USA−P in 東京
 ・ 06月06日 (前編)





 十数年に渡る妻の東京暮らしの中で、一番気に入って一番長く住んだ町、吉祥寺。
昨日の曇り空とはうってかわっての強い日差しに湿度が更に上がる中、訪れた町は一見何も
変わっていないように見えてそれはあくまでも道路や線路のレイアウトに限った話で、かつて妻
が下宿していた場所にはまるで違う家が建ち、妻と今度行く時に「また一緒に食べようね」と
言っていたお好み焼き屋も既に無く、妻の下宿に初めて向かう時にイキって買った花屋も無く。

お風呂屋。

 所々に、妻がリフレッシュしたい時に訪れた風呂屋や飲み屋など残っているものもあるけれど
だからこそ無くなってしまったものの数の多さは感傷を持つには多過ぎる。土地のキャパが限界
を超えている以上、入れ替わるだけでは済まずに密度を更に上げるからこそ、名残りや片鱗も
残ろう筈も無く。

井の頭公園。

噴水を見つつ。

 井の頭公園を歩いてみるも、妻に思い入れの無い場所(笑)、とあっては緑の多い公園でしか
なく、景色に情も思い出も薄ければ見えるものもどこか薄くて。
 もっと大きく変化しているのならば、なにかしらの諦念なり感慨もあったのかもしれないが…
そう、駅前のデパートだかがビックカメラだかに買収されてて丸ごと、跡形も無くなっていたのは
流石に驚いたものだが… 跡形も無く、そこに密度だけ上がった状態は、なまじ道路の幅や
線路の高架の高さやらが変わってないだけにより異質な、他人事になってしまっていて。
 住民として緩やかな変化を共に過ごしていれば、その時間の中での思い入れもあろう。が、
「10年、なんだよね… 」
「10年経ってる、って事だよね… 」

 その「時」、その中にいなかった者には、もぅ「そこ」は過去、それも記憶にしか無い。


聳える都庁。  駅前での中華料理店、これまた美味い!とは言わぬ
 ものの決して不味くはない上にどれも大盛りで腹一杯、
 って情況で訪れた新宿もまた強い日差しと湿気で。
 「そういやぁ都庁、昇った事が無いんだよね… 」
  まぁ得てして住んでるとそういうものかもしれないね…
 って事で最上階の展望台に上る事になって文字通りの
 「おのぼりさん」になる事にしたのだが、エレベーターの
 入り口んトコで机と警備員によるチェックをしてるのを
 発見して冷や汗が出る。

  実はまた今回も腰には【装備品】があって…。

  トイレにて腰から靴の中へと移したもののこんなのは
 子供騙しもいいトコ、かつてのNY旅行ん時程ではない
 だろうが金属探知機やX線検査なら一発、さて言い訳
 はどうしよう? っと考えていたのだが…

展望台より・その1。

展望台より・その2。

 事前の想定は、何の意味も無かった。
身体検査も無く、下げていたショルダーポーチも一箇所をチラ見しただけ。妻はペットボトルの
飲み物を持っていたのに全くのスルー。実に何事も無く、アッサリと展望台に通されて拍子抜け
を通り越して腹が立ってきて。
 一ヵ月後のサミットに備えての済省会議だかナンだか知らんが、わざわざこの都庁の入り口も
制限し、昨日から街中に警官が、それもコンビで警棒を手にした臨戦態勢とも言える状態での
警邏をしているから正直大目玉くらう覚悟はしていたけれど、テロに対する治安活動として私が
どうこう言う気は全く無かったが、形式だけ、外面だけの警備をしているこの場所が都庁って事
にブスブスと黒く焦げるような怒りを感じる。こんなザルならテロし放題じゃぁないか。外国人に
はもうちょっと厳しい事をしているのかもしれんが、トイレに監視カメラがあるでなし、展望台にも
抑止力になりそうな警備員がいるでもなし。

 もし妻のペットボトルが化学兵器だったらどうするのか。

 爆弾を所持していたらどうなるのか。

 窓際にびっしりと様々な国の言葉での落書きが削り込まれている様といい、いくら日本が平和
とは言っても戦争の後方支援国であり、かつてテロが、まさにこの霞ヶ関を狙ってのテロが行わ
れた事を思えばこの形式だけの警備の薄っぺらさで済む呑気さ、平和さは感謝すべきではある
が一方で腹が立って仕方が無い。

 そうだ。あの時もそうだった。

 私が社会人になって自分の金で一人で東京に遊びに行った時、まさにそのテロの後、警察庁
長官狙撃事件もあって団体へ強制捜査が行われ連日警視庁には逮捕者が連行されていた頃。
最後に東京駅の近くだからと国会を見に行く事にしたが、路肩に停車する装甲車等、そこには
確かに非常事態の景色があった。
 だが、こんな近くだったのかと寄ってみた警視庁の、TVでよく見ていた護送車入り口周辺には
マスコミの下請け連中と思しき若い兄ちゃん達… おそらく当時の自分とそう大差無い兄ちゃん
達が煙草を吸い、缶ジュースを飲みながら談笑していて。暑くなりかけの頃だったから、皆が皆
ラフな、タオルを鉢巻にしたり首からかけていたり、Tシャツにジーンズにスニーカー姿で、足元
に転がるコンビ二やお菓子の袋… 昼前のノンビリした、しかし脚立やTV局のマークをつけた
バンやバイクの数だけが異常で、緩い緩い団欒の風景にキレかけた。
 阪神淡路大震災の時、東京からのマスコミは他人事としてはしゃいでいた。
「温泉場みたいですねぇ」
 とニヤつきながら言った筑紫哲也だけでなく、まだ救助活動が続いている上空にヘリを飛ばし
避難所に上がりこみ、疲弊している被災者にマイクをつきつけ、したり顔で語るその姿は、在阪
だけでなく関西の人との関わりが少なくない東海地方のTV局の報道とは全く違うもので。
 思えば台風や地震、津波でもそうで、東京に少しでも関われば大騒ぎをするのに、そうでなけ
ればニヤけた他人事として、その地方局のアナウンサーなりを現場に行かせての高見の見物
宜しいものにしていて腹が立っていたが、仮にもテロが行われたのは東京で、しかもここから
さほど離れてはいない場所ではなかったのか?
 自分達も被害者になったかもしれない可能性があって、しかもまだ逃走中の犯人がいくらでも
いて、教団の物資やらの総量もまだ判明しておらず、いつ奪還作戦が決行されるやも解らない
というのに? ここが警視庁だから、ってタカをくくってるのにしても、ならばあの無差別テロが
行われるまで権力を非難し続けていたマスコミが何故にこうまでノンビリと、いや、呑気にここ
にいるのか? 確かに彼等は下請け、雇われではあろうから職業倫理やらプロ意識を求めて
も仕方ないし、連日ここで待機している事が日常になっているからこその風景でもあろう。

 でも、それっておかしくないか?

 何か、間違ってやしねぇのか?

 その様をまだフィルムが余ってた「写るんです」で撮ろうとした時、私は職務質問を受けた。
その時も腰には【装備品】があった。鞄の中には前日歌舞伎町で購入した違法品もあった。が、
私は職務質問だけで身体検査も拘束もされる事なくお小言を貰っただけで済んだのは私が片輪
者だったからなのかもしれんが… サリンを撒く事をやってのけたあの教団のブタ野郎だって
(自分で言ってるだけかもしれんが)片輪者だった筈じゃぁないか…



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