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(15.12.06) ゲメルデギャラリー(ベルリン)のフェルメール
「ワイングラス」はフェルメールが27歳(1660年頃)くらいの時期の作品。 美術史的にはフェルメールが完璧な技量を示した最初の作品と考えられています。 この作品も左側に窓があり、そこからの光が人物や静物に優雅で微妙な陰影を与えています。 フェレーメルが得意とした構図です。 女性が身につけている衣服、テーブルクロスの織柄、壁にかけられた絵画の金箔で飾られた額縁、 紋章があしらわれたステンドグラスなどから見て、 この時代の基準でこの女性は比較的裕福であると思われます。 さて、この絵はどんなシュチエーションを表しているのでしょうか? まず、黒い帽子の男、彼は何者でしょうか? マントと帽子をしていることから、この男は女性の家族ではなく外から来たと推測されます。 また、この男がその前に座っていたと思われる手前の椅子にはリュート(ギター)が置いてあります。 これはこの男がが吟遊詩人であることを示しています。 吟遊詩人とは、戦いの合間に宮廷での余興をする人で、 戦いの話、英雄の話、あるいは貴族の秘密の恋や不倫物語を歌にしていました。 しかし、決して卑しい身分ではなく騎士階級の吟遊詩人が多かったようです。 若い女性はこの男が注いだワインを飲み干そうとしています。 椅子に腰かけていますが、リラックスしているのでもなく、かといって緊張している風にも見えません。 何か感情を隠しているように見えます。 一方、男は女性に注ぐ次のワインを準備しているように見えます。 その目は女性を観察するような様子です。 この家には今はこの二人以外誰もいないのでしょう。 若い女性が一人で家に住むということは、この時代の常識では考えられないので、 家族は外出中と考えてよいでしょう。 居たとしても絵に描かれていない召使くらいでしょう。 外はまだ明るいこの時刻、 他に誰もいない部屋で、男は女性にワインを飲ませています。 いったい何のために? その理由は(本物の絵で、あるいはもっと大きな画像で)男の目と、そして特に口元を見ればすぐにわかります。 自分の欲望通りに事が運んでいるのでとても嬉しそうな口髭。 また、男の顏半分の陰は、男の黒い気持ちを巧みに表しています。 男という種族は15世紀も21世紀もそう変わりません。 全然進化していません。 女の方も、ワイングラスを90度近くまで傾けてワインを飲干し、次のワインを待っているようです。 「あんなことになったのは私を酔わせたこの男が悪いのよ」、という言い訳を作るために。 女という種族もまた15世紀も21世紀もあまり変わらないようです。 ゲメルデギャラリーにはモーツァルト(1756〜1791年)の完成した最後の肖像画があります。 モーツァルトが死去した前年の1790年ごろ、ミュンヘンの宮廷画家エトリンガー(1741〜1819年)によって描かれたものです。 この油絵が公開されたのは2006年になってからです。
モーツァルトの肖像画は数多くありますが、 どれも互いに似ていないことで知られています。 小男でギョロ目であることぐらいがそれらの肖像画の共通点です。 この肖像画は、その目さえも似ていないように思えます。 また34才にしては落ち着き過ぎ(悪く言えば老けている)です。 モーツァルトは真の姿をこの世に残さなかった悪魔の化身だった、という説もあります。 人間にはあんな音楽は作れないと思うので、そうかもしれないと思います。 ※参考文献 ・ウィキペディア ・グレートアーティスト70 フェルメール 同朋舎出版 |
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(15.11.28) アルテ・マイスター絵画館(ドレスデン)のフェルメール
フェルメール (Vermeer:1632〜1675 )の「窓辺で手紙を読む女」がドイツのドレスデンにあるのは、 この絵がかなり数奇な運命を辿ってきたからです。 18世紀半ば、ドレスデンを首都とするザクセンの選帝侯アウグスト3世が、 「窓辺で手紙を読む女」(1659)を買いました。 アウグスト3世は、これがレンブラントの作品であるという画商の言を信じ、 自身の美術品コレクションに加えました。 当時、今のオランダ出身のレンブラントの名声はヨーロッパ中に轟いていたのに対し、 我がフェルメールは全くの無名の画家だったのでした。 17世紀にオランダの地方都市デルフトで室内画や風景などを主に描き、 それもわずか数十点の作品を残したのみのフェルメールは、ほとんど無視されていました。 「窓辺で手紙を読む女」がレンブラントではなく、 フェルメールの作と確認されたのはほぼ1世紀後の19世紀も半ば過ぎでした。 その頃にはオランダの画家といえば、レンブラントと並ぶと言われるまでにフェルメールは再評価が進んでいました。 それからさらに1世紀後の第二次世界大戦末期、ナチスドイツの古都ドレスデンは、 アメリカとイギリスの連合国の史上稀なる残酷極まる空襲によって灰塵と化します。 しかし、「窓辺で手紙を読む女」は空襲の前に坑道に隠され灰になるのを免れます。 ところが、空襲の後に東から進行してきたソ連軍によって、その坑道から絵は奪われて国外に持ち出されてしまいます。 その後のソ連国内での経緯は不明ですが、スターリン没後に絵は当時の旧東ドイツに返還されたようです。 フェルメールは手前側にカーテンを置いて部屋の奥行を強調する構成が好きだったようです。 時にこの作品では、カーテンが絵全体の1/4を占めています。 この古ぼけた緑色のカーテンは居間と寝室との仕切りなのでしょうか。 また、窓から差し込む光とその陰の書き分けも精妙です。 光と影、レンブラント以来のオランダの伝統でしょうか? また、窓からの光はまるで有機ELの平面光源のようです。 この窓の四角い側面全体も平面発光しているように見えます。 窓の真っ白な明るさと、 あまり上等とは言えない古びた部屋の強いコントラスト、 その中で女性は部屋に背を向け、光の方を向いています。 読んでいる手紙には何が書かれているのでしょうか? それは、この女性を明るい窓の外に連れ出してくれるものでしょうか? 「窓辺で手紙を読む女」と同様、坑道に隠され灰になるのを免れた他の絵画に、 イタリアの画家ジョルジョーネ (Giorgione:1477/8年〜1510年)の「眠れるヴィーナス」があります。 この絵は一人の裸の女性を主題に選んだことで絵画史上のターニングポイントとされるようです。
宗教画など聖人とともに裸の女性はよく描かれていますが、 信じられないことに、たった一人の裸の女性だけを描いた絵はそれ以前にはなかったようです。 今の価値観ではごく当たり前のことでも、その始まりというものがあるのですね。 しかし、始まりにしてはこのヴィーナスがsexy過ぎるのがいいですね。 ※参考文献 ・世界名画の旅4 朝日新聞社 ・続世界美術館めぐりの旅 長谷川智恵子 著 求龍堂 ・グレートアーティスト70 フェルメール 同朋舎出版 |
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(15.11.22) マルガリータとプロスペロはパリへお出かけ中
「青い服のマルガリータ」はベラスケス最晩年の作品で、画家の円熟した技法の集大成とも言われています。 特に銀の糸で飾られた深青のベルベットのドレスに対する光の反射や影、 ブロンドの髪の描き方などは、 約250年も後の印象派につながるものとされています。 マルガリータの子供時代の肖像画は、この「青い服のマルガリータ」(1658年:8才)のほかに、 「白い服のマルガリータ」(1656年:5才)、 「薔薇色のドレスのマルガリータ」(1654年3才)があります。 どれもかわいらしい少女時代を描いたもので、いずれも今は美術史美術館が所蔵しています。 スペイン王フェリップ4世の王女の子供時代の肖像画がなぜウィーンにあるかと言えば、その理由は簡単です。 マルガリータ王女は、大きくなったらウィーンにお嫁に行くことが決まっていたからです。 3才、5才、8才に宮廷画家ベラスケスによって描かれた3枚の肖像画は、 いわばスペインからウィーンへの王女の成長過程の報告と、お見合い写真を兼ねたようなものでした。 そしてマルガリータは、15才で約束通りウィーンのハプスブルグ家の次男に嫁ぎます。 そして4人の子供を産みますが、いずれも幼いうちに死んでしまい、 マルガリータ本人も21才の若さで病気で亡くなってしまいます。 さてもう一つ、マルガリータの7才下の弟プロスペロ王子の肖像画ですが、これらはある意味で姉とは対照的です。 姉が少女にしてすでに誇り高い気品と強い存在感があるのに対し、 弟の方は気品あるかわいらしい感じですがどこか弱々しく、この世に出た影のようでもあります。 特に椅子の背におかれた右手の弱く小さいこと。 ところでプロスペロが着ているのは、女の子の服です。 金の糸を贅沢に織込んだバラ色の贅沢な服です。 当時は男の子でも女の子の服を着せるのが当たり前でした。これには訳があります。 幼児が死ぬのは鋭い鎌を持った妖怪がやってきて命を取るから、と当時は考えられていました。 男の子の方が死亡率が女の子より高いのは、その妖怪が男の子を好んだからと思われていました。 そこで妖怪の目をごまかすため、男の子にも女の子に見えるような服を着せたのです。
プロスペロ王子のスカートにはいくつかの鈴のようなものが見えますが、 これは妖怪が嫌がる音を出して近づけないようにするためです。絵のモデルになっている間もそれを外さないのです。 当時の人々にとっては、 このような妖怪は想像上ではなく、現実の存在だったからでしょう。 しかし、女の子の服や鈴の効果も薄く、プロスペロ王子はこの数年後に幼くして命を落としてしまいます。 この王子の上には10人もの兄弟がいますが、次々と死んで成人まで生きたのはマルガリータだけです。 時代が時代とはいえ気の毒なものです。 この肖像画におけるベラスケスの筆は、 プロスペロ王子がそれほど長くこの世にいないのを知っていたような描写が際立っています。 なお、この絵も姉マルガリータの3枚の絵と同じく美術史美術館が所蔵していますが、 なぜウィーンにわたったのかは不明です。 ところで、マルガリータ王女、プロスペロ王子はどうもスペイン人には見えません。 我々が知っているスペイン人は、浅黒い肌、黒髪、精力に溢れた顏、等です。 ところがこの2人の子供は、白い肌、ブロンドの髪、気品のある顏、です。 これには訳があります。 新大陸やアジアに広大な植民地を持つヨーロッパの随一の海洋国家スペインは、 当時はオーストリアの本家から分かれたスペイン・ハプスブルグ家に支配されていました。 この時の王家はいわゆるスペイン人ではなかったのでした。 ということは、マルガリータ王女は親戚にお嫁に行ったことになります。 その上、父親のフェリッペ4世はオーストリア・ハプスブルグ家から妻を娶り、 さらにはその前のフェリップ3世、さらに前のフェリップ2世もオーストリア・ハプスブルグ家から妻を娶って いるのです。(当時でも血族結婚がよくない事は知られていたのですが) これら血族結婚によって王家では子供が育たなくなり、最後にはスペイン・ハプスブルグ家のお家断絶に繋がりました。 なお、ヨーロッパでは正妻の男の子だけが王家を継ぐことができました。 日本では、徳川家でも天皇家でも側室の子でも継ぐことができたのとは好対照です。 さて、美術史美術館には「青い服のマルガリータ」と「フェリッペ・プロスペロ王子」が、 同じフロアの同じ一面の壁に展示されているはずでした。 ところが…、ない?! …え? 2人ともお出かけ中? ⇒ 同じ頃、パリで「ベラスケス展2015」が開催されており、絵はそこに貸し出し中とのこと。 何の予備知識もなく美術展に行っても、膨大な作品の海におぼれるだけです。 感性だけで美術館を楽しめるのはよほど才能のある人だけ、 フツーの人は、見たい絵はこれとこれと決め、その絵や画家の歴史的、技巧的な背景を調べていくべきでしょう。 しかし、今回は失敗でした。 その絵がその時点で美術館に存在するかを調べていませんでした! 近くにある美術館なら、まず行って見てから気に入った絵をメモって、その後でいろいろ調べ、 それからもう一度見に行くという手があります。しかし、ウィーンにはもう一度行けるのだろうか? ※参考文献 ・怖い絵3 中野京子著 朝日出版社 ・世界名画の旅2 朝日新聞社 ・ウィーン美術史美術館名品展2002〜2003図録 ・グレートアーティスト63 ベラスケス 同朋舎出版 |