いつも歩く道 第一部 夏 





「はふぅ……」

 茜はなみなみとコップに注がれた水を一気に飲み干して溜息をつく。

 別に大した事ではない。薬を飲むときは水を大量に飲んだ方が良いだけの事である。断じて、洋一と何かあったからではない。まあ、十歳の少年少女に期待することでもないが。

「調子は?」

 盛大な溜息をついた茜に、椅子に後ろ向きに座り背もたれに肘を立てながらその様子を見ていた洋一が尋ねる。

「洋一よりは大丈夫かもよ?」

 茜は冗談めかして答えるが、彼女の眼だけは甚く真面目だった。

 事実、洋一の表情は呆れている顔の中に疲れが見えていたし、彼が茜の看病をしている間ずっと起きていたのだ。

 現時刻は、午後8時。件の全裸事件が前日の正午。つまり、洋一は都合一日以上睡眠を取っていないことになっている。

「それは、何よりだな」

 そう言って、洋一は茜の額に自らの額をくっつける。

 体温計が手元にない今、熱を測るという原始的かつ確実な行為である。

 彼なりの配慮であろう。洋一は目を閉じてその行為を行なった。すると、自然に茜は洋一の顔をまじまじと見つめる羽目になる。

 そこで、茜は一瞬で思案する。もし、ここで目を閉じて唇を突き出せば自然なキスになるのではないか? いや、むしろファーストキスのチャンス? と。

 その結果、茜はボンッと音が立ってしまいそうなほど瞬間的に赤面する。

 だって、女の子なのだ。こんな事、考えて当然である。

「ん……熱はもうない様だ、な……?」

 そう言いながら目を開けるとそこには、至極個人的な欲求で勝手に赤面し、しかも目を瞑って一所懸命に葛藤する茜の姿があった。

「おい」

 おそろしく冷めた声で茜を呼ぶ。

 茜はそれに応えるように恐る恐る目を開けると――

「っっっ……!!!」

――洋一の顔のドアップがあった。

 そしてまた、思案の後、赤面。さらに、目を瞑る。まさしく悪循環である。

 そんな行為を数回続けると、さすがに洋一も理由が分かったのか、茜から顔を離した。

「アホか、お前は」

 この場面に相応しいとびっきりの罵声。

 しかし、茜は未だにカオスに等しい自我の彼方から帰還できずに、おたおたしている。

「アホ過ぎる……」

 何故こんなことになっているのか、理解に苦しんでいる洋一だった。











「落ち着いたか?」

 しばらくたって茜の赤面が引いた頃に洋一が声をかける。

 先程までと同じように洋一は椅子に陣取っていた。

「うん……ごめん。ちょっと、色々あって……」

 どこか憔悴しきった様な表情で呟く茜。

 彼女なりの葛藤の戦禍である。と言うか、あんな葛藤したら誰でも疲れる。

「……まあ、それだけ元気だったら大丈夫だろう」

 茜のほうも見ずに言い切る洋一。

 無論、彼なりの皮肉である。子供らしさの欠片もないが。

「うん。だから、洋一も休もう?」

「なんでだよ?」

「知ってるよ? 洋一が寝てないことくらい。そりゃあ、あたしが風邪引いた……ことより、看病しないで遊びに行ってる親の方が悪いけど、洋一が体調崩したらあたしが責任感じちゃう」

「気にするな。特に親のことは。それは、俺の親の所為もある。それに、責任とかはもう少し大人になってから言え」

「洋一も子供じゃない。それに……」

「なら、俺が病気したときに献身的に看護してくれ。まあ、俺は病気や怪我とかとは無縁だけどな」

「…………」

「どうした?」

「……なら、ずっと、ずっと一緒にいてあげる。そうすれば、いつでも返してあげれる」

 その言葉に込められた意味を、少女は知らない。

 その言葉は、彼女の本能がつげた物だから。

「おい、それは俺が払う労力の方が果てしなく多いと思うぞ」

 だから、少年もその言葉の意味を感受できない。

 でも、それは少女の初めての告白。

 今は意味はない。されど、後に運命を手繰り寄せる言の葉。

 そして、少女は悟る。




――私(彼)は彼(私)に(を)恋(愛)してる――




 と。



















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