『伝説巨人 イデオン 劇場版』 − 2001/11/04


 風邪も治りかけになってきたかな? という体調についつい調子にノって
アニマックスで放送されていた『伝説巨人イデオン 劇場版』を観てしまう。
 TV放映、並びに劇場公開された折りには
「難解」
「哲学アニメ」
 などと評され議論も少なからずあった作品だったが、今観ると単純っ〜か
「気に喰わねぇ」しか無くてねぇ… まぁ、地上波放送当時の
「輪廻転生に逃げやがって!」
 という感想が、
「輪廻転生にしなけりゃぁよかったのに」
 という感想になったのが自分の成長、変化なのかもしれませんが。


『ザンンボット3』では最終回にて、
「人類こそが宇宙にとっての癌であり、侵略者とされていた存在は実は癌たる
人類を駆除する為の宇宙の意志によるものだった」
 というのが示されただけで終わる、という『フランダースの犬』並に子供心に
トラウマを成すようなモノだっただけに、富野監督の『イデオン』迄への思考、
思想の変還はどういったものからなのか? その根拠は? という興味は多少、
起きなくもなかったが。

 だって、順でいくとね、
『ザンボット3』がこうで、『ダイターン3』にしたって性悪説的なヒネったヒーロー
物、『ガンダム』はそこから「人と人はわかりえる事が出来る」、としてきた後が
『イデオン』、でしょ?
 流石に『ママは小学4年生』まで含める気はサラサラございませんが(笑)、
スポンサーの倒産とか暴力描写に対するPTA等からの圧力とか色々あったと
思ってはいるんだけど、『ダンバイン』『ザブングル』『エルガイム』等と比べると
かなり異質な作品だとは思う。


 まぁねぇ…
「人類こそが宇宙にとっての癌であり、侵略者とされていた存在は実は癌たる
人類を駆除する為の宇宙の意志によるものだった」
 というテーゼ、設定に対して
「そうじゃぁねぇんです!」
 と言ってしまった作品ったら『トップをねらえ!』『超者ライディーン』等、現在
までにに色々あるが、そういうのと違って
「 と り あ え ず い っ ぺ ん み ん な 死 ね 」
 というのだけでも示した点はいいとは思うんだが…
輪廻だとなぁ… また繰り返されるでしょ? その「輪」を断ち切るだけのものを
示せなかったってのは矢張りマズかったんぢゃぁないの? と思うんですよ、私。
だって輪廻だと「死」はリセットになんないじゃない。スタート地点を変えてみせ
なければなぁ… あれだと弱いんじゃぁないかなぁ… などと思ってしまうんで、
どうも責任放棄ってカンジがしてね。

 次世代に託すのは構わないにしても、だ。託すべきものが正しいのか、それを
託すために今何をすべきなのか、ってのは考えねばならんと思うけれど、でも、
そこまではやってないじゃない? 各々が殺し合いをして全員死んだだけで。
 そこまで示さない限り、実は『トップをねらえ!』『超者ライディーン』等のような、
人間のエゴによる実存の肯定と変わらないんじゃぁないの?

 思想というかテーゼの片鱗ででも示せれただけまだマシじゃぁない? と、思わ
ないでもないが、創作物で言いっ放しってのもなぁ… と。


 ま、それとは別に。

 テーゼなりテーマなりを語ったり示してみせる技術ってば、やっぱ全共闘世代って
うまいんだよ。でもね、もうそろそろ… それこそ現在の30代のクリエイターが…
何もアニメに限らず、ゲーム、小説、マンガにせよ… 出てきてくれてもいいんじゃぁ
ないのかなぁ? と思ってしまうんですけどね、私は。

 否定にせよ肯定にせよ、反対にしろ賛成にしろ、こちらに考えをさせるだけのモノ
を示してみせれないモノなんざ所詮ブーム、消費されるだけのモノでしかないじゃん。
チョイと昔のハナシになるが、『バトルロワイヤル』って期待してたんよね。「小説」と
しては駄目でもテーゼさえ示してくれたのならばよかったのだが、あそこに示された
ものには何等「今」「現在」を映すものも、「今」「現在」だからこそ示した、示せれた
というモノも無くガッカリしたんですが… 逆に京極夏彦の『ル・ガルー』の方が余程
「今」を示せていた、と思うんだが…
 何をしてリアリティを感じるのかは多分に世代的であるからこれ以上言う気は無い
が、世代を越えて、突き抜けてみせるものが出ない現実、現状ってがある訳じゃない、
ここ10年ぐらい。

 そういう時代、と言うのはそれほどまでに「豊か」なのか、それとも実は「貧しい」の
だろうか? まぁ贅沢ではあるとは思うけれど。


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