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その2:
中国民族学(民俗学)における「走婚」の分類 (2002.5.19更新)
モソ人が"セ[se]"、"セセ[se
se]"と呼ぶ妻問いを、中国民族学は「走婚」という学術用語によって表わしていることは既に述べた。中国民族学はモソ人の子の生産の形態を以下の三種類の婚姻形態として位置づけている。(本書は妻問いを婚姻形態とはみないため、「妻問い」、「子の生産の様式」などと表記する。)
第1に、「アシャ別居婚」。昼間は男女はそれぞれの実家で生活・労働し、夜になると男が女のもとを訪れ、翌朝まだ日が昇らぬうちに実家に帰るという形態である。「アシャ」というのは、現在では、男が妻問い関係にある女性を呼ぶ呼称となっているが、比較的新しく用いられるようになったという。アシャと近似する語に「アジュ」という呼称がある。現在、「アジュ」は女から妻問い関係にある男を呼ぶ語として意味づけられているが、古くは妻問い関係にある男女がともにアジュ(友達)という呼称を用いていたようである。「アシャ」、「アジュ」ともに、「友達」という程度の意味のモソ語であるが、中国民族学ではそのまま「アシャ<阿夏>」「アシャオ<阿肖>」、「アジュ<阿★>」「アジュ<阿注>」などと表記して用いている。そのため、「アシャ別居婚」は「アジュ別居婚」と呼称される場合もある。日本においては、厳汝嫻主編『中国少数民族婚姻家庭』(中国婦女出版社、1986、北京)の翻訳版である、江守五夫監訳、百田弥栄子、曽士才、栗原悟訳『中国少数民族の婚姻と家庭』などによって、阿注婚、阿肖婚として紹介されている。
第2に、「アシャ同居婚」。これは妻問い関係にある男が、女の家に居住し、女の家の労働に携わるという形態である。第1のアシャ別居婚と第2のアシャ同居婚は、それほど明確に区分けされているわけではない。というのも、アシャ別居婚でも、女家から頼まれれば女家の労働を数日間手伝うこともあり、また同居するのに特に儀式が行われることもないからで、結局女家にいる時間の長短という程度の差になってしまうからである。従って、第1、2をまとめて、「アシャ婚」「アジュ婚」と称する場合もある。
第3は「一夫一妻制」(一夫一婦制)、つまり父系原理によって成り立っている婚姻形態である。
また、これらの婚姻形態を家庭のあり方と対応させて、第1、第2を母系家庭、第3を父系家庭と呼んでいる。母系家庭には、純母系家庭と双系家庭とがある。双系とは母系と父系が入り交じっているとの意だが、例えば、親世代は妻問いによる母系家庭なのだが、子世代では父系原理により嫁を貰っていたり、或いは親世代は一夫一婦制の父系家庭なのだが子世代が妻問いをしていたりする場合である。
1983年末から84年初にかけて、陳烈(雲南省文連)の行った調査(『最後的母系家園』雲南人民出版社・1999年10月)によると、永寧郷の20自然村の全527戸において、総人口3,725人、うち男1,847人、女1,878人であった。女性のうち、成年女子(16歳以上)は1,178人で、全女性の62.7%。成年女子のうち、出産経験のある者が745人で、成年女子の63.24%。出産経験のある者のうち、アシャ婚(別居、同居)による者が393人で、出産経験者の52.75%であったという。また、全527戸のうち、純母系家庭171戸(32.4%)、双系併存家庭144戸(27.6%)、父系一夫一婦制家庭212戸(40%)であったという。
1956年の調査(厳汝嫻・劉尭漢『雲南省寧★彝族自治県永寧納西族社会及其母権社制的調査報告』他)によると、調査対象335戸のうち、母系家庭170戸(50.7%)、双系家庭144戸(43%)、父系家庭21戸(6.25%)である(★はラン、草かんむりに浪)。1956年には妻問いを行う家庭は、母系家庭、双系家庭を含めて90%を越えていた。ほぼ30年後には60%に減っている。陳烈は、60年代の文化大革命期において、この地でも強制的に一夫一婦制の押しつけが行われていたことをその理由と考えている。それが最大の要因であることは認めてよいだろう。同じく陳の調査によれば、双系家庭のうちの50戸(34.72%)が、親世代が父系一夫一婦制結婚であり、子世代がアシャ婚を行っている。これは陳のいうように文化大革命が終わり、伝統的な母系妻問いが許されるようになったことを表わしていようが、さらに前述したように、「摩梭人走婚」という優勢異文化(漢文化)との接触による少数民族的アイデンティティが広まりつつあることをも反映しているだろう。
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