(14.08.10)

ザルツブルグ(オーストリア共和国)



 ザルツブルグ(Salzburg)へ行ってきました。ザルツブルグはオーストリアで4番目に大きな都市ですが、 それでも人口わずか14万人です。 この都市はモーツァルトの生誕の地として知られています。また、ヘルベルト・フォン・カラヤンもここで生まれました。 両者の生誕の地は川を挟んで歩いても5分しか離れていませんでした。

 今回の旅の目的は主に音楽です。 と言うのは、ザルツブルグでは、第一次世界大戦後の約90年前から夏に音楽フェスティバルが行われ、 ヨーロッパのみならず世界各地からファンを引き寄せています。この音楽祭のプログラムはウィーンフィルによる オペラやコンサートを中心としています。

 しかし、ザルツブルグが人を引き付けるのは音楽だけではありません。 歴史的な建造物がたたずむ美しい街並みと、それを取り囲む自然の組み合わせはもう夢のようです。 また、夏でも涼しいので避暑地としても知られ、 さらに映画「SOUND OF MUSIC」の撮影場所としても知られています。ザルツブルグから帰ってから 「SOUND OF MUSIC」を見直したら、以前は気が付かなかった懐かしい場所が次々と現れるので、 この映画の楽しさがさらに増しました。



 ただし、ザルツブルグは旅行者にとってよいことだけではありません。 ケーキやカプチーノは美味しいのですが、食事は私の舌には合いませんでした。 また、物価が高く、ユーロ高円安がモロに効いています。 もう少し長い日々を過ごすことが出来ればこの印象は変わるかもしれません。

音楽>建造物>自然>避暑>・・・>グルメ>買い物



 写真1:ミラベル宮殿

 もう30年以上も前に、モーツァルトの管弦楽集「ミラベルの庭園にて」というタイトルのモノラルLP (ブルーノ・ワルター指揮)を愛聴していました。私はこのLPで「フィガロの結婚序曲」、 「劇場支配人序曲」や「フリーメンソンのための葬送の音楽」の魅力を知りました。 そして、その頃から「ミラベル」という言葉は私の憧れの一つでした。

 将来ミラベルに行くことができるだろうか?
ミラベル行けるとして、その前にどんな人生が待っているのだろうか?
ミラベルには誰と行くのだろうか?
学生時代はそのような漠とした思いでミラベルの事を想っていした。
そしてそれから長い長い年月を経た今夏、やっと憧れのミラベル庭園に立つことが出来ました。

 写真は、ミラベルの庭園にある薔薇園のオブジェ付近から望む「ホーエン・ザルツブルグ城」 です。城の前には大聖堂の緑色の尖塔が3つ見えます。 滞在中は写真のように好天に恵まれ(前日までは大嵐だったそうです)、暑くもなく寒くもなく絶好の観光日和でした。





 写真2:小高い丘から

 小高い丘の上から見るザルツブルグ市内。 東側(写真左側)は山に囲まれたわずかな平地に旧い建物が密集、 西側(写右側)はわりと平坦な台地が開け近代的なビルも見えます。 丘の最も眺めがよい場所は個人の別荘の敷地内にあり一般の人は立ち入ることができません。 ここの別荘は高いだろうな。





 写真3:大聖堂内部

 ザルツブルグはハプスブルグ帝国領内にありながら、 カトリックの大司教区として19世紀初めまで帝国からは政治的・経済的に独立していました。 したがって市内には多くのカトリックに関する建造物が中世さながらに残っています。 中でも、モーツァルトも洗礼を受けたという大聖堂の壮麗さには目を見張りました。しかし、 あまりにも壮麗すぎる故に、荘厳さよりもかえって世俗的な印象を免れません。

 次回はここでぜひ音楽が聴きたいと思います。パイプオルガンの音は、音は上から下に、下から上にと響き渡り 神をたたえて響きわたるのだろうと想像しました。モーツァルトよりもJ.S.バッハが似つかわしい かも知れません。





 写真4:モーツァルト生誕の家

 1756年1月27日、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトがこの建物で生まれました。少年時代のモーツァルトは父レオポルト、母、姉の4人家族で ここで過ごしました。音楽家だったレオポルトから英才教育を受けた モーツァルトはわずか4、5才から作曲を始め、8才でシンフォニーを、12才でオペラを 作曲しています。我が子が稀有の天才だと気が付いた時のレオポルトの心情はどのようなものだったのでしょうか? すべてがこの黄色い家から始まりました。

 この建物の一階には”SPAR”というコンビニです。写真右下には、実に控えめに”Mozarts Geburtshaus”と同じ色の 文字でサインがあります。ザルツブルグでは、マックもスタバも例の派手な看板を出していないので、 近くに行かないと分かりませんでした。

 また、ザルツブルグでは多くの古い建築物が当時の形をそのままにリファインされている感じがしました。 というのは映画「SOUND OF MUSIC」で見られる1960年代の映像よりも、現代のザルツブルグの建築物の 方が(汚れが少ないという意味で)きれいに見えるからです。ザルツブルグ駅も建替えていましたが、 完成したら美しい建造物になることだろうと思います。







 写真5:祝祭大劇場前

 ザルツブルグでは2つのオペラと1つのコンサートに行きました。 オーケストラはすべてウィーンフィル、なんと贅沢なのでしょう!

 オペラには、それぞれに趣向をこらしてドレスアップしたレディース&ジェントルメンが集います。 女優のように華麗で長身のレディと昔の王子様のようなジェントルマン、 伯爵夫人のように品のあるレディと白髪で威厳に満ちたジェントルマン、 ド派手なおばさんとビール腹のおじさん、 一人っ子政策で生まれたと一目でわかる中国人、押しの強い韓国人、着物姿の日本人、陽気なロシア人、 みんな楽しそうです。そのレディース&ジェントルメンを見るために、一般人の大勢の人垣ができていました。

 今回私はダークスーツでオペラに行ったのですが、次回はぜひタキシードと蝶ネクタイに挑戦したいと思います。 美しいレディが一緒ならば、なお素晴らしいと思います。





 写真6:「薔薇の騎士」フィナーレ後

 祝祭大劇場で行われたリヒャルトシュトラウスの「薔薇の騎士」は、モノクロームな舞台に歌の素晴らしさが加わって最高でした。 オックス男爵のワルツがウィーンフィルのストリングスセクションによって奏でられた時、 心の奥深くが身震いしました。あまりに深くも美しすぎる音達! もう二度とあのような音は聞くことができないと思う夢のような瞬間でした。

 写真は「薔薇の騎士」フィナーレ後の様子、手前のピットはウィーンフィルハーモニーです。 フィナーレの伯爵夫人、オクタビアン、ゾフィーの三重唱は至福の時間でした。 惜しみない拍手が続きました。





 写真7:モーツァルト劇場内部

 モーツァルト劇場で行われたモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」は、オペラの場が ホテルのロビーから一歩も出ない斬新な演出に驚きました。 そして、いつもなら付け足しのはずのフィナーレではさらに驚きました。 地獄に落ちたはずのドン・ジョバンニが復活したのでした。 ドン・ジョバンニの魅力が、小賢しい道徳や矮小な人々が作った決まりに対して勝利したのでしょう。

 写真はモーツァルト劇場内部のオペラの幕間の様子です。眩いばかりの装飾の下、レディース& ジェントルメンがオペラの幕間のひと時を楽しんでいます。 ワイン、ジュース等を右側のカウンターで買うことができます。 ここで私は歌手の森山良子さんを見かけました。帰りの飛行機も一緒でした。





 写真8:チケット等

 写真左は、ザルツブルグ市内のバスに1日乗れるワンディチケットです。フリーの昼間はこれでケーキやパイ、 カプチーノを食べ歩きました。 真ん中は、「薔薇の騎士」のチケットです。意外にシンプルです。 右は、大聖堂に寄付をすると手渡されます。





 写真9:ダッハシュタイン連峰とゴーサウ湖

 ザルツブルグは少し郊外に出ると、そこは牧草地が多い穏やかな田園風景です。 点々と散らばる家々の窓には赤いゼラニウム等の花々がきれいに飾られています。 花を飾るのはザルツブルグのみならずオーストリアの伝統で、見る限り花のない家は皆無でした。

 ザルツブルグはアルプス山脈の東のはずれに位置しています。 北はすぐドイツとの国境、南にはイタリア、西にはスイスです。 ザルツブルグ郊外から奥に行くと、周囲には切り立った岩山や湖が点在しています。写真のようにダッハシュタイン連峰の 奥深くには氷河さえ見ることが出来ます。ゴーサウ湖の湖面に氷河が映りこむのは年に数回しかないようで、 普段の心がけがいいせいか、またまたラッキーでした。

 山々に囲まれた湖のほとりに立った時、私の意識から聞こえてきたのはマーラーの音楽でした。 交響曲3番「夏の朝の目覚め」や4番「大いなる喜びへの賛歌」。 この年齢になってやっと感じることが出来た自然と音楽、人生の意味に添えられた賛歌です。





 写真10:ハルシュタット

 ザルツブルグのザルツ(Salz)とは、英語でSalt、つまり「塩」を意味します。 ここは昔から岩塩の採掘が主な産業でした。 今でも岩塩を採掘しているハルシュタットは、険しい山が迫る湖のほとりにひっそりとたたずむお伽の国のような美しい町 でした。

 写真は、ハルシュタットにある教会前です。町にはカトリックとプロテスタントの教会がそれぞれ1つありましたが、 この写真がどちらか失念しました。 湖の向こうには険しい山々が迫っていて平地はほとんどありません。 家々の窓や庭にはやはり花が飾られています。ところがその花は、日本でもごく普通に見られる花たちで、 拍子抜けするほどよく知っている(ゼラニウム、ベゴニア、日々草、マーガレット、種々のアジサイ、種々の薔薇) ものばかりでした。









(12.12.02)

新潟市〜金沢市



 金沢市で行われた親戚の結婚式に行ってきました。 ついでに、あまり行ったことのない新潟市にも寄り道しました。

 新潟といえば日本一長い信濃川です。その信濃川にかかるのが写真上の萬代橋です。 萬代橋は俗に言う眼鏡橋(めがねばし)で、新潟市で一番高いと思われる日本海の海岸にそびえ 立つ朱鷺(とき)ビルからも見られます。(写真中) 夕方にはちょっと幻想的な感じになります。(写真下)





 新潟市内をブラついていると、昔どこかで見たことのある銅像が。
あれはひょっとして、ドカベンじゃないか。
(秘打白鳥の湖の)殿馬もいるし、(悪球打ちの)イワキもいる!

 新潟は漫画家の水島新司さんの故郷なのでした。





 結婚式は新婦と同じ20歳代後半の女性がやたら多く、高すぎるテンションに ついていけませんでした。 彼女たちは大はしゃぎしたかと思うと、次の瞬間にはみんなで涙ぐんだりしていました。 私はなぜその場面でみんなで涙なのかさっぱり 理解できず、となりのおじさんと???していました。

 私が新婦と初めて会ったとき、彼女はまだ保育園にかよう3〜4才の子供でした。 とても人なつこくて、会ってその日のうちに 私のひざの上に乗って遊んでいました。(今は代わりに柴犬がひざに乗っています)

 ところで女性たちの多くが高価な一眼レフのデジカメを持っているのには驚きました。 私のとなりの席の親戚が席を立った隙に、そこは一時カメラ置き場になりました。キャノン、ソニーの デジカメです。





 実は、新婦の姉の結婚式にも今年9月に行きました。 こちらの方はさすがに少しは落ち着いた感じの式でした。

 ところでその時に、家を2〜3日空けたら物置においてあったダンボール箱に知らない 猫が勝手に入り込んでいました。近づくと猫はダンボールから顔を出してフッー!怒りますが、 隙を見て中を撮影すると、ごらんの とおり子猫が2匹。これには困りました。





 困り果てた私の家族が保健所とどうしたらよいのか相談しているうちに、猫もヤバイと思ったのか、 子猫を連れていなくなってしまいました。