9月10日・聖日礼拝メッセージ(要約)


  聖書:ペテロの手紙T 5章6−11節
  説教:『心配と信仰』


  
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
   神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
           
(聖書・Tペテロ 5:7)

 9月1日は「防災の日」でした。
私も岡山に住むようになって10年になりますが、
以前に比べて防災意識が希薄になっているのではないかと反省しているところです。
先日、消防署の人が「火災報知器」設置の有無を点検するために訪ねて来られ、慌てて手配をしました。
家の中のことから世の中に目を向けると、先週もハリケーンや大地震などの災害や、
近隣諸国でのミサイル発射のニュースが報じられました。
国単位の大きな災害や争いだけでなく、
私たちの周りの小さな災害・小さな災い、そして個人的な心配に至るまで、
数え上げたらキリがないほど私たちには心配事と不安をかき立てられるようなことがいっぱいあります。
私たちはそのような中をどのようにして切り抜けて行けばよいのでしょうか。

 今朝は、イエス・キリストの弟子であるペテロが書いた書簡から学んでゆきます。

 たいていの人たちは様々な心配や災害に対して「事前の準備が大切だ」と言うでしょう。
災害袋を準備したり、避難場所の確認をしたり、万が一に備えて保険にも入ったり…。
でもそれで人の心の中にある不安をぬぐい去れるかと言うと、それは違います。

 私たちはそもそも心配や思い煩いをするものなのです。
お開きしたみ言葉にも「思い煩いを神にゆだねなさい」とありますから、
心配や思い煩いの存在を否定したり、心配や思い煩いが出てくるのを禁じているのではなくて、
出てきてしまうそのようなものを神さまに委ねることこそが肝心なことなのです。
 新約聖書が書かれたギリシャ語で「心配する、思い煩う」とは、
「実存に関する重要な事柄が心をとりこにする」という意味を持っているそうです。
心配が心を虜にしてしまう、心配に心が支配されてしまう、
心配故にどうしようもない状況の中に人を追い込んでしまう…、誰もが経験していることでしょう。
私たちは心配をするものです。
しかし、「支配されてはいけない。全部の心配事を神さまに委ねよ」とペテロは勧めました。
 その「委ねる」という語は原語では「投げつける」という意味を持っています。
私たちの心配事は神さまに投げつけてしまいましょう。
そうすれば私のもとに心配はなくなってしまいます。
私たちの心配は神さまの元に移ったのです。
そして代わりに神さまが心配して下さいます(9節)。
私たちの心配事はこのような形で神さまに移って行きます。
ここで神さまに対する信仰が必要とされるのです。
神さまに心配事をお渡ししましょう。
神さまは私の代わりに心配して下さいますから、私たちは安心することが出来ます。
 すでに天に帰った父がよく「悲観的楽観主義者」という言葉を使っていました。
「物事を楽観視したい。しかし現実的には最悪のことを考えておかなければならない。
けれども、神さまがその中にも共に居てくださるから、大丈夫」という意味のようです。
神さまがおられるから、最悪になっても大丈夫。
そこに神さまの恵みを見い出して、私たちは最悪の状況の中を通って行くことができます。
こうして私たちは苦しみを乗り越えて強くなって行くのです(10節)。

 神さまの望まれるように神さまの御心のようになることを願ってお委ねすること。
その積み重ねが私たちの信仰を不動のものとするでしょう。
まずはできるところから、神さまにお委ねして、歩みましょう。

 礼拝の祝福をお祈りいたします。