(17.6.2018)
Tämä sivu ei ole kaupallisiin tarkoituksiin.
次の文章は,ヘルシンキ市内各所にある彫像や記念碑のいわれ等を説明した ヘルシンキ美術館のホームページ https://www.hamhelsinki.fi/sculpture/japanin-ja-suomen-ystavyyden-muistokivi-tuntematon-okand-unknown/ の文・写真です。
ホームページ記述の日本語訳は次の通り。
1982年,ポホヨイス・ランタ通りに一つの記念碑としてその周りに生えている木の由来を想起させるテキストを刻んだ花崗岩の記念碑を建立した。石には「これらの木は1943年秋,大日本帝国大使,T. SAKAYA氏が主導して日本とフィンランド両国民の友好のシンボルとして植えられたものである」と刻まれている。 1943年,ポホヨイス・ランタ通りに日本が寄贈し,植えられた11本のlehmus(セイヨウシナノキ,リンデン)は,しかし戦争の慌ただしさの中で記念碑の設置を忘れられ,1982年にPohjoisranta 6に建立し,その後現在のPohjoisranta 4に移設された。植樹当時日本大使館はPohjoisranta 6にあった。寄贈のリンデンをEero Rydman市長が受け取った。
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ホームページには日本と関係のある説明があり,前々からこのホームページを見て気になっていたので,2015年夏,実際に行って見てきました。
こちら側がフィンランド語です。訳してみましょう。
NÄMÄ PUUT ISTUTETTIIN
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これらの木は1943年秋
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この碑の中でいうT. SAKAYAとは昌谷 忠(サカヤ タダシ)大使のことで,1940〜1944年在任しており,第2次世界大戦の風雲激しい中,1943年秋に11本のセイヨウシナノキ=リンデンを寄贈しました。
ヘルシンキ美術館のホームページでは「戦争の慌ただしさの中で記念碑の設置を忘れられ」としていますが,実際には昌谷 忠氏の次の大使は赴任途中で帰還命令が出され,1944年から1952年まで日本とフィンランドは国交を断絶しています※1)。その理由は分かりませんが,大戦後の1952年通商代表部を相互に開設することに合意して国交を再開し,今日に至っています。
※1)断絶に至る経緯は,Finland Abroad(フィンランド外務省と在日フィンランド大使館で作るWeb)のページにあります。