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母系社会を営むモソ人の村へ
(遠藤耕太郎の報告)


その1(2002.4.1 更新)

麗江から北に300キロほど、雲南省の西北、四川省との省境にルグ瀘沽湖という湖がある。この湖の周囲にモソ人と呼ばれる人々が住んでいる。母系社会を営む人々として文化人類学や民族建築学など学問的にも、また観光客の興味をそそる点においても、さらに日本ではテレビのクイズ番組の題材としても取り上げられ、よく知られた存在となっている。
このモソ人居住区へ行くルートはいくつかあるが、そして交通手段もいくつかあるが、筆者は雲南省の省都昆明から夜行バス【この夜行バスは西駅出発なので注意】で寧★(★はラン、草かんむりに浪という字。以下同じ)へ行く方法と、一旦麗江にでて【昆明―麗江は、飛行機、豪華バス、普通のバスがある。飛行機は40分くらい。】、そこからバスで寧★に行く方法をとっていた。どちらも寧★でバスを乗り換え、さらに40キロほど北上するとルグ瀘沽湖である。
夜行バスは寝ているだけなので【それから後ろの人の足が、自分の頭に接近するため、はじめは臭くて大変。】、ここでは麗江からの道筋をたどりながら、私の調査地永寧郷ワラビ村(ルグ瀘沽湖より北西17キロほど)、四川省側の屋脚郷リジャズ村までの様子を描きながら、考えたことなどを記しておきたいと思う。
麗江から一口に300キロといっても、乗合バスでの移動には、ほぼまる一日かかる。それもうまい具合に乗り換えバスの接続があれば、そして夏季には日常茶飯事になっている崖崩れによる通行止めがなければの話しである。中国では市場経済の導入により豊かな人々が増え、つまり経済格差が広がり、多くの金持ちたちが日本製ランドクルーザーを飛ばして、我々の乗合バスを平気で追い越して行く。バスは地元の漢族や少数民族の人々の足として、彼らの乗りたいところ、降りたいところでその都度停車し、のんびりと走っていく。そしてバスにすら乗れない人々は歩いていく。
長江の上流金砂江を渡り、いくつかの峠を越えて、3,000メートルに達する最後の峠を越えると、ルグ瀘沽湖が一望できる。晴れた日には標高2,700メートルの湖がすぐ近くの空を移してきらきらと紺碧に光っており、まことに爽快である。ルグ瀘沽湖は雲南省ではよく知られた観光地である。湖はおよそ50平方キロメートル、平均水深45メートル、透明度11メートル。この湖の中を南北に雲南省、四川省の境界線が走っており、この湖の周囲に両省にまたがってモソ人が暮らしている。人口は全体で四万人弱。雲南省側の湖岸の洛水という村には、都会からの(台湾や香港の人々や日本人、西洋人などの海外からの旅行者もいる)観光客目当てに民族色を売りにする民宿が十数軒あり、結構繁盛している。民宿はモソ人の伝統的な建物を真似たり、改装したりしたもので、ちょうど北京あたりの四合院と似た形に配列されている。中庭をはさんで、門の正面に一階建の母屋、左右に二階建の建物、門の二階にも部屋があるのが伝統的な民家の建築様式である。左右の一階は家畜小屋で、その飼料や薪置き場になっている。二階はラマ経を信仰する彼らの仏間、老人男性の部屋、それから妻問いを行っている女性たちの部屋というのが、伝統的な民家の部屋割りであるが、民宿の場合は、左右の建物の一階、二階、門の二階を客室として提供している。
この洛水村は、他のモソの村落と比べ、観光収入の多い村である。雲南省昆明を始めとし、広東省や上海などの都市部から、旧正月や夏休みなどの旅行シーズンには多くの観光客が訪れる。彼らを目当てにして、比較的大きな民宿の前庭では、毎晩モソ人の伝統的な踊りを模倣した踊りが行われる。その民宿の泊まり客には無料で見せ、その外の泊まり客からは一人10元をとって見学を募っている。10元はおよそ15円であるが、地元のモソ人の感覚からすれば1,500円ほどの感覚である。その観光用の踊りには、洛水村の各家庭から若者または娘一人が駆り出される、というよりも出てもよいとされている。各家庭にとっては、この踊りによって得る報酬は貴重な現金収入源であるため、各家庭一人とあらかじめ決められているのである。昼は、湖畔でモソの衣服を貸して写真を撮らせたり、出店をだして簡単な料理を食わせたり、馬に乗せて散歩したり、また舟に乗せて湖の小島にあるチベット仏教寺院まで案内して、現金収入を得る。夜の踊りと昼の舟や馬などの分担は、村を二組に分け、一ヶ月交代で行うようである。
観光客の目当ては、母系社会を維持し、妻問いをしている人々への興味である。それに応えて、村人たちも「摩梭人走婚」(モソ人は妻問い)を観光客に積極的に説明してくれる。ある男性が夜道でも懐中電灯なしにすたすた歩いていたので、それを褒めると、彼は始めて我々に会ったにもかかわらず、「我々モソ人は走婚(妻問い)で、毎晩、女のもとに通っているから、道は全て覚えている」などと話しはじめた。「走婚」とは、中国民族学(民俗学)の学術用語であるが、男女はそれぞれの実家で生活・労働しており、夜になると男が女のもとに通うという子の生産の形態を指している。モソ人は、この形態を"セ"、或いは"セセ"とよぶ。"セ"とは、歩くという意味である。中国語で"歩く"は"走"であるから、中国民族学の用いる「走婚」とは、"セ"をそのまま、一種の婚姻の名称としたものである。
現在、就学年齢に達した子供の多くは、小学校に通っているが、小学校では、「漢族は一夫一妻制、モソは走婚」と教えられているようだ。民族のアイデンティティは、他の民族との関わりにおいて必要になるものであるが、モソ人の場合、一夫一婦制の漢民族に対して、「走婚」する民族というのが、学校教育やさらに現実的には観光客に代表される他民族のとの関わりにおいて、彼ら自身のアイデンティティとなってきているようだ。後にも触れるが、彼らにとって妻問いは本来秘密にすべきことであり、個人的な妻問いを語ることは恥ずかしいというのが、彼らの伝統的な感覚である。学校教育や漢民族との接触において、妻問い相手を「妻子」(中国語で「妻」のこと)として紹介されもしたが、こうした新しい感覚ができあがってきている。
夜に行われる観光客目当ての踊りはもちろん、昼間の湖上の観光用の舟の上でも、モソの歌謡を聞く機会は多い。そのほとんどは漢語に翻訳されたモソの固定歌詞の民謡(獅子山の歌)や、商業ベースに乗って漢族の作詞家、作曲家が創作した新民謡である。本書を通じて明らかにすることではあるが、これらはモソ人のローカルな歌のあり方ではない。特に商業ベースに乗った新民謡は、妻問いをしている男女の気持ちを抒情的に歌いあげているが、それはあくまでも中央の漢文化の視点から解釈しなおされたモソ人の抒情でしかない。それらが漢語に翻訳されていることに端的に見られるように、そこには自己の民族文化よりも優勢な異民族文化(つまり漢文化)からの視線が働いている。こうした歌が、踊りの場や舟の上で朗々と歌われるのであるが、そこには優勢異文化によって特殊なものと位置づけられた自己の文化を、彼らの文脈に沿って表現し、自慢するというアイデンティティの表出がある。これは少数民族に多く見られるアイデンティティの持ち方であり、我々日本人もまたこうしたアイデンティティをもっている。

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