10月1日・聖日礼拝メッセージ(要約)


  聖書:ローマ人への手紙 3章21−26節
  説教:『信仰義認』−宗教改革記念日に向けて@


  
「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスの贖いのゆえに、
   価なしに義と認められるのです。」
           
(聖書・ローマ 3:24)

 来る10月31日は『宗教改革記念日』です。
今年はその改革の始まりからちょうど500年目になります。
カトリック教会の司祭であったマルチン・ルターという人が、
教会の扉に「95箇条の提題」(95個の質問状)を貼り付けて、
「聖書の教える神の救い」と当時の「教会の教える救い」の違いを
問いただしたのが始まりです。
今月の5回の聖日講壇は、この宗教改革記念日に向けてみことばを
取り次いで行きたいと思います。

 マルチン・ルターがもたらした宗教改革の波は、
結果としてキリスト教会を二分することになりましたが、
彼はその目的があって改革を起こしたわけではありません。
キリスト教の歴史や聖書の歴史書を見ると、
それまでも指導者が立てられ、「宗教改革」がなされて来ました。
たとえば旧約聖書の歴代誌の中では、
神殿から神の言葉が書かれた巻物を見つけて、
イスラエルの王が民と共に悔い改めたという記事があります。
改革というのは外側(キリスト教徒以外の人々)からの迫害とは違います。
内側(キリスト教徒)から自らの有り様を矯正して生じているズレを戻そうとするものです。
ルターの疑問はキリスト教の神髄に関することでした。
宗教とは人が救われることであるはずなのに、
当時の教会は聖書の教えとは違うものを教えていました。
聖書には「信仰によって救われる」と書いてあるのに、
教会は「免罪符を買うことで、天国に行ける」と言って免罪符を売って
教会の資金調達をしたのです。
今ならば私たちは自分で聖書を読んで確かめることが出来ますが、
当時はまだ印刷機が発明される前で、聖書が教会にしかなくて司祭が人々に読み聞かせていたため、
人々は何の疑問も持たずに教えられたことをそのまま受け入れていたのです。

 お開きしましたみことばは、ルターが「信仰によって救われる」「価なしに救われる」という
信仰義認の根拠を示しているところです(24節)。
22節にはイエス・キリストを信じれば誰でも救われるとあります。
このローマ人への手紙は紀元1世紀に書かれましたから、
キリスト教の初期から信仰義認は教えられていました。
それなのに人の様々な思いが入り込み、だんだんと正しい教えからズレてしまい、
宗教改革によって矯正されなければならなかったのです。
 「信仰義認」は新約聖書だけではなく、旧約聖書にも見られます。
旧約聖書は一番古い書にいたっては紀元前1500年頃に記されていますが、
父祖アブラハムが信仰の父として神さまから信仰を教えられ、
それを受け継いできた歴史でもあります。
 4000年前のアブラハム、
 3500年前のモーセ、
 3000年前のダビデ、
 2500年前のダニエル、
そして
 2000年前のイエス・キリスト。
ざっと大まかに申し上げましたが、
その信仰はずっと続き、受け継がれてきた教えなのです。
 聖書は4000年前もから信仰によって救われることを示し続け、今に至っています。
どんな人でも信じれば救われます。
大人でも子供でもどんな身分の人でも、救われます。
この信仰による義を受け継いできた歴史を聖書の中に見る事が出来るのです。
ぜひ、聖書をお読みになって確かめてみてください。

 礼拝の祝福をお祈りいたします。