おいしい学校  
2013年3月  
 甲斐・武田氏の家臣団では武川衆が知られているが, その東方、佐久との国境に津金衆がいた。その地にあった学校が昭和の年代に廃校になり、今は、三代校舎ふれあいの里:おいしい学校大正館津金学校として利用されている。今までは、車で来たり、田舎の家から自転車で来たりしてたので、泊まったことが無かったが、一度泊まってみたいというので、出かけてみた。
 公共交通で往復しようと思ってバスの時刻表を調べたがJR経由だと韮崎から、増富温泉郷行きのバスと北杜市の津金-百観音線を乗り継いで行けることが分かった。しかし、平日に4本、土日は2本しか無いので、乗り遅れたらタクシーと言うことになる。タクシーに乗ったら、レンタカー利用よりも高くついてしまう。
行きは新宿から高速バス8:20発に乗って須玉バス停まで。春休みのせいか、金曜日でも富士五湖行きは6便もでて、ほぼ満席だった。我々の乗ったバスも、ほぼ満席。道は渋滞も無く。ほぼ定刻に須玉に着いた。バス停から数分で、北杜市役所に着く。約50分の待ち合わせで、津金行きのバスが出る。バスはここが始発。それまで、北杜市役所を見学。ここは、昔、須玉商業高等学校の跡地だ。
それにしても北杜市なんて、変な名前を付けてくれたものだ。甲斐市、甲州市、中央市、南アルプス市も別の意味で、ひどいと思うが、この、仙台を思わせるネーミングは、その前に峡北高校→北杜高校に校名を強引に変えたと噂された仙台に郷愁を感じる旧帝大出身者の陰謀としか思えない。北巨摩市、峡北市、逸見市のように歴史を感じさせるネーミングを期待してたのに、最初から地名・山名を除くという前提を決めて、それから名前を選んだとの事(Wikipediaの解説は、とってつけた嘘でしょう!)。やり方もいやだねえ。今更、市の名前を変えられないだろうが、せめて高校の名前だけでも、次に再編がある時、峡北高校に戻して貰いたいものだ。まあ、今となっては、どうでもいいことにも思えるけど。
バスは赤いマイクロバス。乗客は我々二人を含めて4人だった。まあ、この辺では一家に2台以上の車があるのが普通だし、年寄りと子どもしか乗らないのだろうが、存続が危ぶまれる。
降車バス停の御所公民館前に1時ちょっと前に到着。バス停から明治の校舎が見える。5分ほど歩くと、目的地に到着。
  津金学校 明治校舎。これに隣接して大正校舎と昭和校舎がある。 
 チェックインは3時なので、まだ時間がある。ひとまず、和食の食堂で昼食。ここでは、昔の給食っぽい食事が食べられる。
    実際は、牛乳瓶の形とか、副食物とかホームページのサンプルとは違ってたけど。
小生が小学生の頃は、まだ脱脂粉乳だったし、ステンレスの皿は無かった。この絵では無いけど、例の先が割れたスプーンが着いていた。
まずは、おもしろかった。一度お試しあれ。
食事が終わっても、まだチェックインには早いので、海岸寺まで往復してみることにした。