9月17日・謝恩日聖日礼拝メッセージ(要約)


  聖書:テトスへの手紙 2章1−14節
  説教:『良いわざに熱心なご自分の民』


  
「キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、
   私たちをすべての不法から贖い出し、
   良いわざに熱心なご自分の民を、
   ご自分のためにきよめるためでした。」
           
(聖書・テトス 1:14)

 明日の「敬老の日」を前に、私たちの教団では「謝恩日聖日」を守ることにしております。
この謝恩日聖日では、ご高齢の牧師先生方を覚えて、
日々の健康が守られるよう、主の恵みが豊かに注がれるよう祈り、
また教団の厚生委員会が行っている引退牧師支援ために献金をお捧げして気持ちを表します。

 世の中と同じように、キリスト教会の中でも「敬老」の気持ちをご高齢の方々に表します。
私たちは地上の生涯をここまで送られてきた方々に、
人生の先輩として、信仰の先達として、敬意を払います。
それは年をとることは何かを失っていくことではなくて、
多くの経験を私たちよりも重ねておられるからです。
 8月の終わりにも90年余の地上の生涯を終えて天に帰られた引退牧師の先生がおられましたが、
その先生からは人生の、信仰者の、牧師の先輩として、いつも含蓄のある教えをいただいていました。
自分にはまだ経験のない未知の世界をすでに信仰者として歩まれ、
天国に帰る時まで信仰を全うしたことに敬意を覚えると共に、
私たちもそのように歩めば良いのだという模範を見せていただいて
「こうすれば良いのだなあ」と思えるのは感謝なことです。
 「敬老の日」とは高齢者を敬うということではありますが、
私たちもそこに向かって生きているのだということを忘れてはなりません。
今、私たちがあるのは先達の皆さんのおかげです。
信仰者として戦後の混乱を切り抜け、信仰者として高度成長の時代を生き、
延々とつなげてきた日本のキリスト教会の歴史の上に、私たちはいるのです。
ですから私たちもこれからの若い人たちに伝えて行かなければならないのです。
この歴史とその中で大切にしてきたものを引き継いでもらえるように、です。

 お開きしたみ言葉は、テトスという伝道者が自分を育ててくれた
先輩伝道者のパウロから受け取った手紙の一部です。
テトスはパウロとクレテ島の諸教会を訪問した後、そのままクレテで牧会をすることになりましたが、
パウロはそんな彼に励ましの手紙を送ったのです。
 この教会にはあらゆる人々が集っていました。
老人たち(2節)、年をとった婦人たち(3節)、若い人々(6節)、そして奴隷たち(9節)です。
その全ての人々に目を配り、健全な教え、健全な生活、健全な信仰を教えるようにとパウロは書きました。
なかでも老人たちと年を取った婦人たちには「良き模範となって、若い人たちが従うような者であれ」と。

 年を取るということは、仕事の一線から退くとか自由な人になるということではありません。
良い模範となって行かなければならないのです。
自制、謹厳、慎み深さ、信仰と愛と忍耐深さ、悪口を言わない、大酒飲みでない、良いことを教える、等々…。
私たちはこれから年を更に重ねるなかで、他人から敬ってもらえるような者になって行かなければならないのです。
なぜでしょうか。
それは「キリストがご自身を捧げて、私たちを贖い出された」目的がそこにある(14節)からです。
私たちが良いわざに励み、良い模範となっていく。
周りの人たちに気を配り、模範を示し、指導して行く。
そんな健全な信仰を持ち、健全な歩みをするために、キリストはご自身の命を捧げて下さいました。
イエス・キリストを救い主として信じた私たちは、その教えに相応しく歩む者でありますように。

 礼拝の祝福をお祈りいたします。