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(18.06.03) 2018年の旅・ウィーン編 今回はプラハ・ウィーン・ブダペストへの旅でした。 先週のプラハ編に続いてウィーン編です。 |
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写真1:チェスキークロムの街
その後チェスキークロムの街は、ハプスブルグ家やその他の有力貴族など所有者が変わりました。 しかし、全体的にには近代的発展の有力ルートから外れたため、 チェスキークロムの街は穏やかな衰退に向かいました。 ところがそれが幸いして、 保存された街の景観の歴史的価値が再認識され1992年にはユネスコの世界遺産に登録されました。 滞在は短い時間でしたが、街を散策したり15世紀のフレスコ画がある聖ヴィトゥス教会、 クルムロフ城を見てきました。 チャンスがあったら6月の夏至の週末に開催される「五弁のバラの祭典」に行きたいと思います。 写真2:シュテファン大聖堂外観
翌日にシェーンブルン宮殿にあるグロリッテからウィーン市内を一望したのですが、 市の中心部(リング内部)にはシュテファン大聖堂よりも高い建物はありませんでした。 ただ郊外には国連が使っているビルなど近代的な高層建築がいくつかありました。 写真3:シュテファン大聖堂内部 (私が撮った写真が鮮明ではないのでネット上のパブリック・フリーのものを使いました)
カトリックの教会は残響が非常に長く、 また高い天井と複雑な装飾のために定在波の発生が少ないので音楽には絶好の音響環境です。 次回はぜひここでコンサートを聴いてみたいと思います。 新たな目標@です。 写真4:シェーンブルン宮殿の薔薇
写真5:ネプチューンの噴水とグロリッテ
グロリッテに登っているのはほとんどが中国人観光客でした。 ここのみならず観光客の半分は中国人(と若干の韓国人も)といった感じです。 中国人観光客は派手な服装で集団行動し大きな声を出しているのですぐにそれと分かります。 しかし、豊かになって小金ができたらさっそく海外を見て歩く中国人、 なんてアクティブな民族のでしょうか。 かつての日本人もこうだったのでしょうか? 写真6:雨に立つ皇帝フランツヨーゼフ一世像の孤独
フランツヨーゼフは生前、「私は生きている間にすべてを失った…」と語りました。 彼は、 ・唯一の息子だった30才のルドルフを失い (愛人との心中だったというのが定説) ・妻のエリザベートを失い (ジュネーヴ・レマン湖でテロリストに刺された) ・弟のマクシミリアンを失い (メキシコ王に即位したが反対派に殺害された) ・ルドルフに代わる後継者に指名した甥のフェルディナントを失い (第一次世界大戦の原因となったサラエボ事件) ました。 しかし、フランツヨーゼフは650年続いたハプスブルグ帝国(当時はオーストリア・ハンガリー二重帝国)だけは失わずに済みました。 フランツヨーゼフが当時としては超高齢の86才で没したのが1916年、 帝国が瓦解したのがそれから2年後の1918年、 今からちょうど100年前です。 彼は亡くなるまで皇帝だったのです。 写真7:美術史美術館クリムトの壁画特別展示
この等身大以上の大きな壁画は若きクリムトの初期の作品ですが、 どう見てもクリムトにしか見えません。 この強烈な個性はやがて世紀末ウィーンの爛熟した文化の勃興につながります。 印象に残った作品としては、 ・ラファエロ 「草原の聖母」 ・ブリューゲル 「バベルの塔」 ・フェルメール 「絵画芸術」 ・レンブラント 「大きな自画像」 ・アーヘン 「ルドルフ二世」 ・バトーニ 「ヨーゼフ二世とレオポルド」 などです。 また前回は絵がパリに出張中で見ることが出来なかった、 ベラスケスのピンク、白、青それぞれの「マルガリータの肖像」も3枚仲良く並んで展示されていました。 少し離れて「プロスペロ王子」ももちろんいました。 さらには、エジプト=オリエントコレクション、 古代古典コレクション、 美術工芸コレクション、 小銭コレクションにも足を延ばしました。 なお、これらはのちほど紹介します。 写真8:ベルヴェデーレ宮殿
ベルベデーレ(Belvedere)とは「美しい眺め」という意味で、 プラハにも同じ名前の宮殿があります。 宮殿の庭園でウィーン市民?がジョギングをしていました。 なんと優雅なのでしょう。 次はシューズとウエアを持参してこの庭園でジョギングしたい、新たな目標Bです。 写真9:230年前モーツァルトが眺めていた路地
モーツァルトハウス付近の建物は、モーツァルトが生きていた時代とほとんど変わっていないそうです。 モーツァルトは写真と同じような景色の路地を2Fの窓から眺めていたことになります。 写真10:ウィーン・ムジークフェラインザールにて
・ハイドンの23番のソナタ ・シューベルトのD.899の即興曲 ・ベートーヴェンの10番のソナタ ・同じく「熱情」 特にベートーヴェンの10番のソナタ、2楽章の最後の和音がこれまで聞いたことのないほど美しい響きでした。 まさにムジークフェラインザールの音ですね。 ムジークフェラインザール内にはベーゼンドルファーの本社があるのに、 当日のピアノ(写真)はアメリカに本社があるステインウエイでした。 私の隣席は、 日本からウィーンに音楽留学している23歳の男の子(「大河」くんという素晴らしい名前)でした。 彼は学生の特権で40ユーロ(5〜6.000円)でこのコンサートに来ているとのことでした。 私は3万円なのに…。 休憩時間には彼からは専門的な話をいろいろ聞くことができました。 写真の私はスーツを着ていますが、 ここウィーン・ムジークフェラインザールでもスーツ+ネクタイ姿は少数派になりました。 この次はビジネスカジュアル程度にしようと思います。 もう一つ気がついたて驚いたのは、 ウィーンでもプラハでもこのような「サラリーマン(ビジネススーツ)」の服装をしている男性が街角や地下鉄には一人もいないことです。 平日の通勤時間、帰宅の時間でもそうでした。 注意して観察していたのでそれは確かです。 一方、成田空港からバスで東京駅に帰ってみると、 「サラリーマン」の服装をしている人がウジャウジャといました。 見慣れた光景ですが、これは日本のガラパゴスかも知れません。 |