USA−P in Taiwan
 ・ プロローグ。


▼ 旅の終わり。

幼稚園に入って1ヶ月経過した頃に自分自身の花火遊びが元で私は今の姿になった。火傷以前の記憶というのは殆ど
思い出せない… いくつかはあるが、果たしてそれが本当の事なのか脳内で捏造された事なのかが解らないくらいに
曖昧でボケたものになっている。はっきりとした記憶にあるのは間違いなく病室で、自分の火傷の治療の成果と成長に
よって病室だけだった『世界』が病院になり、家になり、学校になり、と少しづつ拡がってゆくのが何時でも嬉しかった。
本が好きな子供であったから、本を読んで知っていた事は同年代よりはやや多いけれども、『世界』以前の『世間』や
『自分以外の他者』との関わりは同年代と比べて圧倒的に少なかったから余計に目の前が拡がって、開いてゆく事が
ただただ、兎に角、嬉しかった。

 だから、という訳ではないのだが、本当の『世界』っか海外に対してはあまり魅力というか興味を持てないでいて。
1つには臆病というのもあったのだが、自分の身近な世間でさえ知らない事は一杯あるというのにそこを置いておいて
世界に出るというのもどうなんだろう? という考えもあっての事で。臆病さに対する強がりに思われる人もいるかもしれ
ないし、そういう部分が全く無いとは言わないけれども親や親類縁者、学校やご近所といった枠組み以外に自分自身で
踏み出す事で出会う人や物事が如何に素晴らしい事なのか、踏み出して時にコケたりボコられたりする事もあったけれど
それもひっくるめて自分自身という人間の中身っか矜持みたいなのを知る、試す事をやれるというのは堪らなく刺激的で
面白かった。なのに、それから時間とお金を割いて更に海外ってどうなの? と。それこそ半可通になるだけなんじゃネ?
 まぁそれはそれでアリなんだろうが… ってのは、20代中盤頃から本格化してしまった夜の街遊びにお金も時間も気力
も傾倒してしまう事でスッカリ頭の隅に追いやられてしまうのだが…

「もし、もっと若い頃に海外旅行に出ていたら?」
 そう考えてみても特に答えが出ない。案外、海外生活に馴染んで海外在住者になってる可能性もあるような気もするし、
よくある半可通になっていい加減な蘊蓄を聞かれていないのに語る厭なオッサンになってるのかもしれず。時期に因る、と
は思うけれども、現在の自分という人格が形成されるに至った時間軸の中から違う道を辿った場合なんてのは仮定の空想
のお遊び以上の答えなぞ出る訳が無いがそれでも思う、
「もし、もっと若い頃に海外旅行に出るようになっていたら?」
 と。案外、考え過ぎな気もしないでもないけれども…

朝の台北国際空港。

 …等と、実にどうでもいい事を考えてしまうくらいに、日曜日って事で用心してホテル出発を当初の五時半から30分早めた
というのに最後までスムーズに空港に到着してしまったが為に待ち時間も30分以上出来てしまって。ま、無事であるという事
は良い事ではあるが。

空港内。立派ってよりお洒落だと思いましたわ。

 今回の旅行を振り返ってみるに、海外旅行としての敷居はものすごく低かったと思う。
個人輸入で下手をすると日本国内の沖縄や離島からよりも台湾からの郵便の方が速く着く事すらあるのを知ってはいたけど
飛行機で僅か3時間弱、時差はたったの1時間ってのを実感すると肉体的な負担の少なさは相当なもので。海外ではあっても
街中だけでなくスーパーの商品にまで見られる日本語の数々は多くの日本人にとっては奇異というより日常生活のチョイとした
延長線上に見えるのだろうか? まぁ私もNYに行った時の方が海外旅行をしている・した、っていう実感があったが、ただNY
の場合はあの当時でも常に周囲を警戒する必要があったから、ともいえるワケで。その点から言えば実に、とってもお気楽な
旅行ではあったが…

世界を席巻している子猫。

 私のようにヒネクレているとそうやって日本語や日本文化みたいなのが出ていればいるだけ台湾という国が抱える、向き合って
いる現実、現状といったものの複雑さにも見えて仕方無く… 所謂「日本精神」にしても、戦後大陸からやって着た中国共産党
の横暴に対して「これなら日本統治時代の方がまだマシだった」という反抗のものであって現実の日本や日本人を讃え倣おうと
いうわけではない… 、とか、まぁ余計な事を考えてしまうもので。
 昨日の最後の免税店でのお買い物の際、台湾の先住民族の人達の伝統的デザインを模した衣装等が売っていたけど「先住民族」
どころか「原住民」表記してるトコもあって。そりゃまぁ日本語と台湾の北京語では字は一緒でも意味合いは違うのかもしれないが…
 親和的な部分もあるけれど、そんな単純なものでもなかろうて、としか私には思えないんですよね。

空港内の礼拝場。三大宗教揃い踏み、ですな。

 精々が
「大きい」「小さい」「美味しい」「美味しくない」「ありがとう」とかの単語程度しか喋れないし聞くだけなら広東語の方が解るが
全く聴き取れない訳ではないから、まぁ勘違いや聴き取り間違いも含めて時折ちょっと引っ掛かる言い回しをしているって時も無かった
訳ではないが、聞えよがしにする訳ではなかったし、まして面と向かってってのでも無いんだったら流せばいいだけの事で済んだ、って
だけでも台湾というのはとても過ごしやすい場所だったと思う。

現地版アクエリアス(コカコーラ社)に書かれているコピー。

 ツアー同行者の悪気は無いんだろうけど
「台湾の人って犬を食べるんでしょ」
 等のヒヤリとする発言も少なくなかったが… いちいち注意したところで意識するべき部分が違うんだから理解されるものでもないし、
そういう人達の巻き添えを食うのは御免だからかわりにビールの一本なり何か一皿なりをオーダーしてスルーする方が楽だし、そういう
気遣いが解る人には解るし伝わるってだけでもいい場所だよな、と思う。駄目な場所ってのは一律っか十把一絡げでさながらベルトコン
ベアでの流れ作業的な扱いをされるのも珍しくない中で、譲れば軽く会釈しあうという道徳的な部分でも通じるんだったら下手な日本の
観光地という名前のボッタクリ場に比べればずっとずぅぅっと気楽な気分でいれて。そう、以前の沖縄旅行と比べれば心穏やかに過ごせ
られたんだもの。また来たいとツアー初日から思う程に。

伊藤園の『お〜い、お茶!』もあったりします。

 しかし、今回のツアーのような事は、多分もぅ無いとも思ってはいる。
天候も何もかもスムーズに運んだ、ってだけでも僥倖だが、概ねツアーの人達も節度はあったし、皆時間をちゃんと守ったってのも珍しい
事だし。加えて、格安ではあっても大手の旅行会社によるツアーだからこその扱いもあったろう。国内旅行でも一人でのフリの客なんざ
お金を相当に出さない限りは扱いが悪いものだし、如何に治安が良いと言ってもホッタクリにもスリにも詐欺にも遭わないとは言い切れない
し、東南アジア諸国と比べれば衛生的だと言われてはいても食中りをしないものだとは限らないものだし。

 そして、3年前に団体旅行者に限って、だったのが来年からは個人も解禁されるという中国人旅行者という要素。
それまでは日本人観光客が一番多かったからこそ、という部分もあったろうが今はもぅ中国人観光客がトップだというし、何時までバブルが
続くかは解らないにせよ少なくとも金持ちのお金の使い方としては日本人よりも中国人の方が多額のお金を落としていくのであれば北京語
という言語の共通性もあるし今迄のように日本人観光客に対して台湾の人が接してくれるかどうか?ってのは微妙ぅなトコだと思うし。


 それでも、また来たいと思う。
何をしたい、見たいという訳ではない。ただこの台北という街が気に入ってしまった。自然が好きな人には悪いが私には文化的で整備された
都市が好きなのだ。確かに東京のようになにもかもあるという訳ではないが少なくとも今の東京よりもWi-Fi等の環境が整っているからスマート
フォンさえあれば手軽に気軽に旅が出来るし。NYにもまた行きたいけれど、渡航費用にあのフライト時間ってだけでなく治安的な意味では
台湾の方がずっと安全ではあるし。同じアジア人だから、というのもあるが、ここでも私は自由でいられた。日本で日常的に感じさせられる、
障害者であるという抑圧を私はさほど感じる事もなくいられた。勿論、まだたかが2カ国目、ではあるが… チョイとした小金でさして肉体的な
負担も無く来られる都市ってのは相当に魅力的で。それに今回は台北とその周辺であって台中も台南にも行っていないし… なによりまだまだ
食って無い物が多過ぎ。流石に牡蠣のオムレツは私が昔牡蠣で食中りをしたって以前に怖いけど、旅行前に色々ガイドブックやサイトで見て
豆花をはじめ食いたかったけど食えなかった品が多過ぎるもの。次はツアーではなくノンビリと台湾を歩いていたいなぁ… と思いながら財布
に残ってた小銭全部で買った自販機の缶コーヒーを飲む。これで中部国際空港で両替したお金は全て台湾で使い切った。未練や惜別といった
気分は、甘い甘いコーヒーの味でなんだか可笑しくなって失せてしまった。これで、お終い。今回は、オワリ。

日本でならまず噴き出してるくらい甘い。勿論無糖のもあるんですが…



END .


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