『みんなのいえ』 − 2001/07/01


 事前に『みたにのまど』等のムックで情報を入れていたために、スタッフロール
が出た時に
「あぁ、もう終わりなのか… 」
 と思った。
私のイメージの中ではあと20分くらいの尺があったのだがしかし… その20分
があれば充実した反面、映画としてのテンポが滞ったような気もするので微妙な
ところだとは思うのだが… 

 1つ1つのエピソードやキャラの説明が台詞でなく演技によって「立って」いる。
映画だけでなく、演劇やドラマと呼ばれるものでは当たり前な事を、雰囲気だけ
で誤魔化す事無く演技で佇まいを見せてくれた。

 ココリコの田中君と八木アナもよかったですよ。
冒頭は観ていてチョイと演技にハラハラするというか不安を感じたんですが、他の
登場人物が出てからの素直さや人柄の柔らかさが滲みだしてからがいいカンジ
(特に山寺氏演じる義兄さんとか、臼田氏の設計士とか)。

 そしてやっぱり田中邦衛だわな(笑)
ドリームチームのジイ様達もそれぞれ立ってるけど潰しあわない。若手もそれぞれ
に存在感があるように計算されている。

 だから… つい、
「もっと、観たい」
 そう思ってしまう。贅沢な映画だと思う。


 三谷監督の前作『ラジオの時間』がストーリーだけでなく、舞台も画面も役者も音楽
もギチギチに詰めに詰めて追い詰めた濃密なものに対して、『みんなのいえ』は
濃密ではあるものの余裕が漂う映画だと思う。ゆったり、と監督が計算し尽くした「間」
に浸って安心した時間が過ごせる。その顕著な部分が「音」。台詞と効果音とBGMの
それぞれの間合いが絶妙で特にBGMが盛り上げたり笑わせたり焦らせたりする画面
の演出ではなく、時間経過をあらわしたり、台詞と台詞の無い間を繋ぐように使われ
たりするのは最近の映画では珍しいタイプだと思う。


 それと、今回の場合、「絵」や「台詞」で笑っても次の台詞に被らない。こちら(観客)が
笑う「間」を与えているにも関わらず、決して間延びしないしない映画でありながら、キチ
キチに計算された印象は無くゆったりと安心して笑う事が出来た。
 
 比較するのは難しい、とは思うが…

『ラジオの時間』はビデオで観た方がいいかもしれない作品なのに対して『みんなのいえ』
は劇場で観た方がいい作品、だと思う。
 周囲の観客と「笑う」事による一体感に包まれる至福の時間… 心から、思うように
「笑う」事をしてもいいと提供された時間を味わうもの… なんてね。

 台詞やカットのテンポでぐいぐいと引き込むタイプでは無いし、爆発だの殺人だの空撮
だのといった派手さも無く、おおよそトレンディな俳優は誰一人として出演してはいない。
コメディとは言っても最近のハリウッド映画のようなセックスネタも皆無だし。

 だから映画ってのは特殊効果や有名俳優だと思う人には不向きな映画だし、アクション
やバイオレンス目当ての人も不向きだとは思う。

 でも実は私、
アクションとバイオレンスと特殊効果大好きっ子ですけど、『みんなのいえ』はとても好きな
映画です。

 そう、
大工とデザイナーの二人が対決しながら出来上がった作品の中の家のように、日本映画
とは思えないセンスに溢れたカット、画面構成、演出でありながら「間」や役者によって日本
映画としか言えない作品になっている。決して、独り善がりでもなく、かといって独善でも、
曖昧でも鷹揚でも中庸でも無く、押し付けもしないが、人々への優しさが溢れる素敵な…
そしてとても楽しくて、いっぱい笑わせてもらったいい映画でした。

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 しかし…

 この映画の一般公開も6日までだそうな。
昨日の日記に書いたように、この映画も1月しかもたない映画だったのだなぁ… と思う。
 それが私には惜しいような… 勿体無いような… 寂しいような気がしてしまう。
 
 泣かせるのは簡単なんだが、だからこそ支持されるのかもしれない。『鉄道員』のような、
映画としては杜撰なシロモノの方が一般の、普段映画を観ない人達には安心出来るのかなぁ…

 緻密な計算と綿密な指導、そして高度な演技と演出による、余裕のある「笑い」がもっと
「作品」として評価され、それが動員って結果になって欲しかったんだが…

 ってのは、まぁヒイキ目なのかな?(苦笑)


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