USA−P in 
 ・ 2004/03/16〜17


● 帰宅後。

 私は旅立ち前、
「もしかしたら私にとってのWWEは、この旅行で終わるかもしれない」
 と思っていた。
一度、兎に角一度、あの会場の熱気の中に身を置いてみたい… そう思ってからの2年間、dvdを
買い、ネットを漁り、雑誌を読み続けてきたけれど、一度体感してしまう事で満足をしてしまうんじゃ
ないのか? と思ってたのは元々興行としてならガチ系の方が好きだったし、映像ソフトとしてなら
映画の方が好きだったからで、WWEは残酷でもあるし映像ソフトとして優れてはいても、あくまで
それは同じ業界での比較論であって… と。
 WM20での発見や体感する事での刺激… 例えば花火とか炎の迫力とか、レスラーの大きさや
カリスマ性とか… はあるが、それは想像出来る範囲だと思っていたし、どういう結末のブックだろう
が満足はするが、それが果たして自分の中でこれからの興味やらに繋がるものになるかどうかは
微妙だと思っていた。

 しかし…

 何もかも、想像していたのと1ケタ、ひと回り上回っていたよな… っと。
会場のスケール感。観客の熱気。レスラーの技術。スタッフのセンスに手際。花火の綺麗さに迫力。
立ち上る炎の圧力。そうやって最初から高いクオリティで積み上げていった上へ更にと迎えられた
ハッピーエンドの素敵さは、思い出してみてもまだ震えがくる。

 加えて。

 RAW、SD組のどちらもカリスマや体格ではない、職人的レスラーをチャンピオンにした。
それは、これからのWWEがストーリーラインや世間への話題提供よりもレスリングを重視する、
という意思表示だと私には思える。その方針が正しいのか間違っているのか、アメリカ人ではない
私にはどちらとも言えないが、かつての時代のブレッドにベノワを、ショーンにエディを、って事なら
それだけWWEのビジネス状況が悪くなってきている証拠のような気がしなくもない。
 プロレスは本当に難しい。
レスリングの要素だけでなく、観客論、観客感も無ければならないし、その観客は、このアメリカ
という国の観客は本当に残酷だ。日本のように暖かく、気長に見守ってはくれない。なにせ、
他にもエンターテイメントソフトはいくらでもあるのだし、スポーツソフトはいくらでもある。私達がこの
3日歩き回った街でWWEやレスリング関係の雑誌やビデオを本当に見かけなかったしオモチャ屋
での扱いやAmazonでの売り上げから見てもアメリカででもマイナーだと思う。
 ヴィンスは、それを怨念としているのだと思う。
どんなリアルでも及ばない感情がレスリングにはある。どんなエンターテイメントにも敵わない熱気が
レスリングにはある。なのに、何故に… そう本気で思っているからこそ、常に世間と、社会と向かい
合ってきたのだと思う。
 だからこそWWEは今の地位があると思う。
 だからこそ私はWWEに惹かれたのだと思う。
だが、ヴィンスは既に58歳だ。妖怪なのはよく解ったが、その妖怪とていつか死ぬ日が来る。
その時、リンダかシェインかステファニーかHHHか誰かが継ぐにせよ、WWEがあまりにヴィンスの
ものである以上、誰も本当の意味でWWEを継ぐ事は出来ないんじゃぁないのか? と思ってしまう
し、それ自体への考えは今も変わってはいない。

 だが… と思う。

 ホーガンを、ストーンコールドを、ロックをスーパースターにしたのは間違いなく観客だった。
勿論、時代背景や社会状況、国の歴史もあったろうし、彼らは類まれなるカリスマ性に加えて自己
節制と努力を重ねてきたし、団体側のプッシュもあった。だが、それを認め、支持し、熱狂する観客
がいたからこそ彼らはSUPERSTARになれたし、その熱狂で更なる高みへと行けたのではないか。
 次が誰になるのかは見当もつかないが、いずれ誰かがなるのだと思えれるのはWM20だけでなく
昨夜のRAWでも見られたような、見るべきトコロは見ている残酷な観客達の姿があるからだ。そして
彼らに応える者はきっと出てくるだろうと思えれる前座があったからだ。加えて、私がお金が無くて
観に行けなかった(苦笑)インディーの裾野もあるし、そのインディを支える観客もいる。
 今はベノワさんとエディさんにこのままSUPERSTARへの階段を昇っていって欲しい。
道は厳しいと思う。HHHへのアンチがあったにせよ、結局RAWでチャンピオンになれたのはHBK
とGBしか相応しい人材がいなかったからであって、これからが本当に厳しく、難しい道程だと思う。
エディとて同じだと思う。王者であるという事は、それだけで観客を呼べる存在でなければならない
のだから。もぅ、善戦した敗者では、観客は満足はしてくれないのだから。

 でも… そう、でも、なんだよ。

 あの夜が、あまりに素晴らしかったあの夜が、興行の女神様の気紛れではなくまだ序章にしか
過ぎなかったと来年、そしてその後でも言われるようになって欲しい。それくらいあの夜は素敵な
一夜だったし、それだけで終わって欲しくはないもの。あそこで燃え尽きられるなんて許せない。
 ホーガンだって最初はデクノボーだった。SCSAだってリングマスターだった。ロックは王子様で、
誰もが最初からSUPERSTARではなかったのだ。地位が人を作る事などいくらでもある。そして
地位が人を更なる高みへと続く階段、足場になる事だっていくらでもある。
 そりゃぁ最高の高みへと昇る道は長いし『資格』も必要だと思う。
でも、どこまでベノワやエディさんらが昇れるのかは解らないが、まだスタートであって、決して
ゴールだとは思いたくない。そんな事は思いたくない。
 そして、まず彼らをその道へと進ませる事を観客が認めていたからこそ、会社としてもゴー・サイン
が出せた、という健全さを思うのならば、そしてそれを観客が支持したのだから、多少の試行錯誤
の迷走はあったにせよ、まだまだWWEは私にとって面白くあり続けるだろうと思えれた。
 あの観客らがいる限り、そしてレスラーが、スタッフがいる限り。



 胸ポケットのラッキーストライクの箱に挟んだ1枚の紙切れがある。
それはWM20の夜、ベノワとエディだけでなく、あの夜会場にいた全ての人々の上にナイアガラの
滝のように降り注いだ紙吹雪の1つ。ホテルに帰って来てからコートを脱いだ時に出てきたそれは
あの夜の熱い、夢の宴の欠片。子供のようだとは思いつつも、捨てられなくて箱に挟んだその
紙切れを見ていて思う。
「もぅちょっとWWEとは付き合う事になりそうだな… 」
 と。

 夢の宴の欠片。

END


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