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(20.02.09) マクベス夫人 ” Lady Macbeth” (2017年 英国) 監督:ウィリアム・オルドロイド 主演:カテリーナ(フローレンス・プー)、セバスチャン(コスモ・ジャービス)、 ボリス(クリストファー・フェアバンク)、 他 DVD この映画の原作は19世紀のロシアの作家ニコライ・レスコフが書いた小説「ムツェンスク郡のマクベス夫人」 ”Lady Macbeth of the Mtsensk”です。 この小説を原作とする作品としてはショスタコーヴィチによる同名のオペラが最も著名です。 その他に、同小説は「カテリーナ・イズマイロヴァ」”Katerina Izmailova”として1966年に旧ソ連で映画化されました。
これは異様に美しい作品です。 主演のフローレンス・プーも美しい(ちょっと幼いが)のですが、 それよりも青系と茶系などの補色(フェルメールの絵画のよう)の対比が実に鮮やかなのです。 猥雑なシーンも相当多いのにそれでも画面の美しさには圧倒されます。 また無駄な音やセリフが極端に削ぎ落されていて、 映画全体には沈黙が支配しています。 殺人を含む暴力やSEXシーンが多いのに、それらの両側には必ず緊張で止まったような時間の流れを感じさせます。 私が買ったDVDには日本語選択がありませんでした。 しかたがないので音声・字幕ともに英語で映画を見ましたが、 セリフが短く少ないので鑑賞にはほとんど支障がありませんでした。 そう言えば、この映画にはBGMや効果音がないのです。 見るものを音楽によって特定の感情に誘導しようという意図がないのです。 その代わりに人のかすかな息遣い、地面を歩く音、服の擦れる音などが聞こえてきます。 わざとらしい演技なしで。 風や雷、河の流れの音は大きいです。 もう一つ気が付いたのは、この映画には「文字」がまったく出てきません。 映画の舞台(原作ではロシア)がどこか知りたくて注意して見ていたのですが、 看板、ポスター、表札、本、新聞や手紙など文字情報がまったく皆無なのでした。 セリフに「ロンドン」が一度だけあったので舞台はイギリスだと分かったのですが。 映画「マクベス夫人」は、 ハリウッド映画などのように可能な表現方法を総動員して観客を引き付けるという手法をとっていないのです。 それではあまりにも分かり難いと感じたのか、(これはマスタべーションの音)等と( )付きで字幕が入っています。 これは余計なおせっかいというべきでしょう。 しかしその半面、ストーリーは極めて陳腐です。 映画の前半は使用人セバスチャンと不倫に走ったカテリーナが、 その関係を維持するために夫や義父など邪魔な人物を次々に消していくというものです。 それははショスタコーヴィチのオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」や 映画「カテリーナ・イズマイロヴァ」とほぼ同じです。 しかし、後半はずいぶん違います。 ショスタコーヴィチやカテリーナ・イズマイロヴァでは、 殺人を犯した二人が裁判で罰せられてシベリアへ流刑になります。 ところが映画「マクベス夫人」では真実を告白したセバスチャンの方が罰せられ、 沈黙を通したカテリーナにはお咎めなしとなるのです。 カテリーナからすればセバスチャンの態度は大きな裏切りです。 すべての罪を彼に着せることはカテリーナにとっては簡単でした。 使用人(というより農奴に近い)の言う事などだれも信じないことを彼女は知っていたのです。 それに対し、セバスチャンはそれを知りませんでした。 彼はそれなりに良心とか真心を信じていました。 それが仇になったのです。 これはちょっとショックでしたが、この映画はそのような視点で見るべきではないのでしょう。 異様な美しさを堪能すべきです。 これから「非ハリウッド」映画をもっと見たいと強く思いました。 |
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(19.04.28) 「マトリックス」 ” The Matrix” (1999年 アメリカ) 監督:ラリー・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー 脚本:ラリー・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー 主演:キアヌ・リーブス/ローレンス・フィッシュバーン/キャリー=アン・モス 他 DVD 最近読んだAIについて書かれた本 (「2045年問題 コンピュータが人類を超える日」松田卓也著 廣済堂新書) に映画「マトリックス」が何度も出てきました。 私は「マトリックス」はカンフーの印象が強く、単純なアクション映画だと認識していました。そのためこれまではまったく食指が動きませんでした。 しかし、AIと関係があるということでDVDを見たくなりました。 さっそく近くのBOOK OFFに行きました。 たくさん在庫があるからでしょうか、わずか¥108(こんな値段でホントにいいの?)で「マトリックス」がありました。 あまり期待せずにDVDを見始めたのですが、それに反して実に面白く食い入るように見てしまいました。
何度も見れば見るほど深さが増す不思議な「マトリックス」です。 まず主な3人の名前、”Neo”(ネオ)、”Morpheus”(モーフィアス)、”Trinity ”(トリニティ)について。 ”Neo”は、”One”のアナロジーであり、キリスト教では”The One”は唯一神を示しています。 映画では救世主を意味する代名詞として”the one”が何度も出てきます。 日本語字幕では「それ」とか「そう」と訳されていてよくわからないのですが、 実はキリスト教のいう”The One”を”Neo”に結び付けているのです。 ”Morpheus”はギリシア神話の夢を司る神のことです。後で書きますが、未来の人類は常時眠っていてマトリックスが作り出した ”Virtual Reality” (仮想現実)で夢を見て生きているのです。 ”Trinity ”は父と子と精霊の三者が一体となる「三位一体」の意味です。 キリスト教のバックボーンがればこれらの名前を聞いただけであるイメージが浮かぶでしょうが、 我々にはそこまでは無理でしょう。 マトリックスでは、人間をコンピュータが支配しています。 人間は人工子宮で製造され、生体維持装置のチューブや電気プラグに繋がれて生涯眠っています。 マトリックスは人間をその脳の刺激に応じた”Virtual Reality”を作りだしています。 人間それぞれは、例えば「1999年で生活している」ような夢を見ています。 モーフィアスやトリニティは、その”Virtual Reality”プログラムの中に入り込みネオを覚醒させて現実世界に導きます。 モーフィアスがネオを選んだのは、人類を救う救世主だと信じる”believe”からです。 後で触れますがこの”believe”が重要なキーワードです。 ”Virtual Reality”の中では、実はどんなことでも可能なのです。 人間が空を飛ぶことも、壁や天井を走ることも、強い格闘家になることも、姿や形を変えることも…。 ”Virtual Reality”は夢の中のようなものですからそれはそうでしょう。 しかし、全人類はマトリックスに支配されてセルフイメージを超えないで生きています。 ネオもその例外ではありませんでした。 モーフィアスはネオに言います。 ”You are the prison of your mind.” (君は心の囚人だ) ”Free your mind.” (心を開放せよ) ”Your mind makes it real.” (心が現実を作るのだ) モーフィアスがマトリックの中に捕らわれてしまい、助けに行こうとするネオを仲間は制止します。 あまりにも無謀だからです。 しかし、ネオは言います。 ”Morpheus believed somthing, and he was ready to give his life for it.” (モフィアスは何かを信じていた。そして彼はそれに命をかけようとした。) ”I understand that now. That’s why I have to go. Because I believe in somthing.” (今なら理解できる、それが僕がマトリックスに行くべき理由だ。僕もまた「何か」を信じているからだ。) ”I believe I can bring him back.” (彼を連れ戻せると僕は信じている。) マトリックスでは”believe”することこそが現実を作るのです。 ネオはさらに覚醒して強靭な心とパワーを持つことになり、マトリックスとの当初の戦いに勝ちます。 (さらに続編「レボルーション」「リローデッド」に続きます。) しかし、このことはモフィアスが一方的に思い込んでいるだけなのです。 実はそのこともマトリックスに仕組まれて(プログラミングされて)いるだけのです。 コンピュータは人間の考え方を解析して、人間を生かす完全なマトリックスを目指すプログラムを模索しているのです。 映画マトリックスには、この他にもたくさんの仕掛けが施されていているようです。 詳しくは分かりませんが映像の取り方も革新的なようです。 何度も見ると気づくことが多くてやっぱりすごい作品なんだなと思いました。 そうそう、ネオがマトリックス中で暮らしていた時代に使っていたヘッドホンと電子目覚まし時計、両方ともPanasonic(当時は松下電器産業)のものでした。 蛇足でした。 |
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(17.10.22) 仮面の男 ” The Man in the Iron Mask” 監督:ランドール・ウォレス (1998年 アメリカ) 原作:アレクサンドル・デュマ 主演:レオナルド・ディカプリオ/ジェレミー・アイアンズ/ジョン・マルコヴィッチ 他 DVD これは良くも悪くも典型的なハリウッド映画です。 細かいことを気にしなければ文句なく楽しめる映画です。 女性ファンなら美しいディカプリオを見るだけでも楽しめるでしょう。 しかし、あえてご都合主義のリアリティの無さについて書きましょう。 登場人物がみんなフランス人なのに英語を話すことは大目に見るとします。 でも、飢えているはずのパリの民衆は、みんな体格もよく顔の血行がいいのはいかにも作り物だと感じさせます。 それから何よりも、6年間も鉄のマスクをかぶせられて幽閉されていたフィリップ(ディカプリオ)の姿はどう考えてもおかしいです。 まず、金属と皮膚が長時間触れあっていれば、重度の金属アレルギーになるでしょう。 それに、湿度の高い不潔な牢には虫やカビがはびこっていて、 容赦なくマスクと皮膚の間に入ります。 食べ物だって口の周りについたままふき取ることができないでしょうし、歯磨きもできないでしょう。 6年間も鉄のマスクをかぶせられていれば、その顔は赤黒く爛れ、瘡蓋の上に瘡蓋が出来、体液と血と酸化鉄で汚く濡れていて、 とても人間の顔には見えないと思います。 歯だって1本残っているかどうか。 ビタミンD不足で背骨だって曲がってしまうでしょう。 おそらく現代の整形技術をもってしてもその姿を元には戻せないでしょう。 さらに牢の孤独と虐待は人の精神を蝕みます。 フィリップは人間の心の成長の上で最も大切な思春期から6年間幽閉され、 おそらく人間の心は忘れてしまっているのは、と思います。 それなのに、フィリップは、王として贅沢を日常としていた兄ルイと外見がまったく変わらないとは…。 その上、精神疾患が見られない上に、兄と違って人を思いやる気持ち、感謝を忘れないなど、 不自然なこと極まりないです。
さて、ではこの映画のどこが気になったか? それは必ずしも映画の本筋ではないかもしれませんが、 私は人の一生の終わり方について考えさせられました。 それは”D'Artagnan” ( ダルタニアン ↑画像)が実の子ルイに刺され命が終わろうとする時のセリフ、 ” This is the death I always have wanted. ” (こんな死に方をしようと、ずっと思っていた) です。 ダルタニアンは”One for all,all for one”を貫いて死んだのです。 死は必ず来ます。 それもそう遠くない未来に。 私はどんな死に方を望んでいるのか、 このままでいいのか、 それを真剣に考えることを世事のわずらわしさを言い訳にして避けてきたのではないか? それにしても、引退してのんびりするよりも、 大儀のために戦い死ぬを選ぶ戦士の気持ち、 この年齢になってやっと少し分かりかけています。 |