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| 車山高原 | ドバイ・トルコ・ギリシャ旅編 | 車山高原の概略 | ||||||||||||||||||||
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<ドバイ・トルコ・ギリシャ12日間旅行>世界遺産めぐりの旅。 (決行日:平成21年6月15日〜26日 12日間)JTB旅物語主催 旅行記:概略日程:空の旅(羽田〜関空〜ドバイ〜イスタンブール) 寝台特急にて(イスタンブール〜テッサロ二キ)現地はバスにて移動 今までに無い、旅行者主催の添乗員同行、12日間3食付きの世界遺産巡りの旅で、まずは、40度近い猛暑のドバイ半日市内観光、航路にてトルコに移動し、日本の国土の2倍近い広さを持つトルコの約半分程度をバスにての移動。 時にはバスにて、1日700km〜400kmの移動があり、大陸鉄道の寝台特急鉄道オリエントエクスプレスにてギリシャに移動し、バスにて1日約300km〜400km移動しながらギリシャを縦断し、最後にエーゲ海を1日クルージングにて3島巡りなど、非常に強行なスケジュールの旅行でした。 1日目 <6月15日>月 晴れ 自宅〜東京(羽田)発〜関空港空着〜関空港空発 ペンションを12過ぎに出てJR茅野駅目差す。 駅に向かう途中、旅行で必要なものを買い揃え、茅野駅発13:25発のあずさに乗車。 2時間10分ほどで新宿駅に着き、山手線に乗り換えモノレールを利用し羽田にPM4:50頃到着。 集合時間(5:30)より少し早く着いたが、羽田にて時間調整し、集合所に行くと、添乗員(黒田さん)に出迎えられる。 すぐに搭乗手続きを行う。ほかの方は既に手続きを済まされていた。 ここで、全日本(21歳以下)のラグビー選手達が、搭乗口で一緒になり、同じ航路にてドバイまで行くことになる。 東京(羽田)発 20:30 エミレーツ航空(EK6251) 搭乗すると、近くにラクビー選手が乗っており、椅子が狭そうで、少し可哀想かなと思う。 関空21:55頃到着 少し予定(21:45)より遅れ、国際線に移動。 関空 発 23:15 エミレーツ航空(EK317)にて、 ドバイへ ”GO” 2日目 <6月16日>火 晴れ ドバイ着〜 ドバイ発〜 イスタンプール着 現地時間(時差6時間) ドバイ空港着 4:22 入国審査員は女性であり、早朝の到着であったのかも知れませんが、審査態度が適当な感じで時間がかかり過ぎ、近くにいた男性職員が私のそばにやって来て、本日の午後よりトルコ行に乗り換える事を告げ、女性審査員に渡しているトルコ行の搭乗券に指をさし、確認を促したところ、無事審査を終える事が出来、やっと入国。 ”乗り換えするのに、一度ドバイ市内観光をしてから、午後より出国するのが珍しかったのかも・・?? 空港の両替所で(ユーロに両替¥10,000円分) 5:18〜13:30の間 バスにて、ドバイ市内観光。 パームジュメイラ(ナツメヤシのこと)、高層ビル群、世界一の高いビル(バージュドバイビル)、サッカー 選手のロナルドも泊まったと言われる、一泊350万円ほどするスイートルームがあるホテル、ジュメイラモスクなどを見学し、アブラ船に乗り湾を渡り、ゴールドスーク・スパイススーク(市場)などを観光。 (一泊350万円スイートルームあり) ドバイ博物館 上の写真は、博物館内に作られた人形と撮りました。 アブラ船 スーク(市場の雰囲気) ここで、イスラム教の事をお話すれば、 イスラム教には;スンナ派とシーア派とがあり、派によってモスクも少し異なります。 スンナ派;砂色(淡橙色)で、礼拝は5回 ・・・アラブ シーア派;青いタイルを張ったものの様に明るい色、礼拝は3回、 ・・イラン、イラク、 バーレーン 拝む方向は、サウジアラビアのメッカの方向を見る。 イスラムは太陽暦なので1か月は、新月から新月までで29日か30日で、1年で354日と成る。 午後 ドバイ発 14:30 EK121にてイスタンブールへ イスタンプール17:50 現地時間(時差1時間) 空港で(トルコリラに両替¥10,000円分) トルコ国内観光用のバスが待機しており、現地ガイドのゲルセイさんに迎えられる。 夕食のレストランに行く道中に、コンスタンチノーブルの城壁・水道橋金角湾に架かる橋(日本の石川島が建設)などを車窓より見学する。 ゲルセイさんが詳しく説明をするが、説明が早く、長くで、書き取れませんでしたが、一部は以下のとおりです。 「この水道橋は(バレンスの水道橋?)1700年前の建造物だそうです。 イスタンプールは、ボスポラス海峡を境としヨーロッパ側(大陸)とアジア側(大陸)に分かれており、また、ヨーロッパ側には金角湾を境に、旧市街地と新市街地とに分かれている。 旧市街地は、木造の建物であったが、現在は建て替えられコンクリート造の建物が建ち並んでいます。」 レストランは、この旧市街地に位置しトルコ料理ターシキブレッド(ナンの事)を食べる。 pm9:00にホテルに。 ”〜ん疲れた”って感じです。 3日目 <6月17日>水 晴れ AM Am 6:30起床 部屋の窓を開けると、東側の丘から朝日。 Am8:30 発 イスタンプール市内観光。 バスにて ホテル発 8:30 少し遅めの出発でしたが、これぐらいが丁度いいのかナア〜って感じで、ブルーモスク・トプカプ宮殿・アヤソフィア・地下宮殿巡りの市内観光へ、しかし、ブルーモスク周辺が非常に混雑しており、 まず、トプカプ宮殿を見てグランドバザールへ。 ブルーモスクは午後に行く事に。 トプカプ宮殿内のトルコ風呂 ”話は変わりますが、トルコ式トイレについて感じた事を言えば ” 日本の和式トイレに似ており、両サイドに足の置き場があり真ん中の溝に用をたし、それを水で流す。 だた、少し違うのは座る向きが反対方向が多いので、日本の人は良く間違って用を達しているみたいです。 ”トルコに行かれたら、要注意です。” また、洋式トイレもありますが、処によって便座が無く便器に直接座り込むと言ったものもありました。 ”これにはチョット戸惑いました。” その後、チャーター船でボスポラス海峡クルーズへ。 チャーター船にて ボスポラス海峡クルーズ このボスポラス海峡は、アジア大陸とヨーロッパ大陸の狭間にあり、西は黒海、東はエーゲ海、地中海が位置し、非常に重要な海峡であります。 特に日本にとっても、オスマントルコ時代に影響がありました。 日露戦争時のロシア艦隊がこの海峡をトルコ軍が日本側についたので、通らせなかったようです。 日本側についた原因も、また、トルコ人が、我々日本人がトルコの事を思う以上に、非常に親日家が多い事には、歴史上重要な出来事の理由があります。 トルコと日本の歴史的出来事 <歴史上重要な出来事とは> 「日露戦争をさらに遡る、1890年(明治23年)の出来事である。 1887年に皇族がオスマン帝国を訪問したのを受け、1890年6月エルトゥルル号はトルコ使節団を乗せ横浜港に入港。 明治天皇の表敬訪問など3ヶ月間両国の友好を深めたあと、日本を離れたが、この帰路の時に、和歌山県の串本沖合で台風に遭遇し、強風にあおられ岩礁に乗り上げ、エンジンが大爆発し沈没してしまう。 その時、トルコ人の難破した人々を、樫野地区の住民が助け、住民の人達が手厚い看護をし、その後、日本の船で無事トルコに帰国させている。」 また、当時、日本国内では義援金も集められ、遭難現場付近の岬と、地中海(エーゲ海)に面するトルコ南岸の双方に慰霊碑が建立されている。 トルコの歴史教科書にも掲載され、トルコの子供達でさえ知らない者がいない出来事と成っています。 犠牲者; 587人 、生存者; 69人 である。 その後、ご存知の方も多いと思いますが、イラン・イラク戦争の時に、多くの邦人がテヘランに待機させられ、当時の日本航空も、安全が保障されないとの理由でイランへの乗り入れを断念したが、トルコ航空機が邦人215人を救出してくれた事はご存知の方は多いのでは、無いでしょうか? この時、日本の新聞には「日本がトルコ経済援助を強化している」と の理由でと書かれたそうで、この記事を書いた記者が日本とトルコの歴史的深い繋がりがあることを知らなかっただけであるとされています。 0:30 海の見えるレストランで昼食を済ませ、革製品の店を廻りブルーモスク・地下宮殿 ブルーモスク、アヤソフィア、地下宮殿 ・アヤソフィアを見学。 ブルーモスク;ブルー(トルコ石の色)モスク(修道院)のことであり、 正式名;スルタンヤソスキ 王様の名から、規模;φ216m H=46m 非常に人が多くいて、イスラム教徒の人達も礼拝されていました。 ブルーモスク 天窓 アヤソフィア;アヤイリ;レンガ造り。アヤスク;モスクのような。 AYASOFYA(英,HAGIA SOPHIA(ギリシャ語;聖なる) 6世紀の建物。 規模;ドーム内の高さH=60mある。 ポロフィル石(パープル紫色)レバノン産、非常に大事にされている。 アヤソフィア 地下宮殿;現在貯水槽として利用されている。 地下貯水槽内のレストラン 夕方ホテルへ戻る。 ベリーダンスショー pm8:00 ホテルを出てベリーダンスを見ながら夕食を摂る。 22:30 ホテルに着く。 明日朝が早いので、すぐに寝る。 4日目 <6月18日>木 晴れイスタンプールからフェリーで 〜165km Am6:50起床。 ホテル発 7:00 5時モーニングコール、6:15荷物をドアの外へ 6時〜に朝食を済ませ、すぐに出発。 ”これからは、このパターンが続きそうですが” 今日のバス移動 6百数拾km。 バスに乗り、マルマラ海峡をフェリーで渡り、ブルサへ。(約75分) ブルサ、イズミールの町は美人の人が多いようです。 確かに綺麗な方が多かったです。 ブルサ 9:06 ブルサのモダニア港に着岸。 ブルサ市内観光。バスにて 〜455k ブルサの町並み ブルサの街の人口は≒150万人、桃の産地である。 ウルモスク前で トルコ調建物 アジア大陸側にあり、アナトリア(アジア側の大きな半島)、オスマントルコ時代には、大都市で、ブルサ→エディルネ→イスタンブールに移り変わったそうです。 この古都ブルサで、ブルサの象徴グリーンモスク・ウルモスクなどを見学し、路地に広がる商店街をウィンドウショッピングと言うよりブラブラショッピングで時間をとる。 ここで、トルコならではの、のび〜るアイスクリームを食べました。 ”ここで、トルコの人に一緒に写真を撮る事に” ここでも親日家の感じでした。 昼食は、ブルサの名物イスケンデルケパブを食べ、古代の温泉都市バムッカレへ。 バスに揺られ、延々460kmほど走ると、山間に石灰棚が見え目指すバムッカレが近ずく。 バムッカレ 20:00 バムッカレのホテルに到着。 すぐに夕食をとり、温泉に入る。(水着着用です) 温水プールにも浸かり、身体の凝りをほぐし、床に就く。 早朝のホテルに雰囲気。プールの上に露天温泉。 バックの山の中腹にバムッカレ石灰棚。 ホテル 5日目 <6月19日>金 晴れ Am5:30起床。バムッカレ Aホテル発 7:00 ホテルを出て、すぐの所(裏山)にバムッカレ石灰棚とビエラポリス遺跡を見学。 ホテルの部屋から 6日目<6月20日>土 晴れ Am6:30起床 カッパドキア ホテル発 8:00 バスに乗り、ギョレメの谷のカイマルク地下都市を見学、この地下都市を造ったのはキリストの修道士達だそうです。 当時、ローマ帝国のキリスト弾圧から逃れるため、また後にアラブがトルコを攻いった時にも、これらの弾圧から逃れる為、地下約3階ほどの地下都市を設け、各部屋を繋ぐ細い通路を何本も造り、この通路の一部に大人が、かがまないと通れない箇所を造りその側面の壁に開けられた小さな穴より、通ずる部屋から、この通路を通り抜けようとする兵士に向かって、槍などで突いて通らせなかったそうです。 地下街の通路 此処に居るキリスト教徒の地下街が、この谷に何箇所もある事は周知していたが、この地のキリストの弾圧をあきらめ、この街を通り過ぎた事で現在に残されたと言われています。 その後、この地下街が発見されたのは、雪が降り積もった状態で空から見ると所々に、地下街の竪穴部分の空気穴(煙突の様な部分)の積雪が抜け落ち黒くなっているところを見つけ、ここに、地下街があるのが分かり発掘(発見)されたそうです。 地下都市内の通路 この地より、少しバスで移動した処に、岩の尖がり部分ばかりが、あちらこちらにあり、山肌が雨で浸食された状態の渓谷の神秘的な場所。 すなわち有名なカッパドキアが広がっていました。 尖った岩山が三つ並んでいるスリーシスターなどをバスで巡り見学し、昼食も洞窟レストランで済ませ、近くの町にあるトルコ石、絨毯のお店を見学しました。 洞窟レストラン ツアーの同行者の皆さんと このトルコ絨毯の店は [トルコの国がトルコ絨毯を保護するため、織師の育成をするため、育成学校を設置して、この村人たちに指導し、村人が織った絨毯を、国が責任をもって、販売を行っている] 絨毯の製作工程の説明をし、価値のある絨毯の見分け方等を、公務員に当たる人達が、流ちょうな日本語で説明をしてくれていました。 また、買った方には、買った値段(非課税、送料なし)で、製品は日本の自宅まで送るというシステムをとっていて、買った製品にその場で自筆でサインをし、製品と関係者と一緒に写真を撮り現地で、この写真と保証書、契約書を受けとると言う、製品に対しての補償など、安心、安全のやり方 でした。 「この村は、1891年にオスマントルコの王様の命令で当時の絨毯の天才職人が集められたヘレケ(HEREKE)の町が出来、ヘレケ式絨毯が織られ始めたそうです。 HEREKEは、未だに世界一細かい絹と綿羊毛混合の絨毯の産地としての名を詩っている。」 実は、私もこのヘレケの絨毯を買った一人であります。 すでに絨毯は間違いなく手元に届いています。 少し高い買い物ではありましたが・・・ そして、塩湖のトゥーズ湖(最高水深20cmほど)を経由してトルコの首都アンカラに向かう。 数十キロメートルある広さの湖です。 乾いた湖底に塩が浮いていて、舐めると非常に辛い塩でした。 水深が20cmだそうですが、真っ白で底が見えないので確認できず。 〜310km アンカラ アンカラは、首都だけあり、高層ビル群立ち並び景色も一変し空港近くと言っても、町はずれの辺ぴなところに位置したホテルに到着。 19:30ごろ どうも、女房の体調が良く無く熱が38度近くになり、新型インフルエンザの心配も・・?? 朝方に、体温をチェックすると36度ほどになっており、少し安心。 <体調は悪いまま> 7日目 <6月21日>日 晴れ Am5:30起床。 ホテル7:00出発 バスで220km程走り、サフランボルへ。 サフランボル 添乗員さんに、女房の体調の悪いことを告げ、ツアーに参加する。 サフランボルは、昔のトルコの住居がそのまま残っている事で、世界遺産になったそうです。 サフランボルの展望台で サフランボスは、田舎の谷間の町だったので、ブドゥルルックの丘から一望できたので、ここよりガイドさんから、サフランボルの説明を受け町に降りて見学してきました。 ここでも、親日家のトルコ人から、一緒に写真を撮れますか? との要望にお応えして来ました。 トルコ風呂 町の中心部分に、トルコ風呂があり、ここが集合場所として、街並みを散策。 待合場所のトルコ風呂 小さなお店に、日本人(男性)が店員として働いていましたが、その方は、ここが気に入って住み着いているようでした。 このサフランボルから、高速道路を利用して約400km走り、イスタンプールに向かう。 〜395km イスタンプール着 夕方、イスタンプールの町に入る処で、トルコの人々が日曜日の行楽地より家路に向かう車の渋滞に巻き込まれ、ボスポラス海峡、金角湾の橋を渡るのに非常に時間がかかりましたが、19時過ぎに大陸横断し、やっと鉄道の駅に到着しました。 駅のレストランで夕食(パスタ)を済ませ、オリエント急行に乗り込む。 ”トルコとお別れ。”オリエント急行列車にて 21:00発 オリエント寝台特急にて、ギリシャ(テッサロ二キ駅)へ。 この、寝台特急でハプニング続出。イスタンプール発 テッサロ二キ へ。 夜中に走るので、列車内は冷房がきいているのですが、この冷房が、最初部屋の温度は28度ぐらいで、冷房温度は25度に設定していたのですが、冷房が利いて無く、少し暑くなり30度を超すところから、今度は段々と冷えて行き20度を切り出したところ位で、周囲のお部屋の人達も寒い寒いと、騒ぎだした頃には14度を切るところまであまりの寒さに、殆どの人達は、通路に出て冷えすぎを訴えておられました。 私も車掌さんにそのことを告げ、冷房の調節をして貰ったのですが、温度はドンドン冷える一方で最後は、冷房を基から切ってもらい何とか一件落着。 これで、女房の体調もぶり返す事に。 8日目 <6月22日>月 晴れ Am7:00起床。 AM1時頃、まず列車内での出国手続きをするのに、車掌さんが、寝ているわれわれの頭上で、ドア越しではあるが、大きな声で”パスポート、パスポートチェック”と何度となく、連呼された事で、私達は眠い眼を擦りながら起き、パスポートを渡しました。列車の窓 お兄さん夫婦とホテルで朝食 9日目 <6月23日>火 晴れ Am6:30起床。カランバカ ホテル 8:00発 バスで約220km程走り、デルフィへ。〜220km デェルフィ 山間の道路を走り、途中で海(エーゲ海)が見え出したがそこよりまた、どんどん山道を登り目的地のデルフィ遺跡に到着。 デルフィ遺跡 お昼頃であったので、昼食を摂るレストランに向かうのですが、添乗員の黒田さんは遺跡の前を通り抜けたのですが、この遺跡をのデルフィ遺跡と気づかず昼食後バスがそこに戻った事で、この遺跡がデルフィであると説明。 少し、拍子ぬけ。 このデルフィ遺跡は、博物館を見学しまた、バスの乗り込みアテネを目指す。 18:30着 アテネの街中のホテルに着く。〜180km アテネ このホテルは、ビジネスホテルのような感じでしたが、このツアー料金であれば文句も言えないのかな〜。 ”って言う感じでした。” 10日目 <6月24日>水 晴れAm6:00起床。
11日目 <6月25日>木 晴れ Am6:00起床。
Am1:00頃 家路に着く。
12日目 <6月26日>金 晴れ ドバイ着1:10
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車山(1925m)を背に、山頂より八ヶ岳連峰・富士山・南、中央、北アルプス等の山々を一望でき絶景を楽しむ事も!! 春は、新緑とレンゲツツジ 夏は、高原散策、山野草 秋は、紅葉の絶景、キノコ 冬は、雪景色、スキーなど。 四季折々の景観・自然を楽しめます。 車山高原の四季春:
冬:
冬
*ペンションに遊びに来る動物・野鳥などの写真を紹介。 *施設周囲で咲く山野草を紹介。 |
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オーナー夫婦
<車山高原観光協会へ> 貴方は新期開設後 の訪問者です。 |
アプリコットハウスの名の由来、特徴、周囲の環境、館内利用のお願いなどを紹介。 車山高原最寄りの温泉の紹介。 田舎暮らし・・・・。
*H21年度のお客様の発信内容を記載しています。 リンク集 ![]() |
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