(10.07.19)
シャガール(MARC CHAGALL 1887-1985)
シャガール展をのぞいてきました。
今回は時間が限られていてじっくり見られなかったので、もういちど行きたく
なりました。下は半券です。
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上野駅の公園口から出て上野公園に入り、噴水のところを通って
公園を突き抜けるとまもなく、あの「東京藝術大学」があります。
そこで10月までシャガール展が行われています。
今回は写真のように、「ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」のテーマです。
シャガールが若き日にアヴァンギャルド(前衛芸術)
に影響されながら自らの画風を確立してゆくプロセス
が分かります。(個人的にはアヴァンギャルドではないシャガールが好きです。
特にアメリカに亡命してからのシャガールが好きです)
そのアヴァンギャルドもスターリンによって潰されてしまいます。
若きショスタコビッチが戦ったものと同じように、シャガールも戦わなくては
ならなかったのです。
マルク・シャガールはロシア系のユダヤ人で、1887年生まれです。
90歳を超える高齢になっても現役のアーティストとして活躍していましたので、
シャガールには1980年代に描かれた作品もあります。今回は90才を過ぎてから描かれた
赤を基調とし、エッフエル塔が折れ曲がっている絵が印象的でした。
絵の名前も覚えられませんでしたが、次の機会にはちゃんと見てこようと思います。
シャガールの絵はきわめて幻想的です。スペインのダリも幻想的で
かつ非日常的なアーティストですが、この二人の画風は対照的です。
ダリの絵には意図的なユーモアがありますが、シャガールには心からにじみ
出てきたユーモアがあります。ダリからは怒りや激しさを感じますが、
シャガールにはそれがなく一番感じるのは哀しさです。
ダリの絵を構成する部分はどれもリアルですが、
その部分の組み合わせが非日常的に構成されていて全体的には幻想的なのです。
ところがシャガールの画風は部分も全体も幻想的、非日常的なのです。
そして故郷のロシア(ソ連)に戻れなくなってからは、
絵のどこかに必ずロバとか鳥の姿が見られるようになります。
このロバはみんな横を向いていて特に可愛らしいです。
なお、シャガールは若い頃はパリで活躍していたのですが、
そのころの絵はシャガールにしては先鋭的で、
ロバや鳥は見ることが出来ません。
こんなシャガールですから、社会主義スターリンのリアリズムとは相容れません。
パリからせっかく戻った故郷には長くいることが出来ず、
ソ連から亡命するのは必然だったと言えるのでしょう。
しかし、ソ連を避けて逃げたパリにもヒットラーが侵攻してきました。
ユダヤ人であるシャガールには頽廃芸術の烙印がヒットラーによって押され、
ついにはアメリカに亡命せざるを得ないのでした。
「愛しのパリ」です。パリの街を夢見心地で飛んでいるのはシャガール
でしょうか?しかし、夢見心地にしては、この赤の激しさは何なのでしょうか?
アメリカのメトロポリタンのために
シャガールが「魔笛」の演出をしたという事実を
今回初めて知りました。シャガールとモーツァルト、なんという組み合わせでしょうか?
しかも魔笛はシャガールに最も似つかわしい幻想的で楽しいオペラです。
演出に用いた絵はどれもシャガールらしい味があり、
特に魔笛の音色に動物たちが踊っている絵は楽しかったです。
下のクリアファイルの絵もそんな場面です。
このダフニスとクロエ(DAPHNIS ET CHLOE)はリトグラフの実物大コピーを
もっています。深い青を基調としたシャガールらしい美しさ湛えた作品です。
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(03.04.20)
パウル・クレー(Paul Klee 1870-1940)
左下:ポリフォニックにはめこまれた白(1930)
右下:さえずり機械(1922)
クレーの絵からは”バロック、古典派の音楽が聞こえる”という方が多い
ようです。それは、クレーが一時期まで音楽家を志していたことと無関係ではないようです。
”時によって私はデッサンがうまく出来ると考えたり、あるいは永遠に絵は描けないだろうと
思い悩んだりした。彫刻に進もうと考えたり、版画を手掛けたりした。私が躊躇したことのないのは、
音楽だけである。”失意の時代にクレーはこう書き残しています。
”クレーはモーツァルトである…”そんなことをいう方もいます。
”モーツァルトやバッハの音楽は19世紀の音楽よりも現代的である”とクレー自身も
発言しています。21世紀の今から省みれば、19世紀に膨張しすぎたロマン派が衰退した
20世紀はじめに生きたクレーならば、ごく自然な考え方と思われます。
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しかし、クレーと音楽の背景を知らずに絵だけから得られる印象は、
一般的な解釈とはずいぶん異なります。FLにはクレーの絵のほとんどは”静止している”
ように見えます。バロック音楽が持つ躍動感や生命感はなく、古典音楽の
典雅な響きや光と翳も感じられません。
クレーの絵から聞こえるものは、深い沈潜と悲しみのように思えます。
「さえずり機械(1922)」のように一見ユーモアがありそうに思える絵も、
背景の青に惹かれてしまいます。あるいは、下に描かれている棺桶のような不気味な赤に
目がいって、これは残酷な晒し首ではないかと考えてしまいます。
「ポリフォニックにはめこまれた白(1930)」は、明るい世界への出口が見えているのに
動きが止まってしまい、なかなか辿りつけないように思えます。(絵画の右下をもっと
赤に近くすればなお良かったのに、とも思います)
また、有名な「魚の魔術」はほとんど真っ黒の背景に魚や花が、混濁した色で描かれている幻想的な
作品ですが、やはり時間が止まり海の底に沈み込んだとの印象を持ちます。
それにしても、クレーの絵画は人を惹きつけます。代表作でさえ、
様式の統一性を著しく欠いているクレーですが、彼にとって人生は短すぎたのかもしれません。
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