『Shaun of the Dead』 - 2004/10/25


・考えてみれば人間という存在への隠喩、比喩がゾンビである、という点で実はゾンビ映画って
の自体がパロディでもあると言えるのだが、だからこそゾンビもののパロディ映画というのは実
際に作るとなると至難の技、だったんだろうと思う。
 一般的にもよく言われる『Return of the Living Dead(邦題『バタリアン』)』は、ゾンビのシチュ
エーションを使ってはいるが、ギャグがあまりにもツマラナイって以前にゾンビの形状だけでなく
Dead、Body、Corps、と言うものの決してZombieとは言わぬ部分からして… 当時、ロメロと原作
者の権利裁判闘争があったにせよ… ゾンビもののパロディ映画と呼ぶのは違うんじゃないの
か? むしろ『28日後』の系譜に入るものなんじゃぁないのか? と、最近は思えてきて。

 となると、何もかも過剰にして見せた『BRAINDEAD』はパロディの手法の1つではあるものの、
ロメロの死者シリーズにあるようなテーマ、時代やアメリカ社会に対する批評性が無いものをし
てパロディと呼ぶのもなぁ… って思ってはいた。

 いやその、どちらも好きなんですけどね(笑)。

 ただ、「他者」という存在に対する考え方や有り方って点で、多分アメリカでしかゾンビ映画は
作れないし、パロディとしても成立し得ないんじゃぁないのかな? っとは思っていたんですが
(実際、イタリアなどでもゾンビものは製作されてはいるものの、亡者や亡霊、怪物の系譜にある
存在でしかなく生ける死者としての存在の意味や位置としては別物の方が大半ですし、ね…)、
 それらの課題をアッサリと越えて笑え… クダラナイのからブラックなのまで実に色々なギャグ
を交えつつもテンポ良く、ゾンビが溢れる【審判の日】というシュチュエーションコメディ映画が
アメリカではなく幽霊の国・イギリスからやってきたんだから世の中解らないもんだよな… っと
エンドロールが終わって思った『Shaun of the Dead』。

もぅすぐ30になろうというショーンではあるが、勤め先の電気店で10以上年下のバイトらにも
ナメられ、継父との間もギクシャクしてるわ、彼女にも愛想を尽かされかけている有様。大学
時代から一緒に暮らしているピートは真面目なカタブツで息苦しいし、エドはイイヤツなんだけど
仕事もしないで日がな一日ソファに座ってTVゲームをしているおデブちゃん。何をしたいワケで
もなく、何かしなくてはいけないとも思えず… というショーンが、彼女のデートとお母さんの日の
お祝いを勘違いした結果、彼女とのデートをド忘れして捨てられ、エドと共に痛飲して目覚めた
朝は…


 ってストーリーのこの映画、兎に角よく出来ているんですよ!
イギリス映画っ〜と映画映画し過ぎていてテンポ悪いのが多いんですが、状況設定と人物紹介
でもある冒頭からのシーンのテンポの良さと無駄の無さで少しづつ世の中に異変が広まっていく
様をも見せてみせる一方で、実は結構細かい伏線や後で繰り返す事で同じ台詞でもギャグに
なる事を仕込んでいくんだけど変に、無理に引っ張ったり観客に覚えておいてもらおうとするあざ
とさが無くて一度目でも笑えるんだけど二度目になるともっと細かい事に気が付いてなんかお得
な気分(笑)。

・加えてロメロの死者シリーズなどを相当好きで研究したと思われるシーンが細かく入ってくるん
ですが、知っていなければ笑えないってモノにはなっていないんです。同じ『Dawn of the Dead』
の音楽を使っても使い方を変えてあってそのシーン単体で笑えれるし、知っている人間には
「こういうシーンに使うか!(笑)」
 と感心することしきり。

・また、ずっとオチャラケ、ドタバタのままでもなく、中盤からは結構シンドイ、辛い展開になり極限
状態でのエゴやパニック、愛する者を我が手で… ってシーンはキツイんですが、それが最後で
引っくり返されたその様に唖然とするやら笑えるやら。確かに階級社会であるイギリスならでは
のオチなんですが、クイーンの『Your my best Friend』の歌詞が二重の意味でブラックなギャグ
になってるなんて、ちょっと想像つかなかったですもん… って言うか、あのオチって映画がそれ
までやってきた事の全否定になっちゃうんですけど(笑)

・でも、この映画がアメリカでもヒットしている要因ってのは多分、主人公であるショーンの感覚
ってのが決してイギリスだけに限った、固有、特有のものではないからなんでしょうな。
 ショーンからすれば、自分の愛する家族と友人以外の社会の人がゾンビであってもなくても実
はそんなに違いが無い、かなり閉塞した視点っか感覚ってのは今の御時世だからなんじゃぁな
いのかなぁ? 存在はしていても自らに対して害を成すか成さないか、って違いで反撃なり排除
をするってシンプルさに世界の未来もSURVIVする事の意義も、生存する事の意味ってのも特に
無いのね。

 別にそれは刹那でやってるワケでもないし、冷笑的、無気力ってワケでもなく、ショーンは本当
に彼なりに一生懸命やってはいるんだけど、そこに外や他者や先、ってのが欠落してるのね。
 もっとも最後には彼なりに先、未来に対しての決意をするからこそグッとくる部分もあるんだが
かつてはあったであろう地域や社会におけるコミュニティって部分への意識は無いんよね…

 これがアメリカ映画なら見ず知らずの人間同士でも助け合って… って今でもなるんだけどそう
はならない。篭城をする場所がイギリス人だけあって行きつけのパブ(笑)、ってなっているんだ
けど、そこでの交流が特にあった訳でもなければSURVIVALする為の最善の場所でも無く…
って部分には国の文化的な相違だけでなく時代が見える気がしたですよ。

 この点は、社会のマイノリティが全体から見ればマイノリティのままであっても現在ある社会の
崩壊によって解放されるって部分から見えてくる部分も重要だったロメロの作品と比べると文化
の違いがよく出ているとは思う。ショーンは別にマイノリティではないがマジョリティでも無い。
不便や不愉快事もあるけれど、ロジャーら黒人程に追い込まれた状況ではない。でも、社会制
度的ではなく、時代状況としての閉塞をしている…

 この構造っか情況って、世界的な、時代的なものなんでしょうかね?

 … ってのはあくまで観終えてから思った事。
とにかくテンポ良く、無駄の無い絵とお話し運びにアッという間のエンディング、って実に楽しい
映画でしたよ〜





 でも、日本ではビデオスルー、ですけどね(なんでなんじゃぁ(怒))


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