
金沢市泉野図書館隣 ぎっくり腰・腰痛・色々な痛みを専門に鍼灸・整体による総合治療で14年
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金沢市泉野町4丁目22−19トーカンマンション1階泉野図書館隣
TEL 076−245−6662
整体治療について
整体の治療は大きく分けると3つの流れがあります。
まず第1は野口整体系・第2は身体均整法系・第3は操体法系の整体第4は古典的整復法に起点を置くその他整体です。野口整体は非常に繊細で体表の微小な変化を指先でとらえて処置していきますので全く皆さんが想像する整体とかけ離れたもので第三の治療というべくヒーリング領域の治療を想像していただければよいかと思います。
本来は整体という言葉自体野口先生が創作したものですから野口整体以外は整体とはよべないのですが第4の整体に分類される通信教育やその他速成整体教室などで教えられている巷で整体と呼ばれているものは厳密には整体ではありません。
私の師匠は身体均整法から独立した太陽創建法の師範でしたので当院の整体は身体均整法がベースになっていますが僕自身野口整体の道場や野口整体の講習に参加して整体のスピリッツは学ばせていただきましたことやアヒムサ健康法・レイキ等の患者さんにほとんど触れない治療法も学んだ関係で思念性の高い整体も取り入れています。ですから生まれたばかりの乳児や集中治療室の動かせない患者さんから強い刺激を好む格闘家まで整体の治療は対応できます。ただし整体にしろ鍼灸にしろ最小の刺激で最大の効果が治療の王道ですので、1点の弱刺激ですべて治療を終了するのが理想です。僕はそのような治療はまだまだできませんが、それは僕の治療家としての一生の課題あり目標です。
以下に野口整体・身体均整法・操体法について補足しておきます。興味のある方はどうぞ。

| 日本国認可手技療法 | 日本国無認可手技療法 |
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医業類似行為として行えない手技療法
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資格のある人達の医学知識・手技の技術は最低限保障(3年間学校に通い実技と座学を学び概ね合格率80%の国家試験に合格しています。)されています。
資格のない方は新聞等に掲載されている通信教育を受けて開業されている方もいるようです。しかしカイロ・オステオパシー・整体でも非常に高い技術と専門知識をお持ちの先生も非常に沢山いらっしやるのも事実です。
施術を受けられる方はそれだけ手技療法家の選択を慎重にされることが必要とされますし、治療なのか、癒しなのか、慰安なのかでも選択の範囲は大きく異なるとおもいます。
当院は治療が第一メインです. 癒しの要素も取り入れ体も心も健康になっていただきたいと思っています。

東京下谷に職人の子として生まれる。12歳のときに関東大震災に被災し、このとき本能的に手をかざして治療をしたことを契機に、治療家を目指したという。後に霊術家の松本道別に学ぶ。15歳で「自然健康保持会」を設立、入谷に道場を開き門人を育てた。療術界で中心的役割を果たしながら、古今東西の治療法や自らの研究から、整体操法をまとめあげた。昭和22年にはその指導者養成のため「整体操法協会」を設立。一説には「整体」という言葉は野口の発明とされる(大正時代に別の人が最初に使ったという説もある)。
昭和20年代後半には、人間の感受性研究の成果として体癖論(これも野口の造語)をまとめる。1956年(昭和31年)に旧文部省の認可を受けて「社団法人整体協会」を創立。昭和30年代に治療を志向することを捨て、自らの活動を「体育」であると位置づけるようになった。 いろいろな治療法の混在した一般の整体から区別するために、彼の整体は特に野口整体と呼ばれ、体癖論の他にも、活元運動、愉気法、潜在意識教育など独自の概念や方法論をもつ。野口は多くの後進の整体指導者を育て上げ、整体協会の他にも、独立した分派が多数存在する。 なお、野口三千三および、彼の創始した野口体操とは直接関係がない。
野口の唱える体癖分類において、本人は典型的な9種体癖であった(より正確には、捻れ体癖の混じった9種捻れ)。熱烈なクラシック音楽愛好家であり、スズキ・メソードの鈴木鎮一と親交があった他、カザルスの音楽をこよなく愛していたという。
【身体均整法とは】
身体均整法は愛媛県松山の人 亀井進(故人)によって、1956年初めて広く世に問われることになりました。
その当時、戦後医療改革のなかで療術行為(伝統的な民間療法の総称)は全面禁止の瀬戸際に立たされていました。これに対し、全国の民間療法家は全国療術師協会(全療協)のもとに集い、厚生省がすすめる療術実態調査を通じて療術の有効性・独自性をアピール、逆に療術を法制化すべきだとする運動を全国的に展開していました。
そのなかで、とくにオステオパシー・カイロプラクティック・体質匡正・整体などの術技を集成し体系化した『手技療術』の統一的な学技を示すことが大きな課題となっていました。
亀井は「自分はそもそも療術師ではなかった」と懐述しながらも、病院から見放された家族が療術によって救われた経験と、恩師であった広島の療術師高松梅次郎氏の強い懇請をうけて運動に参加、猛然と『手技療術』の体系化に立ち向かいました。武道で鍛えた身体能力と現象学やプラグマティズムにも通じた合理的精神、戦前戦後を生き抜いた強烈な個性をもって見事に完結されたのが身体均整法です。
結果的に国の療術禁止の政策は破綻、療術の法制化は成し遂げられなかったものの、1960年、最高裁判決を通じて療術の職業としての法的な立場が確定することになりました。
脊髄神経反射法・骨格均整法・筋肉操縦法・12種体型学などからなる身体均整法は、その成立の事由からして、戦後の療術法制化運動の最良の種子を宿す術技として今日に至っています。
「人類に価値ある療術」の確立と統一的な学技の集成を訴え続けた亀井は、最終的に人間の心身の乱れは脳・神経系を含めた運動系になんらかの形で反映されるとして、身体の歪みを、たんに静的なバランスだけでなく、動的なバランス、力の強弱のバランスを含めたトータルな観点からとらえ観察し調整することで、身体の自己治癒力を最大限に発揮し、法華経『方便品』にいうところの相・性・体にみちた豊かな人生を送ることができるという考えを示しました。
【操体法とは】
操体法は、仙台の医師 橋本敬三(1897-1993)が 高橋迪雄(みちお)の正体術など民間の健康法をみずから実践し、肉体の変化が進む過程で何が起きているかをつかんだ結果うまれた治療法。具体的には、痛みやつっぱりを感じるとき、痛い方向・つっぱる方向から、痛くない方向・つっぱりを感じない方向にゆっくり動かし、最後にすっと力を抜くと歪みが解消されるという方法を採る。
初期の理論(著書に詳しい)では、客観的に骨格構造を観察して、運動系の歪みを修正(治療)することを主題としているのが特徴。その後、客観的な見方を離れ、個々人の内部感覚(快・不快)にもとづいて、生体のフィードバック機能を洗練させることが重要であることをより強調する形になった。現在では、より質の高い快適感覚を「からだ」に聞き分け、味わうという感覚分析をするようになってきている。