車内トラブルの解消人





 その日に起こった不思議な話のこと、つまり本題の車内トラブルの話に入る前に、読者の方には軽くこの話の背景を説明しておこうと思うのだが、まず第一に、私はひどく臆病な人間で、野生の獣のように短気で単純で、その上、これから先の人生をすべてそそいでも矯正のしようがないほどの愚かな人間である。そのために名前は伏せておきたい。仮にMKとしておこう。私は幼少の頃から、なかなか一般の人と打ち解けることができない性格で、顔も肉体的な特徴も平凡で、女性に好かれたこともなかった。友達も極めて限られていて、外見に魅力があるために仲間を多く作れる人間たちを妬んで生きてきた。運動も勉強も芸術も苦手であった。競争ばかりを要求される勉学やスポーツには飽き飽きしていた。もっと言えば、そういう自分の持っていない有効な能力を持って生まれてきた人間たちに勝手に嫉妬して、彼らに突然の不幸が訪れることを、心の底から願って生きてきた。表面的には他人の突然の不幸に同情したり、涙したりしても、心の底では嘲笑っていた。

 しかし、あまりこれらのことを自分だけの特徴と紹介するのもどうかと思う。心の内部が見えないだけで、案外身近にいる多くの人間が、私と同じようなことを経験したり考えたりしているのかもしれない。肉と皮のバリアーの下で他人は何を考えているかまったく見えないからだ。『あなたと同じような境遇の人はいっぱいいるよ。他人の存在に対して感情的になってしまうのは人として当然のこと。そんなに自己嫌悪に陥らなくてもいいのよ』と気の利いた言葉をかけてくれる人がいるかもしれないが、そういう助言こそが、すっかりひねくれて育ってきた私にとってはうざったいのである。正確に表現すれば、他人に忠告や励ましの言葉を向けられるほど心理的に余裕のある人間をまったく好きにはなれないのである。しかし、とにかく、私は子供の頃から、この社会全体に生きる多くの他人を嫌って生きてきたと、そのことだけを特に強調しておけばいいだろう。

 大人になってからはさらにその冷酷さに拍車がかかり、底なしの孤独感はやがて精神病となり、起こってもいない身の回りの不幸を、まるで現実のことのように想像して悲嘆にくれたり、在りもしない他人の悪意を、その表情や一瞬の行動から勝手に読み取ってストレスを溜めながら生きてきた。会社で同僚と共に懸命に働いているときはなんとかそのことを忘れられるのだが、行き帰りの電車のホームや車内では他人のちょっとした悪意に怒り、また怯え、心の弱さ故の反撃を試みたりしていた。

 それは例えば、ぶつかってきた他人を逆に肩に力を込めて跳ね飛ばしたり、割り込みをしてきた人間の足を引っ掛けて転ばそうとしてやったりした。これらの行為をしているとき、自分では罪悪感を感じることはほとんどない。自分がイライラしているのは、詳しく順を追って原因を追求していけば、すべてこの世界に生きる他の社会人に原因があり、巡り巡って駅のホームで私と関わることになった、彼らが悪いのだと確信しているからだ。自分の行為で他人がホームや階段で転がったりしたら、とても気分良くなったりする。この国のサラリーマンは勤勉で実直で、その上とても謙虚であり、他人(主に私)から上記のような嫌がらせを受けても、ほとんどの人は何事もなかったように立ち去っていく。こちらを睨みつけたり、喧嘩をふっかけてくるような人間は本当に希である。それは、ことが大きくなって下手に事件を起こしたら、後日、会社で懲戒処分を受けたり、警察沙汰になって業務に支障が出ることを心底恐れているからかもしれない。多少恥をかいたり嫌な思いをしても、ことを穏便に済ませたいのである。謙虚なだけでなく、自己犠牲的精神を持っていると言えるかもしれない。これは他の国の国民から見れば尊敬に値することだろう。

 今述べたように、この国のサラリーマン諸君が、臆病なほど社会道徳を順守してくれるために、私は安心して駅の構内やその周辺で自分のストレスを発散できるのである。しかし、先も言った通り、それは本当に愚かなことである。自分のストレスを他人に擦り付けるような行為はまともな人間の考えることではない。学生生活の間に一生懸命に培ってきた、専門的な能力を認められて、企業社会で給料をもらって働いている人間がするべきことではない。身体が大人になったのあれば、それ相応に心も成長すべきである。ゆえに、自制のできない私は、自分のことをいつも愚か者であると紹介しているのである。そう、私は公共の場において本当に自制が効かない。いつもイライラしていて、他人が自分を追い抜いて歩こうものなら、それを睨みつけ、腕を伸ばしてそれを妨害することすらある。ただ、悪意があるわけでなく、考える前に身体が勝手に行動を起こしてしまうのである。

 この文章を読んで、私と同じような幼稚な行動を、公共の場でとってしまうことがあると思い当たることがある方は、(そんな説教をできる立場でないことは承知の上で)心からの助言をさせてもらうが、何も事件が起きていない今のうちに、悔い改めるべきである。悪いことは言わないから、自分のストレスを発散するために他人を害するような行為は否定しながら生きていくべきである。つまり、どんなにストレスが溜まりイライラしていても、他人とのトラブルは極力避けるべきである。先にも述べた通り、もし刑事事件にでもなれば、今の安定した生活を一挙に失いかねない。たった一度の失敗で今の社会的地位をすべて失いかねない。一度失ってしまったら、どんなに遠回りをして生きても、元に戻ることは困難である。大抵の怒りはその一瞬さえ過ぎ去ってしまえば、案外簡単に消え去るものである。どんな嫌な人間と出会ってしまっても、『その瞬間さえ過ぎ去れば、もう二度と出会うことはない』と大人の発想で自分の心にそれを信じこませることができれば、ほとんどの場合、トラブルにならずに済むものである。

 さて、私の性格とこの事件が起きた背景はそのようなものである。これ以上自分の愚行を説明しても恥を上塗りするだけなので、控えさせてもらいたい。そろそろ、そんな単純で愚かな自分が出くわした不思議な話に移ろう。

 その日、私はいつも通りに船橋駅の総武線ホームで電車を待っていた。天気も良く、風当たりも良好で、その日は気分も悪くなかった。しばらくすると、電車はダイヤ通りにホームに入ってきたため、この時点で焦りやストレスを感じることはまったくなかった。落ち着いた余裕の心持ちで、降りる乗客を先に通し、車内に乗り込んだ。混み具合はそこそこといったところで、席はほとんど埋まっていたが、つり革を持って立っている乗客はそれほど多くはなかった。混んでくるのはこれから先なのである。私はなるべく車内の端っこの方に陣取って、来るべき大混雑のための警戒態勢に入った。

 電車はやがてゆっくりと動き出し、船橋を出て、順調にレールの上を進み、西船橋、市川を過ぎる頃には、車内は完全に満員の混雑となっていた。私の身体も周囲の乗客にぐいぐい押されていた。車内にいる乗客が身動き一つできない状態に陥っても、駅に到着するたびに、乗客は後から後から仏頂面をして乗り込んでくる。次の電車を待とうかなどと考える賢い人間はほとんどいない。皆自分の都合を優先させる。自分の居場所は車内には得られないとわかっていても彼らは乗り込んでくるのだ。そのたびに、車内にすでに乗り込んでいた乗客たちは悲鳴をあげる。自分を後ろから押している何者かに向かって、『ちっ』と舌打ちする者もでてくる。早朝から溜めに溜めてきたストレスが怒りに変わってくる頃合いである。そんなとき、乗客たちの決して良くない精神状態をさらに逆なでするように、いつもの車内放送が流れる。

「ただいま、お隣の新小岩駅で非常停止ボタンが扱われました。しばらく、この駅で停車いたします。お急ぎのところ、電車が遅れまして、皆様にはご迷惑をおかけいたします」

 本当に反省しているのか、本当に頭を下げているのかわからない、原稿を棒読みしただけのような以上のようなメッセージが流れてくると、乗客の怒りはさらに高まっていく。すでに一瞬即発だ。ちょっとした、身体の一部や荷物のぶつかり合いで何が起こるかわからない。だいたい、この総武線はほとんど毎日遅れている。ほとんど毎日、どこかの駅で非常停止ボタンが扱われている。千葉から三鷹まで、50キロ以上に渡る距離を2分おきに走る電車で繋いでいるのだから、その数万、数十万の乗客たちが全員おとなしく、トラブルを起こさないようにしていることは、法律に誠実な行動をとる、さすがの日本人でも難しいらしく、停止ボタンが扱われるようなトラブルが起こることも仕方のない面もあるのだが、狭い車内にぎゅうぎゅうに押し込められた乗客たちの爆発寸前の厳しい心理状態も容易に測れるのである。狭い空間に押し込められ、私自身も苦しかったが、自分の周囲にいる乗客の顔を見渡し、他人の苦痛を楽しみ、心中では悦に浸っていた。そんなとき、この電車の車掌から二度目のアナウンスがあった。

「繰り返しになりますが、申し上げます。総武線各駅電車は隣駅の新小岩で、車内トラブルがあったために非常停止ボタンが扱われ、現在、各駅に電車が停車しています。お急ぎのところ、たいへん申し訳ありません。もうしばらくお待ちください……」

 長時間続く押し合いへしあいで、呼吸も苦しくなっている、乗客たちの半数程度は『車内トラブルって何だ? もっと詳しく説明しろ!』と考えており、もう半数の人間は『もういいから黙ってろ!』と考えている。事件の説明をしている車掌が怒りの対象になってしまっているのである。私はこういう時、痴漢で逮捕されるスーツ姿の男性や、何らかの車内トラブルによって、鼻血を出しながら殴り合いをしている若い複数のサラリーマンを勝手に想像して楽しんでいる。他人の不幸やトラブルを想像することで自分の苦しみをやわらげられるのだ。それが性格が悪いと表現されるならば、それはその通りなのだろう。そして、この自分が乗っている車両のどこかで、同じようなトラブルが起きてくれないかとひそかに願ってもいる。

 休日でゆっくり寝た後、行楽地に向かって家族と一緒に電車に乗っている時であれば、押されたとか、肩が当たったとか、そんな細かいことで喧嘩にまで発展することはまずないだろう。どちらかが頭を下げれば、それで済む話である。長時間に渡って、仲間のいない状況で狭い所に押し込められ、息も苦しい状態が続く、そして、いつ電車が動くかわからないこのような状態だからこそ、人は怒るのである。そして、私は普段冷静なサラリーマンたちが怒りだす、その瞬間を見たいと思っている。

 ほとんどのサラリーマンは、外部からは見えない爆弾を常に抱えている。それを爆発させないように生きている。火薬の部分の詳細はといえば、そもそも納得いくように収まらなかった自身の就職活動であり、結婚以来、上手くいかなくなった妻との関係であり、平然と親に逆らうようになった生意気な子供との関係であり、無茶なスケジュールで安い仕事を押し付けてくる顧客との関係であり、いつになっても上昇気流に乗っていかない自分の寂しい給料明細書、納得がいかないほど高い税金や保険料や年金その他の雑費……、それらを誰にも助けてもらえない自身のみじめな境遇であり、その導火線の先にさまざまな種類の車内トラブルがあるのである。つまり、爆発しているのは自分の半生である。トラブルが起きても火薬を持っていない人は何も爆発させずに済むのである。テレビで日常茶飯事に流される通り魔や放火事件のこともこの理屈で大方説明できるように思う。

そんなとき、私は、自分が詰め込まれているこの車内でも異変が起こりつつあるのを感じていた。私自身は車両の一番先頭側の席の前につり革につかまって立っていたのだが、そのちょうど後方で知らぬうちに口論が始まっていたのである。

「おまえ、さっきから押してんじゃねーよ!」

 今度は若い男性の声ではっきりとそう聞こえてきた。私はちらっと後ろを振り返ってみた。すると、つり革の輪の上まで頭が届きそうなほど背の高い、しかも体格のいい20代後半の紺色のスーツを着たサラリーマンふうの男性がその斜め後ろにいる薄いコートを羽織った商売人ふうの男に因縁をつけているようだった。私の位置からではこの男性の顔まではよく見えないが、角刈りで恰幅がよく、こちらも迫力のある体型だ。どうやら、商売人ふうの男が雑誌を読んでいて、そのために彼の肘がサラリーマンふうの男性の脇腹に何度か当たっているらしかった。若い男はそのことに腹を立てているのだろう。

「おまえの肘がさっきから当たってて、いてーんだよ!」

 若い男性が顔を真っ赤にしてそう叫ぶと、商売人ふうの少し年配の男も、「混んでるんだから、仕方ねーだろうが!」とやり返した。一度頭を下げてしまえば済みそうな一件だが、こちらもまったく引くつもりはないらしい。周囲の乗客もこの二人の迫力に飲まれていた。この間に電車は次の駅でのトラブルの処理を終えて、ゆっくりと走り出していた。

「おまえ、謝れよ! あやまらねーと殺すぞ!」

 若い男の口からは、ついにこんな乱暴な言葉が飛び出してきた。完全に頭に怒りが浸透していて、もう後には引けなくなっているらしい。他の乗客は冷静を装って、なるべくそちらの方を見ないようにしているらしいが、本音では私のように、この言い争いをひそかに楽しんでいるのかもしれない。このちょっとしたトラブルが、非常停止ボタンを扱うほどまでに発展してしまうことを恐れている人が、この時点でどのくらいいただろうか。私はこの喧嘩の結末を見られるのであれば、多少電車が遅れてもかまわないとまで思っていた。先ほども一度述べたが、こういうトラブルは本当に愚かな行為である。なるべくなら、自分が関わりあわないように、避けながら生きていくのが望ましい。だが、私にはこの状況は楽しく感じられる。自分のストレスを他人の怒りの爆発によって発散することができるからである。しかも、事態がどんなに荒れても自分には実害はない。何度も言うが、これが性格が悪いという証拠だろう。余計な仲介に入って巻き込まれる気はさらさらなく、自分の身近で起こったこの難事に、少し怯えた顔つきをしていても、心の中では『もっとやれ、もっとやれ』と念じていた。

 電車は数分の遅れを取り戻そうと、普段よりスピードを上げて走り、その振動で喧嘩をしている二人の身体はかなり激しくぶつかりあった。それが余計に二人の怒りを増幅させているようだった。電車が大きく揺れた拍子に私の立っている位置も少し右横にずれて、二人の顔立ちがはっきりと見えるようになった。肘をぶつけられて怒っている若い男性は、角刈りの男性を上から鋭い眼で見下ろし、今にも殴りかかりそうな雰囲気だった。だが、顔の迫力では角刈りの男も負けていない。眉間に何本ものしわを寄せ、自分のしてきた行為がまったく悪くないと信じている様子で、この一件が、血みどろの殺し合いにまで発展しても一向に構わないという表情だった。二人とも、周りの乗客の迷惑のことや、この一件で自分の社会的地位が大きく変わってしまうという危機感はまったく持っていない様子で、殴り合いの喧嘩に向かって一直線の様相だった。

 この二人が言い合いを続けている間に、電車は錦糸町を越え、浅草橋を越えて、『まもなく、秋葉原に到着します〜。電車遅れまして、大変申し訳ありませんでした〜』という車内アナウンスが流れた。

 そのとき、若い背の高いほうの男性は角刈りの男のコートの襟元をぐいっとつかみ、「おまえ、次の駅で降りろや……」と地獄の底から湧いてきたような低い声でつぶやいた。角刈りの男もそれに応じて、若い男の腕をつかみ返して、「ああ、降りてやるよ!」と叫んだ。もう、この二人を止めることは説得の神様でもできそうにない。他の乗客も皆下を向いてしまった。こんな状態で止めに入っても、先に殴られるのが自分になるだけであり、たとえ停止ボタンを押して車掌を呼んでも、余計にことが複雑になるだけのような気がした。ここで降りない乗客にしてみれば、これ以上、この電車が遅れる方が困るのである。しかし、私はこの状況に興奮していた。秋葉原は自分の降りる駅ではないが、この二人の喧嘩の行く末を見守るために一緒に降りてやろうかと考えていた。

 やがて、秋葉原駅でドアが開き、乗客は次々と、皆一様に『巻き込まれてなるものか』という形相で、急いで電車から降りて行った。お互いをつかみあっている二人も、その後に継いで、ドアの方向に向かった。これからホームで戦闘が始まろうとしていた。しかし、そのときである。ドアの横の優先席に座っていた。背の低い白髪の老人がおもむろに席から立ち上がり、まるで二人の行く先を塞ぐように、前に進み出たのである。私にはもちろん、このかよわい老人が二人の喧嘩の仲裁に入ってくるように見えたし、それは極めて危険なことであることもわかっていた。老人はほっそりとした温かな目をしていて、紺のブレザーを着こみ、その胸元には銀色の勲章をつけていた。何者かはわからないが、普通に考えれば、こんなか細い老人が、この乱暴な二人の勢いを止めることはできないだろう。若い男は老人のすぐ目の前まで勢いよく進み、無理にでもこのか細い老人を自分の目の前からどかそうとした。そして、『どけ!』とばかりにこの老人を拳で突いて吹き飛ばそうとした。しかし、その次の瞬間、老人は少し腰をかがめて、争っていた二人に向けて掌底打ちを放ったのである。二人は共に腹を打たれ(それはさほど強い威力を持っているようには見えなかったが)、その動きを瞬時に止めたのである。

 私は何が起こったのかを知りたくなり、二人の表情が見える位置まで急いで移動してみた。すると、打たれた二人はともに呆けた顔になっており、自分たちが今どういう状態にあるのか、ここで何を争っていたのかを忘れてしまったかのようである。そして、まるで何か前世での絆でも思い出したかのように、自然とお互いの服をつかんでいた手を反射的に離したのである。二人は老人をまるで仏を見るような尊敬の顔で見つめ、また自分たちが見苦しく争いあっていたことを恥じるようにお互いに笑顔を浮かべて目を合わせ、一変して和解ムードになったのである。私の目にも、先ほどまでどす黒く見えた二人の顔が金色の輝きを帯びてきたのがわかった。二人の肌のつやまでもが変わったように見えたのである。数分前まで恐怖と嫌悪に包まれていた車内の雰囲気までもが、まるで天使の降臨の時のような光を帯びてきたのである。ひねくれた考えを持ってこの争いごとを見ていた私の心も徐々にではあるが、春先の美しい庭園で思いっきり深呼吸をしたような、清々しさに包まれていった。きっと、周りにいる乗客たちも同じような気持ちを共有しているのだろう。

 老人は二人の様子やこの車両の他の乗客の様子を見て満足そうに少し頷いてから、二人の目の前で下から上へ、そして右から左へと大きく十字を切った。その瞬間、乱暴に言い争っていた二人の顔に、これまでまったく見られることのなかったような穏やかな、まるで尊敬する老師に教えを乞うている修行僧のような表情が浮かんでいたのである。それは、この老人に出会えたことを至福の喜びに感じているようでもあった。そして、二人は一度老人から目を離し、お互いに尊敬のまなざしで見つめあった。

「すべて、私が悪かったんです。本当に申し訳ない……」

 若い男の口からそんな謝罪の言葉が出てきた。あの醜い争いからたった数分で、この男性にこんな変化が訪れるとは誰が予想できたであろうか。

「いや、俺の方こそ、公共の場で、車内マナーを破って、乱暴なまねをしてしまって申し訳なかった……」

 今度は角刈りの商人風の男がそう言って謝罪した。この様子を周囲から見ていた数名の乗客が感動のあまり涙を流しているほどであった。老人はそんな友好的な雰囲気を見てとると、ここで初めて口を開いた。

「あなたがた二人は決して悪くないですよ。この場に生まれている邪気がすべて悪いのです。怒りを感じた時は少し余裕を持って考えてご覧なさい。世の中に悪い人などいないのです……」

 二人の表情はその言葉を聞いてさらにぱっと明るくなった。老人はしばらく二人と一緒ににこやかに笑い合い、その次にポケットから二枚の金貨を取り出して、二人の手にそれを握らせた。私の位置からでは細かいところまで見えなかったが、そのコインの表面には複雑な紋様が刻まれていた。二人はおもちゃを買ってもらった子供のように無邪気にそれを喜び、老人に深々と礼をした。そして、肩を並べて電車から降りるとホームで固く握手を交わした。「今度は友人として会いましょう」とお互いに声を掛け合い、もう一度深く礼をしたあと、別々の方向に歩み去っていった。

 老人は二人のその様子を確認すると、すっかり安心したように元の席に腰を降ろした。いつの間にか、数名の駅員がその様子を見に来ていて、トラブルが起こる前に解決してくれた老人に頭を下げ、何か礼を述べているようだった。電車は大きな時間の遅れもなく、順調に秋葉原を出発した。車内ではトラブルを解決してくれた老人に向けて惜しみない拍手が送られていた。皆、笑顔であった。老人の言っていた、『この世に悪人などいない』という言葉をこの場の心地よい雰囲気が証明していた。しかし、性格の悪い私は、二人の大喧嘩を見られなかったことに、少し不満もあり、この場の雰囲気についていけなかった。そんな私の立場を見てとったように、隣にいた老婆が話しかけてきた。

「あの方はこの電車の車内トラブル解消人なんですよ」

 私はその言葉の意味もわからず、自分の正面に座っていた、あの老人に再び目を移した。老人は相変わらずにこやかに笑いながら、私の顔を見て一度頷いた。その表情は、まるでこれまでの人生で大量に溜め込んできた私のストレスや不満の量を見透かしているかのようだった。『あなたも本当はいい人なんですよ』そう言われているようで恥ずかしくなり、私は老人から目をそむけ、下を向いてしまった。