(18.06.10)

2018年の旅・ブダペスト編



 今回はプラハ・ウィーン・ブダペストへの旅でした。 先週のウィーン編に続いてブダペスト編です。



写真1:ドナウ川に架かるくさり橋、マーチャーシュ教会の尖塔

 ハンガリーの首都ブダペストは、「ドナウの真珠」と言われる美しい街です。 しかし、9世紀ごろ建国されたマジャール人の国ハンガリーはチェコと同じように歴史的に苦難の道を歩んできました。

 例えば、13世紀には強大なモンゴル軍に国土を占領されました。 モンゴル軍は次にウィーンの占領を試みましたが、 そのタイミングで大ハーンのオゴデイの死が伝わりモンゴル軍は撤退しました。 ハンガリーもウィーンもそれで救われたのでした。

 16世紀にはオスマン帝国に100年以上にわたって占領されました。 オスマン撤退後17世紀にはハプスブルグ家の支配下に入りました。 1867年にはオーストリア・ハンガリー二重帝国として自治権を得ましたが、 完全に独立したのは第一次世界大戦後の1919年です。

 しかし、第二次世界大戦ではドイツ・イタリア・日本側について1945年に敗戦、その後はソ連の支配下に入りました。 1989年になってビロード革命によってやっと独立を勝ち取って今に至っています。



 ところで、不思議なことがあります。 国や街が異教徒によって長期に占領されると、宗教施設や文化財が破壊されるのが普通です。 上にも書いたイスラム教のオスマン帝国は、キリスト教を象徴するものはみんな破壊しています。

 20世紀半ばの中国でも共産化されてまもなく文化大革命が起こり、 宗教施設や文化財が大規模に破壊されました。 つい最近まで世界の恐怖となっていた「イスラム国」も仏教遺跡などを破壊していますし、 もしエジプトを占領したらピラミッドやスフインクスを破壊するだろう、と述べていました。

 しかし、第二次世界大戦後に東ヨーロッパを支配したソ連は、 それまでの支配者階級である王侯貴族やブルジョアが建設した宗教施設や文化財をそのまま利用しています。 君主制や民主主義国にとっては、まったくの「異教徒」であるはずの共産主義国ソ連は、 なぜそれまでの文化施設の破壊を行わなかったのでしょう?



 写真はドナウ川にかかるくさり橋、その向こうの白い尖塔がマーチャーシュ教会、 写真左側に王宮の一部が見えます。 目を見張る美しさです。





 写真2:ハンガリー国会議事堂

 1904年に建設されたこの国会議事堂はハンガリー帝国時代の威容を誇るように、 巨大で壮麗なゴシック建設です。 その後ハンガリーは、 オーストリア・ハンガリー二重帝国としてイギリス・フランス・ロシア・アメリカを相手に戦った第一次世界大戦の敗戦によって、 国土はそれまでのほぼ4分の1にまでもシュリンクしました。 その結果あまりに美しすぎ「立派すぎる」国会議事堂が残りました。

 今回は内部の見学まではできませんでした。 内部には豪奢な装飾が施された大階段、 天井に描かれたフレスコ画、 シュタインドル・イムレの胸像、 アールパード、イシュトヴァーン1世、フニャディ・ヤーノシュの像などもあるそうです。 





 写真3:マーチャーシュ教会外観

 マーチャーシュ教会は、13世紀半ばベーラ4世によってゴシック様式の教会として建てられました。 当時は「聖母マリア聖堂」と名付けられたましが、1479年にマーチャーシュ1世は南の塔の建造を含む増築を命じた以来 マーチャーシュ教会呼ばれるようになりました。

 しかし、1541年にオスマン帝国に占領され、この聖堂はイスラム教のモスクとなりました。 そして内部の壁に描かれていた豪華なフレスコ画は白く塗りつぶされ、装飾品は持ち去られてしまいました。 (貴重品はその前に疎開したのですが)

 1686年、ポーランド・リトアニア共和国とハプスブルク帝国の反トルコ神聖同盟によって、 オスマン帝国軍はハンガリーから駆逐されました。 その後教会は修復されましたが、本来の壮麗な姿になったのは19世紀も末のことでした。





写真4:マーチャーシュ教会内部

 マーチャーシュ教会の主祭壇です。 ステンドグラスから差し込む光と壮麗な装飾との微妙なコントラストが美しかったです。 神を信じ帰依することによって天国に行けるような気がします。





 写真5:聖イシュトヴァーン大聖堂

 ハンガリー王国の初代国王イシュトヴァーン1世にちなんで名づけられた大聖堂。 ネオ・ルネッサンス様式の建築で、ハンガリー建国1000年を記念して建設を進めましたが完成したのは1905年でした。 「ブダ」にあるマーチャーシュ教会に比べれば、 「ペスト」にある聖イシュトヴァーン大聖堂は「つい最近」できたといってもいいでしょう。

 聖イシュトヴァーン大聖堂のすぐ近くにオペラ座があるのですが、 残念ながら現在は建物外側の工事中で、オペラも上演されていないとのことでした。



 ところで、ブダペストの街並みは中世の面影がかなり残っているので、 近世以降に整備された街とは雰囲気がかなり違います。 道は碁盤の目でも放射状でもないのですぐに迷子になってしまいます。 地図を見ながら歩いても私は2度も迷子になりました。





写真6:聖イシュトヴァーン大聖堂内部天井

 聖イシュトヴァーン大聖堂の外観は無骨ともいえるシンプルさですが、 その内部は絢爛豪華で、大理石や金を贅沢に使用した装飾、 技術の粋をを尽くした彫刻、絵画やモザイク画に目を奪われます。

 写真は大聖堂内部天井部分ですが、キリスト教は光の使い方が抜群にうまいですね。 ここではコンサートもよく行われるようですが、さぞよい音なのでしょう。 聞きたいです。





 写真7:フランツ・リストが特注したハイブリッド・キーボード

 ハンガリーが生んだ作曲家と言えば、フランツ・リスト、ベラ・バルトーク、それにコダーイでしょうか。 中でもフランツ・リストは後の作曲家、ショパンやワーグナー等に与えた影響の大きさからして群を抜いた存在です。

 写真はリストが特注したハイブリッド・キーボードで、リスト博物館に陳列されていました。 上段がハンマークラヴィーア、下段がオルガンのように空気で音が出る方式のようです。 私はこのようなものが存在したということ自体知りませんでした。

 今はピアノと言えば88本のピアノ線をハンマーでたたく方式に決まっていますが、 リストの時代にはまだ試行錯誤だったのですね。 もし、リストのようなピアノの大家が、この方式に作曲力を傾注していたら、 これが現代のスタンダードの1つになったかも知れませんね。





 写真8:フランツ・リストが使った引き出し型ミニピアノ

 フランツ・リストが作曲をする時に使った引き出し型のミニピアノです。 写真で見る通りわずか3オクターブだけしかないピアノです。 やはりこのようなものが存在したということは私は知りませんでした。 どんな音がするんでしょうね?

 リストの音楽は力強くて音域が広いのです。 そんな音楽の作曲の際に、こんなかわいらしいミニピアノを使ったいたなんてとても意外でした。 机に座って引き出しを開けるようにミニピアノを取り出す凛とした姿のリスト、 想像するなんだか可笑しいですね。





 写真9:夜のくさり橋(セーチェーニ鎖橋)

 ドナウ川の両側「ブダ」と「ペスト」間は長年、 夏場は船で、冬は氷の上を歩いて行き来していました。 この間に橋がかかったのはやっと1849年になってからです。 (プラハのカレル橋に比べるとずいぶん遅いですね) 当時は世界で一番長いつり橋でした。



 写真は高圧ナトリウム灯でライトアップされた夜のくさり橋です。 橋には車道の脇に歩道があり、みんなゆっくりと歩いてロマンティックな夜の風情を楽しんでいました。 橋からはライトアップされたマーチャーシュ教会や王宮、 それに電飾をつけた船がいくつも、 水面に光を落としながらゆっくりとドナウ川を渡るのを堪能することができます。

 私も夜のくさり橋をゆっくりと歩いて渡り、 高圧ナトリウム灯が暗い川面に移る光とマーチャーシュ教会や王宮の陰影を堪能して、 また反対側を歩いて戻りました。(誰と? それは秘密。)

 それはそれは、夢の中にいるような美しい夜の景色でした。 この後、ホテルに帰る途中で迷子になり、 夜のブダペストの街中をしばらく彷徨いました。 2〜3人に道を尋ねた末に、やっとホテルにたどり着きました。





 写真10:船上レストラン”SPOON”

   船上レストラン”SPOON”で食事をしました。 あまり口にしたことのない香辛料が使ってあるスープ、思っていたより3倍大きいフォアグラ、 微妙な味のアイスクリーム、それに紅茶。 なんでもおいしくいただきました。完食でした。

 ドナウ川に浮かぶ船から見る景色は絶景でした。 上記の写真1は、この線上レストラン内から撮ったものです。