・「マズイんと違う?」 − 2003・02・23
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時々日本に来たハリウッドの映画人が
「日本の映画界の方が監督や製作者に自由が認められていて、
作家性が強くあり、羨ましい」
などと(特にアニメで)言って、それが日本の映画雑誌などさも
日本の映画界が健全でクリエィティヴかのように喧伝される時の
材料になるんだが、私が思うに
「それを言い訳にし過ぎてきたツケが今の惨状だろ?」
ってのは言いすぎか?
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監督と原作・主演のキャスティング時点から投資可能なビジネス
であるハリウッドには、なるほど作家性より収支が優先されるんだ
ろうが私にはそこに製作者らの責任、ってのをより強く感じられる。
別に日本の映画界・製作者は無責任、ってんじゃなくてね、
「『映画』をやっている」
という事に過剰に「文化」しすぎて「娯楽」「風俗」の部分を批評も
含めておざなりにしてきてない? って事でさぁ… それが観客動員
の数字だけでなく、ソフトの売り上げにも出てませんか? っての。
それに加えて製作者や俳優でなく、協会や映画会社や配給会社
だけが儲かるようになってるシステムも含めて… ってね。
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日本では主流の「●●製作委員会」方式が海外ではまずお目に
かかれないのと一緒で、本来お金がかかる事で、その事業で生活を
している人達がいるってのにトップの責任の所在が曖昧なのはやっぱ
問題じゃないのか? と。
いいよ、日本映画が文化、芸術ってのならそれ単体で利益が出る
事は度外視してる、って言うのなら構わないよ… まぁそういう空気って
朝日的っかキネ旬的にアリなんだろうけど、でもそれって同人以下じゃ
ねぇの?
本当に、ただただ自分が好きでやってるなら自主制作でやってりゃいい
だけのハナシで、産業としてあまりにも脆弱になりつつあるものとしても
まだ産業としてある、これから復興しようっていうのならば、資本や責任、
それらに対する意志、意識がもぅ少しあってもいいんじゃぁないんだろうか?
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別に映画に限ったハナシでもなく、出版やプロレスでもそうなんだけど、
結局ビジネスとして海外と大きく差がついてしまったのは市場の大きさだけ
でもないし、コンテンツとしての日本語の不利、ってだけでもなくて、結局は
キチンとビジネスとして考えてこなかった部分ってのもあるんじゃねぇの?
「わかる人だけわかればいい」
とか
「今、これだけ支持があるからいいじゃないか」
とかって、ビジネスをする人が言ってはいかん、と思うんだけどねぇ…
まして、大衆を相手にする娯楽であるのならば。
おまけに啓蒙もしない、人材の育成もしない、市場状況も見ない、って
やってて、それで昔は… なんて言ってるだけじゃん、現状なんて。
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だってさ、冷蔵庫を漁るのを止めてさぁ買出しに… って思っても金もねぇし
どこで買ったらいいってのも解らない、品質や精度、安全性も自分らでは解ら
ず他所の情報頼み… ってのはやっぱマズイんと違う?
何を掴まされるのかも解らない。
ボラれまくってるのかも解らない。
何を買えばいいのかも解らない。
でも、売っているものだし、今まで買ってきたものだし…
そんな状態にしか見えないんですよ、今の映画界とかが。