「ただいま〜。お兄ちゃ〜ん、帰ってるの〜?」
玄関から薫がリビングを覗きながら声を上げる。
しかし、一向に返事と呼べる言葉が聞こえてこない。
「あれ? お兄ちゃんの靴あるよね?」
薫は頭に疑問符を浮かべながらも靴を脱いでそのまま台所へ向かった。
何故だかテーブルに突っ伏している洋一が最初に目に入る。
「あ、お兄ちゃん。いるなら『おかえり』くらい言ってよ」
その洋一の姿を見咎めながら薫が文句を言う。
「ああ、おかえり。ところで薫、この事知ってたか?」
と、洋一は一枚の紙――件の置手紙――を薫の前に差し出した。
「え? ん〜、どれどれ……」
薫は洋一から渡された置手紙を繁々と見つめる。
「行くっては聞いてたけど、今日だったんだ」
「何だ、薫知ってたのか?」
「うん。一週間くらい前から計画は聞いてたけど」
薫が顎に指を当て思い出しがら言った。
「俺は一言も聞いてないぞ」
「だってお兄ちゃんだし」
「うっ……それで納得出来てしまう。いや、論点はそこじゃない」
一瞬、洋一は頭を抱えて怯んだが何やら光明を見つけて復活した。
「えっと、どこ?」
薫は洋一の態度に軽く引きながらも首を傾げた。
「第一に、子供を放り出して遊びに行く親がどこにいる」
「ここ」
薫は、何だそんな事か……と露骨に顔に出しながら言い切った。
「……第二に、健全な男子高校生のいる家に同じく健全な女子高校生が来るとは何事か。しかも、泊まりだぞ、泊・ま・り。貞操とか考えんのか」
「だって、茜さんだし。それに、貞操って……お兄ちゃんにそんな甲斐性ないでしょ?」
洋一の渾身の叫びに薫はまたしてもつまらなそうに答える。
「…………第三に、お袋の滅茶苦茶な要求を容認する親父は一体どう言う事だ」
「どう言う事も何も、お父さんだし。お兄ちゃんだって、お父さんの性格知ってるでしょ?」
洋一の魂の叫びに薫はとうとう憐れみを込めて答えた。
「………………第四に――」
「まだあるの?」
「――さらにそれを容認し、あまつさえ受け入れて遊びに行く茜の両親は一体どう言う積もりだ」
「茜さん両親だから仕方ないんじゃないかな。と言うか既成事実を作らせようとしてるとかしてないとか」
薫は考えながら言った。
「き、既成事実!? ……俺の周りにろくな大人はいないのか?」
「武さんとか里奈さんとかのご両親は?」
「中学の頃から、高校出たらあの二人を結婚させようと画策している両親がぶっ飛んでないとでも?」
「本当にろくな大人いないかもね」
笑顔で止めを刺しにかかる薫。
そんな薫と暫し無言で見詰め合う洋一。
「ときに、薫」
「何? お兄ちゃん」
「既成事実云々の話しはどこから仕入れた」
洋一の疑問に少々無言で考えた後、
「わたしも神谷家の一員だから」
笑顔でかなりの問題発言をしてくれた。
「それに納得できる俺が悲しい」
そしてそれを肯定する洋一。
何が一番悲しいかは言わずとも分かるだろう。
……しかし、薫の辛辣さに磨きがかかっている事をどうして洋一は気付かないのだろうか?
「と言う訳で、お邪魔します」
そう言って茜が神谷家にあがる。
「どう言う訳かはこの際置いといて、お前がお邪魔しますって言うと何か含みがあるように聞こえるな」
「と言う訳での方に突っ込んで欲しかったんだけど、とにかく含みなんてないって」
「どーだか」
「だって、本当に邪魔するし」
「おい」
「何よ。これからお世話になるのでよろしくお願いいたします。とでも言えと?」
茜はぶりっ子のポーズ――某芸能人のアレだ――をしながら言う。
「そうじゃなくて……」
「じゃあ何? 三つ指ついて、お風呂になさいます? それともお食事になさいますか? それとも……ポッ……なんて事して欲しい訳?」
茜はその動作をすべてやり器用にも一瞬頬まで紅くしてみせた。
「それじゃあ、立場が違うくないか?」
「まっ、いいから、いいから。部屋はあの空き部屋でいいんだよね?」
そう言って茜は「どっこいしょ」と床に置いていた荷物を持ち上げた。
「そこ以外どこがあるんだよ」
「洋一の部屋」
「却下」
「まあ、そう言うと思ってたけど。何はともあれ、よろしくね、洋一」
「よろしくな」
こうして一応の団結が結ばれた。
「……ところで、いつまでいるんだ?」
「帰って来るまでじゃないの?」
「だから、いつ帰って来るんだ?」
「さあ? 知らない」
「マジ?」
「マジ。下手したら夏休みいっぱい、とか?」
「……いや、幾らなんでもそれはないだろ」
「相手は洋一のお母さんだよ」
その言葉で洋一の頬を冷や汗が流れた。
「……プリーズ、カムバァーーーーック!!」
洋一は多分東のほうを向いて絶叫した。が、洋一の叫びは虚空に木霊して消えた。
叫ぶ位じゃ戻ってきません。あの人の場合。
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