「『いい・悪い』と『好き・嫌い』」 − 2003・10・04


 戸田奈津子のやっつけ仕事に対する不満と怒りの噴出になった決定打
こそがこの『LOTR』なのだが、その擁護としておすぎ氏が言った
「字幕なんてどうだっていいじゃないのッ!
 いちいちいちいちそんな細かい揚げ足取りなんて…」

 というのには断じて納得も賛同もしないが、その言葉に続く、
「だってこんなに綺麗な絵が観れる映画なんだからッ!」
 という部分だけは否定出来ないなぁ… と。
勿論、彼のスタンスを認める気にはなれないんだけど、認めてないからと
言って、何もかも否定していいものでもないし。


 ふと、サタスマを観てたら、おすぎ氏のコーナーがあって、新作映画の
『ジョニー・イングリッシュ』について、それはもぅボロクソに言っていたが、この
御仁の場合はベースに昔のハリウッドと小津あたりくらいがあるタイプ… 画面
が大きくて綺麗な映画か小さい芝居の小さい映画が好き、あと美青年とか好き、
… ってのだろうなぁと思うとまぁ情けなく思うが腹はあんま立たないのね。

 公共の電波での影響力って点と、それを垂れ流しにしてるのは腹が立つが、
そもそも貧乏人の娯楽のTVで嫌なものがあれば観なければいい。それに、結局
こうやってTVに使われているのはTVを見ている人間の程度がそんなものなんだ
ろうし。

「センスが違うッ!」
 と、言い切るのは簡単だし、その簡単さこそがTVや… それこそおすぎ氏の好き
嫌いで笑う、馬鹿な観客に支持されるんだが、その簡単さの分だけの損や無駄や
間違いを積み重ねた結果から自分自身は逃れられんのだけどね…

 まぁ、
狭く閉じていけばこそ、快適な「場」になりうるってのは別にヒキコモリとかでも証明は
しているんだけどさ。だけど、
「いい・悪い」
 ではなく
「好き・嫌い」
 だけ、ってのはなぁんかダセぇよなぁ… っと思っちゃうんよね、私は。
良し悪しを踏まえた上でなら、もうちょっと違う事も言える筈だが… その「好き嫌い」
だけを使い分けしないで貫いているのならば… って思わないでもないが、そうでは
無いもんなぁ… 当人は自覚してるんだろうけど、考え無しに見てる馬鹿の中でそれ
が積み重なっていって、結局大声出した方が勝ち! みたいな事になってないかね、
映画評に限らず昨今ってさ。


 私の場合、
映画評で思い浮かぶのは池波正太郎氏である。今も時折『銀座日記』等を読み返す
んだけど、読み終えていつも
「自分が50、60になっても、ちゃんと映画が観られるのだろうか?」
 という、恐れとも不安ともつかぬ思いを感じるんよね。
自分が60の時、『エイリアン』を、『48時間』を、『ストリート・オブ・ファイヤー』を認めら
れるの? って。

 池波氏にだって好き嫌いはあったが、まずそこを越えた良し悪しがあるからこそ、私
は氏の評と、その姿勢への畏敬っかリスペクトがあんのね。

 でなければ淀川さんだろうか。
自分にとっての「好き嫌い」と「いい・悪い」を踏まえた上でのお仕事に撤しきった姿勢が
あった人で、たかが日曜洋画劇場ぐらいしか知らない人には活字での辛口さを知ったら
すげぇ驚くんじゃぁないんだろうか? でも、媒体でスタンスこそ違え、言ってる事の本質
っか核は揺らがないから私は時折読み返してしまう。

 これと比べたらおすぎ氏や井筒監督のはダサ過ぎ。悪口が辛口ではない。好き嫌いで
嫌いと断じるだけの行為は自己愛でしかない。いや、解るんですけどね、言わんとしてる
事は。でも、プロの評論家、映画監督として語ってる事にしちゃダサイし薄くないか?
 そんなん素人がいくらでもやってんじゃん。


 これからも映画は観ていくと思うし、感想なりを書いていくとは思うけども、好き嫌いだけ
の言いっ放しだけは絶対すまい… 素人だけど、自分が書く以上は…

 と、改めて心に思った土曜日の夜。


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