ベーコンエッグ
〜僕と彼女の結婚前記〜
「ねえ、これ食べてみて?」
その言葉と共に目の前にでんっと置かれる一枚の皿。
その上には綺麗に焼かれた目玉焼きとベーコン――つまり、ベーコンエッグと言うやつだ――が乗っている。
「ほら、食べてよ」
ずいっとその皿をさらに目の前に差し出してくる。
……やはり食べなくてはならないのだろうか? ハッキリ言って食べたくない。
食べたくない理由は、お腹がいっぱいだとか食欲がないとか、そんな一般的なものではない。
「食べなさい」
脅迫紛いの引き攣った笑みが近づいてくる。
……これは犯罪じゃないのか?
とは思うものの、さすがにこれ以上拒んでいたら何をされるか分かったものじゃない。夜のパワーバランスはあっちの方が断然上なのだ。
――パク、もぐもぐ。
……不味い。
この上なく。何を入れたらこうなるのかと言えるほど。見た目は美味しそうなのに、何故ここまで変な味になるんだろうか?
「……ど、う?」
彼女が僕の顔色を伺いながら訊いて来る。言葉が途切れているあたり味に自信はないのだろう。
……そんなに不安なら自分で味見してから出してよ。
何てことを考えながら彼女の事を見ると、露骨に不満そうな顔で僕を睨んでいた。
「ねえ! 黙ってないで答えてよ」
「どう? って、味に対するコメント? それとも、料理自体に対するコメント?」
「りょ、料理自体……って?」
僕の言葉の意味が分からなかったんだろうか?
彼女は料理自体って何なのよ……と、ブツブツ漏らしている。
「あのねぇ、この料理はどう考えたって晩御飯の料理じゃないよね?」
そう、彼女の作った料理は晩御飯として食べるにはボリュームが足りな過ぎる。そりゃ、朝食にはベーコンエッグはちょうど良いかもしれないけど、今はあくまで夜なのだ。健全な成人男子にはこの量は少なすぎると思う。と言うか、根本的にカロリーが足りな過ぎる。
「ああ、もうそんな事はどうでもいいじゃない! 問題は味でしょ? どうなのよ」
「不味い」
言い切った。この上なくきっぱりと。慈悲の欠片も無く両断した。
「……そんなに?」
途端、彼女はさっきまでの勢いをなくし、悄然とした様子になった。
彼女はいつも元気だからこういうのも偶には良い。
「うん。どうやったらこんなに不味く出来るのかこっちが聞きたいくらい」
「そこまで……?」
「うん。三年も経つのに全く上達してない」
そう、彼女がこうやって僕に対してベーコンエッグで挑戦し始めて三年もの月日が経っている。
なんで、ベーコンエッグかと言うと偏に僕の所為だったりする。
まあ、つまり、彼女が僕の作ったベーコンエッグに惚れたって事。
――三年前――
「おいしい! これ、すんごくおいしい!!」
学食に響く絶叫のような咆哮。
何事か? とそっちの方を見てみると三人の女学生のグループが騒いでいた。
「うぅ〜、ヤバイよ〜。すんごくぅ〜」
その中の一人。
ショートカットで元気そうな――いや、実際騒いでるのは彼女だから、きっと元気なんだろう――女性が目に留まる。
別段、彼女がとびきり可愛かったり好みだったりした訳じゃないけど、その女性に見入ってしまった。
まあ、あれだ。おいしいって言ってる笑顔が眩しかったとでも言うんだろう。……きっと。
それは恋だ。
これが、僕の友人の開口一番の台詞。
さっきの事――学食で見た女性の件だ――を面白半分に口にしたらこんな事を言ってきた。
「君はアホか? ただ、単に学食で見かけたことを話しただけじゃないか」
「アホだと? 恋愛の達人に向かってアホだと?」
「君が恋愛の達人なら、赤ちゃんだって恋愛の達人になれる」
「ぬあ! そこまで言うかマイブラザ!!」
「君と兄弟になったつもりはないよ。友人はしてるけど」
「悲しい事言うなよ。……まあ、いいか」
「いいんだ?」
「ああ、もちろんだ。だがな、その話は誰が聞いたって『恋』だって言うぞ」
「そんなもんかな?」
「そんなもんだ。次見た時は声掛けてみろ。お前はファニーフェイスだから結構行けるぞ。そいじゃな」
「どこ行くんだよ?」
「講義。お前と違って単位ヤバイんだよ」
そう言って、友人は去っていった。
……それにしても、随分好き勝手言ってくれたな。
そりゃ、あの子にはまた会ってみたいけど、でもさ、あの子とまた会うなんてそんなこと出来るんだろうか?
「大丈夫?」
「うぅ……もう、だめかも……」
「もうちょっとで着くから、我慢して」
「……うん」
結論から言ってしまうと、また会うことが出来た。
それも、最悪の形で。……まあ、人によっては最高な形なのかもしれないけど。
簡単に言うと、彼女は僕の行きつけの居酒屋で酔い潰れていた。
居酒屋の親父さんが言うには、彼女一人で半ば自棄で飲んでいたらしい。
それで、僕が行ったとき、何故か僕が介抱する羽目になってしまったのだ。
何で、お前だよって言う人もいるとは思うけど、それは僕の方が聞きたいくらいだと思う。だって、親父さんが一度でも見てたら知り合いだ。とか言って僕に全て押し付けたんだから。
「……どんな理屈だよ」
「……んぅ?」
「あ、君に言った訳じゃないから気にしないで」
「……ぅん」
その言葉を最後に背中から寝息が聞こえてくる。
……寝ちゃったか。
何て言うか、その……物凄く無防備だよねこの人。
僕だって、一応は男なんだから警戒してくれてもいいと思う。
……まあ、気にしてないからいいけどさ。
そうこうしてる間に僕のアパートの前に着いていた。
……鍵、鍵っと。
と、そこで僕は停止する。
今現在、僕は家の鍵を開けることが出来ない。
だって、彼女を背負っているんだから両手が塞がってる。
「むぅ……」
少し考える。
いや、女の子背負ってても普通にかぎ開けるくらい出来るか。
――がちゃ。
案の定、普通に開けれた。
やっぱり女の子って軽いんだな、って今更ながらに思う。
玄関に入り、とりあえず頭突きで電気を点ける。
そのままキッチンを突っ切ってリビングと兼用している寝室に向かう。
それで、そのままベッドに彼女を寝かせた。
「……すぅ……すぅ、ぅん……」
気持ちよさそうな寝息。
僕はそれに誘われるように彼女の寝顔を覗き込む。
長い睫、綺麗に整った眉毛。そして、小さくて形の良い唇。
もしかして、いや、もしかしなくても彼女はかなりの美人じゃなかろうか。
「……あ、うぅ……」
どうしよう、かなりドキドキしてきた。
何だっけ、据え膳食わぬは男の恥ってやつ……なのかな?
「やばい、もう寝よう」
僕は押入れからタオルケットを引っ張り出すと、そのまま包まって床に寝転がった。
* * *
――ジャーーー。
ノイズのような音が寝惚けた頭に響いていく。
瞼の上から強すぎる光が差し込み視界をオレンジ色にする
……あ、うぅ……頭がガンガンする……
その痛みが、今だまどろみの中にいるあたしの意識を無理矢理起こす。
目を開けて一番初めに飛び込んできたのは、見知らぬ誰かのエプロン姿。
でも、その姿はその人に良く合っていて凄く優しい感じがする。
「あ、おはよう。もう少しで朝ご飯出来るから」
「……うん」
普通に返事をしているあたしに少しビックリする。
だって、彼は全く見知らぬ人なんだから。
「あ、そうだ。ご飯作ってる間にシャワーでも浴びなよ。昨日のままでしょ?」
「……え、ああ、後にする」
不思議だ。
彼相手ではあたしは普通の反応が出来ないらしい。
「どうしたの? 何か珍しいものでもある?」
そう言って、彼は目の前のテーブルにお皿を乗せる。
……あ、いい匂い。
「これって……」
「ベーコンエッグだよ。朝には定番でしょ? もしかして、卵ダメ?」
「ううん。そうじゃなくて、美味しそうだなって」
「そっか、じゃあ遠慮なくどうぞ」
そう、微笑んでくる彼。
……あ〜ぅ、この子凄くカワイイかも。
「え〜と、いただきます」
そう言って、一口だけ口にする。
「どう?」
「……おいしい」
「そっか、よかった」
彼が破顔する。
その顔にあたしは……負けた。完全敗北ってやつだ。
だから、あたしは決定的なことを言う。
「あたしにつくり方教えて」
「え……?」
「だから、あたしがこれから朝ご飯作ってあげる」
かなり、恥ずかしくて下手な台詞だと思う。それに凄く突然だし。
ほら、彼だって呆けてる。
でも、あたしは告白したことがないんだから仕方ないでしょ?
「だめ……かな?」
「い、いや、そんなことじゃなくて」
「僕でいいの? とか言わないで、あたしだって突然すぎるって分かってるんだから」
「あ、うん。それじゃよろしくお願いします」
「うん。よろしくね」
かなり……ううん、ありえないくらい突然。
でも、これがあたしたちの馴れ初め。
これが、あたしたちが出会った本当に小さな日常と言う偶然の賜物だった。
――あくる日――
心地よいまどろみから意識が覚醒する。
そこは見慣れた部屋。
あの時の、あの時間の部屋ではないけど、ここは大切な人との思い出の部屋。
ふっ、とカーテンがゆれる。
風邪、引くよ?
誰かさんがそんな事を言ってくる。
でも、そんな人はどこにもいない。
「分かってる、分かってるよ」
何度、こんなことを繰り返しただろう。
何度、いない人を求めただろう。
それは、数え切れないほど……
「ねぇ、早く来てよ。結婚式、始まっちゃうよ」
ねぇ、教えて。いつから、いつから……
偶然は、奇跡を、喜劇を、悲劇に変える、の……?
それは、偶然に翻弄された僕と彼女の結末のたった一欠けら。
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あとがき
どもども、白犬です。
どうしましょうかね、これ。
ほのぼの系で行くつもりが、妙な溝に話がそれたようなw
しかも、何かこれ続きが書けそうだしwむふ〜、サボるとこうなりますか。
まあ、出来ちゃったものはしょうがないしね(爆
と言う訳で、感想お待ちしております。
ではでは、白犬でした。
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