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(18.05.27) 2018年の旅・プラハ編 今回はプラハ・ウィーン・ブダペストへの旅でした。 まずはプラハ編です。 |
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写真1:成田空港で見た夕日
写真2:聖ヴィート大聖堂外観
王宮を含む城の中に大聖堂があるということは、 キリスト教が王によって保護されたというか、聖俗の権力が一体的だったことを意味します。 プラハ城は紀元880年ごろから建設が始まり、 1000年以上後の1929年に今日の姿になりました。 大聖堂も1000年前から建設が始まりました。 写真3:聖ヴィート大聖堂のガラス絵
この見事なガラス絵には聖書からの物語、あるいは王や聖職者たちの重要な出来事などが描かれていて、 ずっと見ていても見飽きませんでした。 キリストへの信仰心の厚さ、 芸術的な深さと、 チェコのガラス製造技術水準の高さ、 まさに三位一体でしょうか。 写真4:フラッチャニ広場
写真には写っていませんが、広場には自動車がたくさん駐車してあって全然美しくなかったです。 広場にある広告柱にはローリングストーンズの大きな赤いベロマークがありました。 神をも恐れないストーンズ! 写真5:スメタナホール外観
市民会館の表面バルコニーでは音楽祭開始を告げるファンファーレが鳴り響いていました。 今年はハプスブルグ帝国(当時はオーストリア・ハンガリー二重帝国)が瓦解して、 チェコがチェコスロバキアとして独立して100年にあたります。 初日はチェコ大統領夫妻も音楽祭に来ます。 写真6:スメタナホール内部
ネトピル指揮のもと、チェコフィルはメリハリのきいたインターナショナルな音になっていました。 どこか鄙びた香りのするかつてのチェコフィルの弦の響きが現代的に変わってしまったのは少し残念な気がしました。 しかし「わが祖国」はあの演奏のような一大スぺクタルに値する充実した交響詩なので、 それはそれでよいかも知れません。 写真7:レオポルド門
写真のレオポルド門、 映画「アマデウス」のラストシーンに使われたことでも知られています。 雨の日、モーツァルトの棺を近しい人たちが見送る感動的な涙のシーンです。 写真8:ドヴォルザークの墓所
以前書いたと思いますが、私のクラシック入門曲はドヴォルザークの交響曲「新世界より」です。 以来40年も間ほぼ毎日クラシックを聞き続けていて、 またこのようにヨーロッパに旅行もするようになりました。 すべてはドボルザークが始まりでした。 感無量でした。 写真9:ベルトラムカ
モーツァルトがオペラ「ドン・ジョバンニ」を作曲したのは写真左上の角部屋でした。 オペラの締め切り前日から当日にかけて、 わずか一夜にしてドン・ジョバンニ序曲を完成させたという伝説が残っています。 深く濃厚で魅惑的な「ドン・ジョバンニ」。 私が最も好きなオペラです。 これも感無量でした。 写真10:アインシュタインのパネル
すでに特殊相対性理論を完成させていた32歳の若きアインシュタインは、 1911年に赴任したここプラハで一般相対性理論の構想を練っていました。 その息抜きのために酒場に行ったのでしょうか? パネルには、核の理論的基礎となった著名な数式 E=mc2(イーイコールエムシー2乗)、 重力によって空間が湾曲することを説明する図、 あるいは趣味のヴァイオリンのマークが描かれています。 アインシュタインは、 「死ぬということはモーツァルトが聞けなくなることだ」という言葉を残しています。 また、アインシュタインはここプラハで前妻と決別し、 新たな恋をスタートさせています。 私は物理学を専攻した修士課程時代、 毎日毎日アインシュタインを、特に特殊相対性理論を意識して過ごし(苦しみ)ました。 またまた感無量でした。 |