踏切を渡ったところの運送会社の、中古車に目がいきました。
 KPJR-30、早い話が1800TIの4ドア、マニュアルミッションの車を見つけました。
 値段も手頃だし車検もある。この車にしようかなと思いましたが、定休日…。
 念願だったRSをもう少し探してみようと、休憩時間に中古車雑誌に目を通す。
 カラーは、赤黒ツートンにしようと思ってましたが、会社の人に、赤黒は飽きるよ〜とのアドバイス。
 またこの年代の赤は、色褪せしやすいので、落ち着いたガンメタツートンにきめました。
 問題はエンジン、ターボにするかNAにするか…。結局値段と燃費を考え、NAにしました。
 ちなみに、当時中古の価格では、ターボ車はNAの2倍の値段でした。
 成田で1台見つけ、夜勤明けで車を見に行く…。
 店員さんにボンネットを開けてもらい、ちょっとヘッドカバーの赤が色褪せ、剥がれていますがエンジンをかけてもらうと、すこぶるいい音!で、即決ッ!
 手続きをすませ、気分を良くした私は、成田エクスプレスで帰ろうと、成田空港駅へ…。
 改札で身分証明書を見せ、用件を聞かれる…。すかさず、「NEXで折り返します」と答える私…。
 納車は後日…。楽しみぃ〜♪ 
1991年7月下旬     のうしゃ〜♪ 
 書類の手続き、車庫証明、車検等が終わり、約1ヵ月後の納車の運びとなりました〜♪。
 車を受け取り、気持ちよく高速で帰ろうかと思いましたが、渋滞の一般道で…。
 一度実家に寄ってから、アパートに帰る…。
 ハンドルを握りながら、FJサウンドに酔いしれている私…。
 今のとこは、車の調子もご機嫌ですが、おっていろいろトラブル・アクシデントに遭遇するとは、現段階では知る由もなかったのでした…。 
1991年8月     あきれてもう笑うしかな〜い〜♪ 
 会社の帰りに、近くのホームセンターで買い物をしていたときのこと、レジの順番が回ってきたときに、店内放送で私の車のナンバーが呼ばれた…。
 レジを済ませ、サービスカウンターに行くと、私の車をぶつけられたとのこと。
 まぁ駐車場内でぶつけられたということは、こすったかへこんだかだろうと、ぶつけた相手と店員と駐車場へ向かう。
 自分の車を見た瞬間、えッ!なんじゃこりゃぁ!
 バンパーの右カドが、左側にねじられてる…。フロントグリルも外れてる…。
 私の車の右となりの枠に止まってた2トンロングボディが、左の方に出ようとして、内輪差でバンパーをひっかけたということらしい。
 事故処理に来た警察官も「ここまで気が付きませんでした?」と加害者に聞いていたが、普通は、もっと早く気付くだろう?、どこ見てたの?ミラーはただの飾りかい?と私は言いたかったが、呆れて笑ってたf(^_^)
 まぁ、相手の保険で修理はされたのだが、事故処理後、警察官に「レッカー呼びますか?」と言われたが、「自走できるんで走っていきます」と言い。視界の妨げになるバンパーを元の状態近くまで曲げて、夕立のなか自走して行きました。 
1991年8月     初の遠出・・・ 
 修理も終わり、初の遠出は長野県・・・。
 早朝に自宅を出発し、国道16・17・18号とひたすらした道を走る。
 途中の碓氷峠旧道を、攻めるまではいかないけど、スポーツ走行・・・。
 熊ノ平で、EF63&特急あさまなどの撮影をして、長野市内へひた走る・・・。
 まぁテレビの生放送には間に合いませんでしたが、現地で生放送にきていたメンバーと合流して、東京へ・・・。
 渋谷で、路肩に車を止めたところ、私の車の前に自動車警邏隊のパトカーが…。
 警官が私のところに来て、「ちょっとアクセルふかしてみてくれる?」
 で私が「ブォ〜〜ンッ」とアクセルをふかすと、警察官「ちょっとうるさくない?」
 「マフラーはノーマルだし、先月車検通したばかりですけど」という私…。
 で免許証みせて職質開始…。
 なんとか開放されましたが、まぁ近頃の車が静か過ぎるんですぅ。  
1991年12月     法定6ヶ月点検・・・ 
 私は、点検や整備の際の納品書は、必ず保管するようにしているわけで、今回の日記は書き易いです。
 つうことで、購入してから半年、6ヶ月点検がやってきました。(この当時は、まだ行われてました。)
 今回は、ファンベルトの交換、サイドブレーキの調整、ラジエーターの清掃、クーラントの交換で、これだけならたいした金額ではなかったのですが、ここで始動不良が発覚・・・。セルモーターが原因ではなくオルタネーター(発電機)が原因でした。
 で、オルタネーターをオーバーホール&部品交換&さらにバッテリー交換とこれで約6万円也・・・。
 その他、私からのリクエストで、両サイドに「4VALVE DOHCRSのステッカーを貼ってもらう。(ホントゴールドステッカーが良かったのですが・・・)
 そして、ドアミラーから、電動リモコンフェンダーミラーに交換してもらいました。
 何故に?とお思いの方もいらっしゃると思いますが、もともとこの車は、フェンダーミラー車だったのです。それを、前オーナーが、後付ドアミラー(手動調整)に変えてました。
 これが、振動等でミラーの角度が変わってしまうので、インパネに電動リモコンのスイッチが残っているのを発見!。以前フェンダーミラー車に乗っていたこともあり、交換にいたったわけです。
 つまり私のスカイラインRSは、電動リモコンフェンダーミラーで落成、ドアミラーに改造後、再びフェンダーミラーに戻されたわけです。

 フェンダーミラー・・・、確かに見た目いまいちーですが、いいとこあるんですよ〜。
 その1、後方確認だけでなく、車幅の確認もフロントガラス越しにできます。
 その2、左後方の確認が、目線を飛ばすだけでできます。(ドアミラーだと、首をひねらないと見難いです。)
 だから、タクシーやパトカーなどは、いまだに多いわけです。 
1992年1月20日     やっちまった・・・ 
 前日というか、日付変わったあたりで、友人を送り届け、アパートに向かっていました。
 眠気を我慢しつつ車を走らせ、明け方4時過ぎ、2つ渡らなければらない踏切の一つを渡りました。
 ここまでは記憶があったのですが、衝撃が起こり気が付くと、右カーブでガードレールに衝突・・・。
 私は何とも無かったのですが、車は左前脚複雑骨折・・・。自宅まであと5分ほどだったのに・・・。
 自爆だったのが、不幸中の幸いでした。
 とりあえず、駐車場までレッカー移動してもらい、その後ディーラーへ・・・。
 診察の結果、治療費はかなりの金額に・・・(とほほぉ〜・・・)。普通は、廃車にしてしまうのでしょうが、お気に入りの車ですから、修理を決意!。愛車は全治6ヶ月の入院となりました。(同時にクラッチ板の交換も依頼)

 教訓「疲れたら、車を止めて仮眠!」〜にしても高い授業料になった・・・。 
1992年2月頃   私が運転した車編・・・第3回 スバルBF5BレガシーGTワゴン(初代)     
 このHPにも時々遊びに来てくださる、六連星(師匠だっけ?)さんのご自宅の車でした。
 作品紹介の逮捕な車のコーナーで紹介されている車の前の型です。
 確か初めてハンドルを握ったのが、長野に行ったときだったと思います。(いきなりスタッドレス・・・)
 ステアリングの重さもペダルの重さも、重すぎず、軽すぎず運転するのが楽しい車です。(後日書きますが、インプレッサは、ちょっとスポーティーです。)
 ちょっとビックリは、MTミッションで、オートクルーズコントロール(自動で一定のスピードにコントロールしてくれます。)が付いてるんです。
 試しに高速で使いましたが、結構ラクチンです。
 また、ローレルに続きまして、スピードリミッターをかけた車が、このレガシーでした。
 で、一般的に4WDは燃費が良くないといわれますが、スタッドレスタイヤで10.2km/l(10.4だっけ?)という当時の最高記録を私がたたき出しました(*^▽^*)
 以後、遠出するときは、うちのRSも出ますが、殆どレガシーでした。
 
 冒頭で、「でした。」と過去形になってますが、残念なことに昨年5月に老朽化により廃車されてしまいました。
 今考えると、私が後を引き継いで動態保存でも良かったのかなと思う反面、レストアは金がかかると、スカイラインRSで学んでるし・・・。
 また後々に登場しますが、私の3代目の愛車を買うきっかけになったのは、言うまでも無くこのGTワゴンでした。
 最近、MTの車がめっきり減ってます。次はスバルかなぁ・・・
1992年5月頃かな・・・  私が運転した車編・・・第4回 日産シルビア K's(2000cc) 
 私のお友達のOHLINS・MAGICさんの愛車でした。
 この車で、静岡へ撮影に行こうということでしたが、その夜電話がありまして、「クラッチが焼きついた」とのこと・・・。
 一度、私のとこへきまして、無茶しなければ大丈夫であろうと出発しました。
 私がハンドルを握り1国を走行中、前を走るZが挙動不審は動きを・・・、次の瞬間目の前にネコさんが・・・。
 回避運動が間に合わないので、下をくぐらせようと・・・、次の瞬間『ゴンッ!』と鈍い音・・・。
 ミラーを見ると、ネコさんがのたうちまわってる・・・。(頭上げなきゃいいのに・・・)

 でこの車、結構パワーあります。クラッチミートがラフになると、3速でもホイールスピンします。
 私は、したつもりはないのですが、OHLINS・MAGICさんは、「3速でホイールスピンした」と言ってます。
 で、帰りの高速で最高速〜♪と、アクセル踏みましたが、おっかなくてスピードリミッターまで踏めませんでした。
 化け物みたいなパワーの車ですが、操作性はいいです。(RSよりも疲れないです。)
 この車も、ドッカンターボですが、やはりターボの加速Gはいいですねぇ〜。
 
 でその後、R246のスタンドで給油&乗務員交代しましたが、ここでアクシデント・・・。
 OHLINS・MAGICさんが、気持ちよく1速でアクセル全開〜♪、私は嫌な予感が・・・。
 次の瞬間、スローダウン・・・、路肩に止め、マシンを降りてリタイヤ・・・、じゃ無くてハザード点けてJAFを待つ・・・。
 トラブルの原因は、クラッチの焼きつきでした。
 被牽引車のハンドルを私が握り、近くのディーラーへ・・・。牽引されての踏切通過は怖かったです。

 でこの車も強化クラッチを入れたりしたようですが、現在は存在しません・・・。(いい車だったのに・・・)
 OHLINS・MAGICさんの次なる車は、本当に化け物みたいな車です。まだ試乗してないので、リポートはまたいずれ・・・。 
2004年8月   私が運転した車編・・・第4回 NISSAN SKYLINE RS-TURBO(見た目は…) 
 本来なら、もっと後に登場する予定でしたが、忘れないうちにと思いまして、登場です。
 この車は私のお友達のOHLINS・MAGICさんの2代目の愛車です。先日、遊びに来た際に試乗させてもらいました。
 タイトルで見た目は…と書きましたが、DR-30は、ボンネットを開けるとFJ-20ETという4気筒2000ccツインカム16バルブのエンジンが載っているのですが、この車には7代目スカイラインのRB-20DETの6気筒2000ccツインカム24バルブターボなんです。だから、車検証の型式欄には『DR-30改』と記されちゃってます。
 もともとR-30のエンジンスペースは6気筒エンジンが載るように設計されていますので、こんなことができちゃったりします。
 外装は、西部警察のマシーンRS-2(かな?)を意識してます。内装もバケットシートが入り、ロールゲージは組んであるし、あとはコンピューターを積めば…みたいな…。
 いざ、試乗ですが、エンジンをかけて見ると、思ったよりアイドリングは静か…なんですが、放っておくと「スコンッ!」といって、エンストします。停車時に少しアクセルをあおってやらないとダメです。(慣れるまで苦労しました。)
 で、クラッチが重いです。NAのRSしか乗ったことないですが、NAのRSより重いです。んでミッションがクロスレシオ(各ギアのギア比が近い、加速重視のミッション)なので、5速で走っても普通の車の3速みたいな感じです。
 早速、高速に入りまして、誘導路で、加速テスト…。2000〜2500rpmくらいまでは、少々もたつく…この辺は、以前乗ってたRSとほぼ変わらず…。そこから、3800rpmくらいまでは、ツインカム独特の吹け上がり(これでも加速Gはかかります。)
 んで、3800rpmを越えるあたりから「どっか〜んッ!」と、ターボの加速Gが…。例えるなら、空母のカタパルトから発艦するトムキャットみたいな…。
 最高速アタックは220km/hまでしか踏めませんでした。というのも、最近の車のように、速度が上がると重くなるパワステは付いてないので、めちゃめちゃ軽いんですよ…。
 で、ブレーキについてもR32GT-Rのブレーキが入っているので、効きはめちゃめちゃいいのですが、ABSが付いてないので、一気に踏み込むとロックします。(私もロックさせて、白煙上げました)
 私としては、高速時のステアリングの軽さと、不安定なアイドリングが解消されれば、乗りやすい車になるかと思います。

 OHLINS・MAGICさんの愛車DR-30改(許可を得て掲載) 
1992年07月02日     無事退院…。のはずが… 
 6月に、全治6ヶ月で愛車が退院いたしました〜。(お金かかったけど…)
 で、ここから燃費を記録するようになりました。
 燃費とは、1リットルのガソリンで何Km走るかってことです。
 測り方は、ガソリンを満タンにしたときに、トリップメーター(スピードメーターのとこにある、桁の少ない距離メーター)をリセットします。
 で、次に給油した際のトリップメーターの距離を、給油した量で割れば燃費がでます。
 さて、愛車退院後、実家に行き、用事を済まして帰宅途中、排気温度上昇の警告灯が点灯…。アイドリングになると消える…。
 んで、走行してもいつものバキュ〜ンッていう吹け上がりも無し…。だんだんイライラして、近所の工業団地内の直線でアクセル全開ッ!。で、信号で止まったときに「カンカンカンカン・・・」と何かをたたく音が、エンジンから・・・。
 洗車場でボンネットを開けてみると、なっなんと、プラグが折れてた…。(^o^;
 急場しのぎで、スタンドで折れたプラグを交換…。翌日ディーラーで4本交換しました。
 排気温度上昇の警告灯が点いたときには、折れたプラグは火花飛んでなかったんです。
 ちなみにこのときの燃費は6.03km/lでした。  


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