1950〜1977年の学校体系
年齢 学年 年齢
21 3 大学 21
20 2 高等職業学校 20
19 1 4年制教員養成カレッジ 5年制教員養成カレッジ 19
18 3 文法学校
高校(リセー)
18
17 2 職業学校 17
16 1 職業学校 16
15 5 文法学校
(中学校)
15
14 4 市 民 学 校 14
13 3 13
12 2 民 衆 学 校 12
11 1 ← ← 11
10 10
9 9
8 8
7 7
6
注:横幅は全体に占める学生数の割合を表したものではない。

 国民学校(オレンジ色の部分)の下級を民衆学校,上級を市民学校と呼んだ。11歳になると中学校の入学試験(ヨーロッパでは一般に11歳試験という)が行われ,(金持ちの子弟の)合格者は中学校へ進学し,その後の民衆学校は,受験せずに残った者(貧乏人の子弟)たちで不活発な授業が続いた。
 1950-60年代に入ると社会の発展と共に中流層の中学校進学熱が高まり,中学校数は民衆学校の2倍に急増した。しかもそのほとんどが私立で,富裕層有利の厚い壁があった。才覚が突出していても低所得者層で中学進学をあきらめざるを得ない子供たちは沢山いた。クラスメートがごそっと抜けた11歳以降の民衆学校の様子をご想像願いたい。
 また,”社会のともし火”を育成する目的で作られた教員養成制度も,第2次世界大戦後の教員不足から粗製乱造で十分な資質を持った教員とは言い難い者が教員組織の中核となり,社会の要請に応えられない状況となっていた。