(16.11.13)

カサブランカ ” Casablanca”

監督 マイケル・カーティス (1942年 アメリカ) DVD

リック(ハンフリー・ボガート)
イルザ(イングリッド・バーグマン)
ラズロ(ポール・ヘンリード)
ルノー(クロード・レインズ)




 古い時代のモノクロ映画第3弾は「カサブランカ」です。 この3点の中では、よくも悪くももっともハリウッドぽい構成の映画です。
下↓は、ナチスの手から逃れるためカサブランカから航空機で亡命するイルザとラズロを見送るリックとルノー。 映画の感動的なラストシーンです。

”Lous, I think this is the beginning of a beautiful freindship.”
(ルイス、これが麗しき友情の始まりだな。)







 リック(ハンフリー・ボガート)が戦禍迫るパリで愛したイルザ(イングリッド・バーグマン)は、 すでに反体制活動家ラズロ(ポール・ヘンリード)と結婚していました。 イルザはラズロ死亡の報(結果的に誤報だった)をすでに受け取っていました。 しかし、それを知らないリックはイルザに夢中になった。そしてこのセリフ。

”Who are you really? And what you before?  What did you do, and what did you think?”
( 本当は君は誰で、誰だったの? 何をしていて何を思っていたの?)

”We said no questions.” ( 聞かない約束よ!)

”Here's looking at you, kid.” (じゃ、君の瞳に乾杯)



 女は二人の男を愛することもあるだろうし、 イルザのように美しい女はそれも許されると私は思います。 イルザのような女に、もしそのような仕打ちをされても、私ならば幸福だと思う。

 法的には同時に1人としか結婚はできないが、どの法律にも愛する人の人数の記載はないのです。 美しい女はつまらない道徳や慣習を超越してもかまわないと思います。



 パリからカサブランカに逃亡してきて、偶然に出会ったイルザとリック。 リックはなんてカッコイイのでしょう。 ルノー署長(クロード・レインズ)は自分が女ならリックに惚れるとまで言っています。

”It's been a long time.” (ずいぶん久しぶりね。)
”Yes ma'am. A lot of water under the bridge.” (そうだね、いろいろあったよ)

”Where were you last night?” ( 昨日どこにいたの?)
”That's so long ago. I don't remember.” (そんな昔のこと覚えていないね。)

”Will I see you tonight?” ( 今夜会える?)
”I never make plants that for ahead.” ( そんな先のことはわからない。)



”Of all the gin joints in all the towns in all the world, she walks into mine.”
(世界中の街にはどこにも酒場があるというのに、彼女は俺のところに来た」)



 最後にリックは、警察のトップであるルノー署長と組んでイルザとラズロの亡命を手助けします。 リックは愛してやまないイルザを恋敵ラズロに渡してしまうのです。リックはイルザに言います。

”We'll always have Paris.” (ぼくたちにはいつもパリの思い出がある)



 そしてリックは明日の命さえ知れないカサブランカに留まる決心をします。 究極のダンディズムです。 そしてからくも離陸した2人の乗る航空機をリンクとルノーは見送ります。そしてリックのこのセリフ。

”Lous, I think this is the beginning of a beautiful freindship.”
(ルイス、これが麗しき友情の始まりだな。)



 もちろん”beautiful”には皮肉の意味も込められています。 同時にリックのダンディズムも麗しいのです。

 リックがイルザを手放した気持ちは、少し分かるような気がします。 赤のセリフ↑が決め手です。







(16.10.23)

西部戦線異状なし ” All Quiet on the Western Front”

監督 ルイス・マイルストン (1930年 アメリカ) DVD

原作 エリヒ・マリア・レマルク

カチンスキー (ルイス・ウォルハイム)
ポール・バウマー (リュー・エアーズ)



 カチンスキー(中央)とポール(その右)達
戦闘の合間の語らいの時間
”戦争というのは熱病と同じだ。だれも望まないのに、いつの間にか始まっている。”





 同じく第一次世界対戦をテーマとした「大いなる幻影」よりもさらに7年前の古いアメリカ映画で、 1930年のアカデミー賞の作品賞と監督賞をとっています。 この映画も歴代の名画を選ぶアンケートではいつも上位にランクされる作品です。 なお、日本でも1930年に上映されました。

 「西部戦線異状なし」は、「大いなる幻影」同様にドイツ軍とフランス軍がぶつかり合う最前線のドイツ側が舞台です。 なお、「大いなる幻影」はフランス人はフランス語を、ドイツ人はドイツ語を話しているのに、 「西部戦線異状なし」では、ドイツ人が英語を話すのでやや違和感が残ります。



 さて、「西部戦線異状なし」は「大いなる幻影」とは反対に、 多くの戦闘シーンと惨劇が表現されています。 戦いの犠牲となるのは、まだ10代、20代の最も下っ端の戦闘員たちで、 将校クラスの軍人はほとんど登場しません。

 その戦闘シーンはすさまじいものです。 当時はまだ航空機が発達していないので、戦闘はほとんど地上戦です。 至近距離での銃の打ち合いや、互いの兵士が銃剣で刺し会う殴り合い殺し合うといった戦闘です。 塹壕の中、爆弾でできた穴の中、泥水の中、 いたるところで毎日のように肉弾戦の殺し合いが行われます。



 ドイツ軍の兵士は、戦闘が小康状態になるとやっとありつけた食事をしながら語らいます。 なぜ我々はフランスと戦っているのか? フランス人を憎く思ったことはないのに、毎日のように殺している。 どうしてだ?
なぜ戦争をしているのかポウルにも分かりません。

 ポウルよりも前から戦場に出ている古兵カチンスキーは言います。 「戦争というのは熱病と同じだ。だれも望まないのに、いつの間にか始まっている」(↑の写真の場面)



 そして、「戦争が終わったら何をするか?」という話になります。 「家族の元に買える」「女を抱く」「農業に精を出す」「酒を飲む」などと言う会話を聞きながらも、 ポウルは戦争が終わったらやりたいことが全く思い浮かびません。

 若いポウルは3年間も戦場で暮らすうちに、過剰適応してしまったのでしょう。 相手を殺して自らは生き残る、それ以外のことは考えられなくなり、 ポウルは未来を喪失したのです。

 ポウルと一緒に戦場に来た同級生は戦闘で次々と亡くなります。 そして、可愛がってくれたカチンスキーも死にます。 ポウルは自分だけ生き残っていることをどう思っているのか、 この映画では直接的な内面の告白はありません。 この映画は全体的にあえて心理描写を避けているようです。



 そこにあるのはリアルな映像だけです。 鑑賞者の想像力が試されると思います。



 やがてポウルは戦場で目の前の一匹の蝶に手を伸ばしたところ、銃に撃たれ命尽きます。
子供の頃のポウルは昆虫が好きでした。







(16.10.02)

大いなる幻影 ” La Grande Illusion”

監督・脚本 ジャン・ルノワール (1937年 フランス) DVD


マレシャル中尉 (ジャン・ギャバン)
ド・ボアルデュー大尉 (ピエール・フレネー)
ラウフェンシュタイン大尉 (エリッヒ・フォン・シュトロハイム)



 ド・ボアルデュー大尉(左)とラウフェンシュタイン大尉





 「大いなる幻影」は、80年近くも前に撮影された古いフランス映画で、 歴代の名画を選ぶアンケートではいつも上位にランクされる作品です。 このモノクロ作品がなぜ名作なのでしょうか?



 今からちょうど100年前、ヨーロッパは第一次世界大戦の真っ最中でした。 「大いなる幻影」は、その戦争でドイツ軍の捕虜になったフランス人が送られた収容所が舞台です。

 また、ドイツの収容所というと、第二次世界大戦下のあの悲惨で残酷なアウシュビッツ等を思い出してしまいます。 しかし、この映画に描かれているドイツ人兵士はフランス人捕虜に対して、人間の尊厳に配慮を怠りません。 というより、これが敵国の兵士への態度なのでしょうか?現代の常識からして驚きです。



 例えば、フランス軍のド・ボアルデュー大尉とマレシャル中尉が捕虜になって連行された時、 ドイツ軍の責任者であるラウフェンシュタイン大尉は二人を食事を誘います。 食事の前にドイツ将校が捕虜のコートを脱がせてあげます。 腕の怪我でナイフが使えないマレシャル中尉には、隣のドイツ軍将校がパンを切ってあげます。

 戦争中なのに、収容所の捕虜にはフランスからの荷物が届いて、 そこにはワインやシャンパン、缶詰など食料が満載されています。 それをドイツ兵にも分けてあげたりします。 また、捕虜になったイギリス兵は、テニスラケットをもっていたりします。

 それでもここは収容所なので、脱走しようとするものには容赦なく銃が使われますし、 秩序を乱した者は独房に送られます。 なお、この「大いなる幻影」にはハリウッドの戦争映画のように派手で壮絶な戦争シーンはまったくありません。



 マレシャル中尉は磊落でざっくばらんな性格で、 その上司であるド・ボアルデュー大尉には信頼されています。 中尉も上司としての大尉を信頼していますが、 人間としてはどうも交じり合えない、壁があると感じます。 大尉の方も中尉の心の内まで入ろうとしません。 なお、大尉は貴族であり中尉は労働者階級です。

 一方、ド・ボアルデュー大尉は、ドイツの貴族であるラウフェンシュタイン大尉にも信頼されています。 ラウフェンシュタイン大尉は軍人としての悩みを打ち明けたり、 共通の知人の行方を案じたりします。 二人は戦争後の貴族階級の没落について互いに憂慮しあったりします。 (↑の写真の場面)

 これと対照的に、ラウフェンシュタイン大尉はマレシャル中尉のことをほとんど気にも止めません。 中尉は大尉についてきただけの人間としてあつかいます。 自分とは異なる人間だと直感的に判断したのでしょう。



 映画の後半でマレシャル中尉は、もう一人の将校とともに収容所からの脱走を図ります。 ド・ボアルデュー大尉はその脱走には加わらず、ドイツ兵を引き付ける囮役を引き受けます。 結果的にマレシャル中尉の脱走は成功し、ド・ボアルデュー大尉はラウフェンシュタイン大尉に撃たれて死に至り、 ゼラニウムの花といっしょに葬られます。

 さて、ド・ボアルデュー大尉はなぜ脱走に参加しなかったのでしょうか? ド・ボアルデュー大尉は迷ったのでしょう。 部下とともに収容所から脱走したいが、 一方ではラウフェンシュタイン大尉の信頼を裏切れない。

 悩んだ末に得た結論が、部下だけを逃がし自分は命を懸けて囮になる。 ド・ボアルデュー大尉は、信頼を裏切った上に脱走して自分も助かる道をどうしても選べなかったのでしょう。 まるでこれは、日本の武士道(欧州の騎士道?)のようです。



 「この映画に描かれたのは、敵味方を超えた友情とヒューマニズム云々…」 という評論もありますが、そんな単純ではないでしょう。 フランス軍のド・ボアルデュー大尉、 ドイツ軍のラウフェンシュタイン大尉が友情とヒューマニズムを発露する対象は、 騎士道を心の内に持った人だけなのです。

 それは階級で言えば貴族ということになります。 その他の捕虜や兵士には、当時の国際的な取り決めに従って厚遇していただけです。 マレシャル中尉やその他の将校・兵士は、友情や愛情は持っていても、 騎士道を理解しようともしないし理解できない人間として描かれています。



 マレシャル中尉は、ドイツ国内から中立国のスイスに逃亡する際に匿ってくれた女性と親しくなります。 ここにも敵味方を超えた友情(愛情)とヒューマニズムが描かれています。 しかし、この場合はマレシャル中尉と女性がたまたま敵味方だった、というだけです。 戦争の惨禍はありますが騎士道の厳しさはそこにはありません。