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母系社会を営むモソ人の村へ
(遠藤耕太郎の報告)

◆連載◆ 母系社会を営むモソ人の村へ(遠藤耕太郎の報告)

その4:
ワラビ村の温泉
 (2002.8.3更新)

 ワラビ村の入り口には温泉がある。この温泉はいわくある温泉で、70年ころまでは露天の温泉であり、男女は混浴していたらしい。農閑期にはその周囲で煮炊きをし、数日間泊りがけで温泉に入っていたという。厳汝嫻・宋兆麟『永寧納西族的母系制』には、その当時の写真が掲載されている。それはよいのだが、この本の著者はこの風景を集団婚のなごり、野合群婚との説明を施している。これはモルガンらの提唱した集団婚から氏族外婚に進化するという見方に、モソ人の妻問いを重ね合わせたもので、この温泉場では氏族外婚制のごく初期(低級)の形態としての、集団的な野合群婚が見られ、それが進化して個別に男が女のもとを訪れる妻問いになったというわけである。むろん現在では、こうした進化論図式的な序列づけ自体が批判されてることは言うまでもない。私の聞き書きでは、農閑期、特に正月には、友だち同士で食料品をもっていくこともあるというから、こういう機会に妻問いの相手を捜そうとしたこともあるだろうし、夜、温泉から少し離れた畑や山陰で男女が性の営みをすることも当然あったろう。本章で述べるように、モソ人にとって村外、しかも夜は恋の空間、恋の時間である。それは妻問いを行う彼らにとっては当然の行為であり、今後進化すべき低級の婚姻形態であるはずはないのである。
 なお、モソ人の妻問いは、やはり今後進化すべき対偶婚であるというのが彼らの立場である。モソ人がいつから妻問いを行っているかは、実際には不明だ。ワラビ村の民間宗教者ダパであるトディは、もともとモソ人は一夫一婦の結婚を行っていたが、いつしか妻問いに変わったのだと考えている。それは彼のダパの師であった彼の母方祖母の兄(ソナタジャ)に教えられたことなのだという。また、トディに聞いた説話や昔話には、結婚に関わるものは多いが、妻問いに関わるものは極めて少ない。父系一夫一婦制が母系妻問いに変化することは、現在の双系家庭の35%が子の世代に妻問いを行っているという前掲の陳烈の調査からしてもありうべき方向である。つまり、現在モソ人はなんらかのメリットがあって、母系妻問い社会を維持しているとしか言いようがないわけである。
 露天の男女混浴という温泉の評判は70年代には寧★にも聞こえ、県の役人も訪れるようになった。そうした中で、男女隔離の政策がある高官から出され、浴槽に塀が建てられたのだそうだ。一度はこの塀はモソ人の手によって壊されたが、再び78年には塀が建てられたのだそうだ。それはモソ人の意見も聞いたもので、1メートルに満たないものだったという。しかし、90年代には現在の立派な建物に建て直された。(上述の温泉の歴史については、中国人ジャーナリストによる紀行文(沈★著、譚佐強訳『西南秘境万里行』恒文社)によった。)現在の温泉は我々が普通に想像する銭湯のようなもの。ただし洗い場はない。湯船には20人ほどなら普通に入れるだろう。湯量は豊富で数週間ぶりの温泉は天国だが、皆が浴槽の中で洗剤で頭や体を洗うため、湯の取り入れ口付近にいたほうがいい。
 温泉のとなりには三軒ほど旅館があり、また夜にはワラビ村の若者目当てに、ビデオを上映するビデオ上映館、ダンス場が開かれる。村の多くの若者はほぼ毎晩、ビデオ上映館やダンス場に遊びにくる。一人5角。(1元の半分だが、一月15元は馬鹿にならない。)ビデオ終了がだいたい夜中11:00ころ。それから彼らは大声で流行歌(チベット出身の歌手が漢語で歌う、チベットの自然を主題とした歌が流行していた。)を歌いながら、帰ってくるのが日課となっている。電気は、ワラビ村までは引かれていない。以前から「来年の春節までには通る」という噂はあったが、2年たった2001年の春節にはまだ通っていない。ビデオ上映館もダンス場も発電機で営業しているのであった。冬には、道端に小さな露天の焼き肉屋(焼★)がでる。鳥の砂肝や足の指の部分、豚の腸などを焼いて食べる。私の友人トディはこの焼き肉屋でモソ人の伝統的な歌アハバラの掛け合いをして楽しんだといっていた。(なお、2002年夏に、ワラビ村に電気が通じたとの知らせを受けた。)

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