(16.04.16)

カール・ベームとウィーン・フィルの映像
フランツ・シューベルトのハ長調交響曲 D.944


1:アンダンテ-アレグロ・ノン・トロッポ
2:アンダンテ・コン・モート
3:スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ
4:フィナーレ、アレグロ・ヴィヴァーチェ

DREAMLIFE DLVC 1170 1973年録画 2006年発売(DVD)




 私がクラシック音楽を聞き始めた1970年代後半、 ヘルベルト・フォン・カラヤンと共に人気を2分していたのがカール・ベームです。 この映像は1973年、晩年の円熟期より少し前の最盛期のものです。

 一般大衆を巻き込んで絶大な人気を誇るスマートな帝王カラヤン、 一方で地味な頑固爺さんのカール・ベームは音楽を深く聴きたい玄人筋に人気でした。 ドイツ、イタリア、フランス、北欧、ロシア音楽、何でも来いと指揮してしまうカラヤンですが、 ウィーン古典派からロマン派はカール・ベームに一目も二目も置いていたと言われています。

 特にモーツァルト、シューベルト、ブラームスには、 ピカピカに磨かれたカラヤンのゴージャスな音よりも、 時間をかけてじっくり煮込んだカール・ベームの秘伝の音の方がどう考えても相応しいと考えられていました。 私はカール・ベームのシューベルトが好きです。 特にアンダンテはこれぞウィーンの音! ウィーンの香り!と思います。



 カール・ベームは1894年、オーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルグ帝国)のグラーツに生まれました。 ハプスブルグ帝国が瓦解したのはカール・ベームが20才をいくつか過ぎてからですので、 主な教育は旧体制で受けたことになります。

 指揮者としてのデビューは1917年故郷グラーツで、 以後ドイツのバイエルン、ハンブルグ、ドレスデンを経て1943年にウィーン国立歌劇場の総監督になりました。 (しかし当時、オーストリアはナチスドイツに併合されていました)

 以後カール・ベームはウィーンフィルと共に、日本を含む世界中で数々の名演奏を生み出し、 巨匠の仲間入りを果たしました。 得に1975年NHKホールの熱狂は今も語り継がれる伝説になっています。 そして1981年、ザルツブルグ音楽祭が開催されている中、カール・ベームは当地で死去しました。 86才でした。



 カール・ベームは、第一次世界大戦前の古き良き旧体制下のヨーロッパを知る最後の巨匠とも言うべき指揮者でした。 カール・ベール以後のクラシック音楽界は指揮者、演奏家、歌手ともにクレバーで器用で小粒なキャラが幅を利かせるようになり、 最近では美女、イケメンがスターの条件(そこまでは酷くないか?)です。

 インターナショナリズム、ダイバーシティ、アンチエリートと言えば語感はいいのですが、 一方で失って二度と取り戻せない香り(「香り」としか表現しようがない)も多いと思います。



写真1)カール・ベームとウィーンフィル

 この演奏はウィーン・ムジークフェラインザールで行われたウィーンフィルとのライブ録音です。 映像で見るように、当時のウィーンフィルの団員はすべて男性でした。 また、ウィーンで音楽教育を受けたことも入団の条件だったようです。 ウィーンフィルは色んな意味で鎖国状態でした。



写真2)カールベームの指揮姿(左手に特に注目)

 写真はデジカメの露出時間を長くとってホームシアターのテレビを撮ったものです。 左手の手首から先だけが波のようにしなやかに動き、体も指揮棒もほぼ静止しているのがはっきりわかります。



 カール・ベームはカラヤンのようにシャレてもいませんし、 バーンスタインのように指揮台で踊ったりしません。 クライバーのように指揮棒が鋭利な刃物に見えることもありませんし、 ショルティのように縦の線を揃えることだけに注力したりしません。 フルトヴェングラーのようにデモーニッシュではなく、 クナーパーツブッシュのような巨大な造形も採りません。

 カール・べームは背筋が伸びた指揮姿ですが身振りは小さく、 指示は的確ですがオーケストラを煽ることはしません。 テンポもリズムも作曲家の意図を信じ安定的で、スコアの極端な解釈はせず中庸を行きます。 しかしそんな指揮がウィーンフィルの美音と相まって、 なんとも言えない香りのするシューベルトに!



写真3)カール・ベームとコンサートマスターのゲルハルト・ヘッツェル

 カール・ベームはコンサートマスターのゲルハルト・ヘッツェル以下を信じているのでしょうか、 ヴァイオリン・パートにほとんど指示を出していないように見えます。

 カール・ベームは練習が厳しく、時には練習嫌いのウィーンフィルのメンバーから反感を買ったようです。 しかしヘッツェルなど各パートの実力者からの信頼は厚く、 この信頼感こそがこのコンビが他で聞くことのできない名演を生み出す源泉でした。





(15.08.23)

オペラ v.s. ミュージカル


 ミュージカル

 劇団四季「ライオンキング」あらすじ(原作はディズニーのオリジナル)



 動物たちの王国、プライド・ランド。
その王として尊敬を集めるライオンのムファサは、息子であるシンバに、 自然界を支配する王としての心構えについて教えます。しかし、 やんちゃ盛りのシンバは幼馴染のナラと遊んでばかり。

 そんな中、ムファサの弟スカーは、ムファサ親子を亡き者にしようと画策します。そしてムファサは殺され、 シンバは王国から追放されます。

 父と故郷を失ったシンバは、 ミーアキャットとイボイノシシのコンビ、ティモンとプンバァの2匹と出会います。 シンバは2匹と一緒に「ハクナ・マタタ(スワヒリ語で『くよくよするな』、の意味)」をモットーとした暮らしを続け、 成長していきます。

 一方プライド・ランドは、暴君スカーによって荒廃していた。過去と向き合うことに躊躇し、 葛藤するシンバでしたが、ついに王国へ戻ってスカーと対決することを決意します。





 オペラ

 リヒャルト・シュトラウス「サロメ」のあらすじ(原作はオスカー・ワイルドの戯曲)



 ユダヤ王エロドの后の娘サロメは、囚われている預言者ヨカナーンに興味を持ちます。 ヨカナーンとの接触は王により禁じられていますが、サロメは色仕掛けで見張の男に禁を破らせます。 そしてサロメはヨカナーンにも色仕掛け、唇を奪おうとしますが、頑迷に拒絶されてしまいます。 異様に悔しがるサロメ。

 やがて王が来て、ダンスを踊ったら何でも望みをかなえてやるとサロメに誓います。サロメは王の前で妖しい 「7つのベールの踊り(ベールを次々と脱ぎ捨てて、フルヌードになる演出もあります)」を踊ります。 サロメは王に約束を迫ります。ヨカナーンの首を切って持って来るように!と。

 それを聞いて驚愕した王は拒否します。しかし、サロメのしつこい懇願についに折れてしまいます。 ヨカナーンの血したたる首が銀の皿にのせられてサロメの前に出されます。 サロメはその生首を抱きしめ、妖しい目で見つめ、その唇を奪い、狂喜の歌を歌います。

 王はこの場でサロメを殺すよう兵に命令します。

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 さて、日本公演が通算10000回に達したと話題になったミュージカル「ライオンキング」と、 20世紀初めに作曲され今も人気のオペラ「サロメ」のあらすじ、どう思ったでしょうか?

 誰もが思うのは、「ライオンキング」の健全性と「サロメ」の異常性でしょう。



 オペラを含むクラシック音楽を聞かない人のほとんどが誤解しているイメージ、それは、 「クラシック音楽はまじめで、堅苦しい」
ということではないでしょうか?

 それは全然違います。実際クラシックにはまじめな曲、堅苦しい曲もあります。 しかし実は、クラシックにはポップミュージックよりも心を乱すような異常な曲、やばい曲が多いのです。 人を狂わす美しい魔性の音楽が多いのがオペラを含むクラシック音楽です。 常識的なポップミュージック、驚愕のクラシック、実はこれが真実です。



 ただ、同時にクラシックはミュージカルを含むポップミュージックよりハードルが高いのも事実です。 例えば「ライオンキング」は、ほとんど予備知識がなくても劇団四季の公演を見れば、 そのワクワクするような楽しさは伝わって感動できるでしょう。 シンバの仲間との「きずな」を実感し、動物たちに「癒され」、シンバの決断に「勇気をもらう」ことでしょう。

 それに対して、劇場に行っていきなり「サロメ」を観てもその良さはわからないでしょう。 それどころか、打ち付ける不協和音の氾濫とドイツ語の泣き叫ぶ歌を聞き続けるのが苦痛になるかもしれません。 そこには「きずな」や「癒し」のかけらもなく、「勇気をもらう」ような音楽ではないことはわかるでしょう。

 そこで、オペラには予習が必要です。しかし、家でDVDを見る場合でも、音がプアだと「サロメ」の本当の良さは分かりません。 「サロメ」の音の色合いは、茶色や紫色に混濁した強烈な不協和音を背景に、 銀色や真紅の音が鮮やかに浮かぶイメージです。 それが伝わらないと「サロメ」の魅力は半減です。

 また、このオペラは善とか悪は無関係、また主人公の成長や成功を扱うストーリーではありません。 退嬰的な狂気と魔性の女のサロメを歌手がどう歌い演じ切るか、 ヨカナーンを聖者としてか、あるいは肉体的魅力のある男としてとらえるか。 そして指揮者とオーケストラと演出家がそれをどう表現するか、 この辺が見どころ、聞きどころです。



 オペラには他にも、やばい曲があります。ワグナーの「リング」四部作、「トリスタンとイゾルデ」、リヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」、 アルバン・ベルク「ルル」、ショスタコビッチ「マクベス夫人」等です。 他にもたくさん、分別のある大人だけが分かる曲がありそうです。 私がまだ知らないので紹介できないだけです。





 さて、以下ではオペラとミュージカルの11項目の違いを表にしてみました。参考に、オペラと ミュージカルの中間的なオペレッタとも比較しました。

 なお、すべてのオペラ、ミュージカル、オペレッタがこの表の範疇に必ずはいるわけではなく、 例外も少なくないのは言うまでもありません。



 項目    オペラ    ミュージカル    参考(オペレッタ)
 @ストーリー    荒唐無稽、退嬰的、愚にもつかない    明快、前向き、強いメッセージ    両者の中間
 A構成    音楽がメイン    音楽、ダンス、セリフ、どれもメイン    ミュージカルに近い
 B音楽   クラシック、生のオーケストラ   ジャズを含むポピュラー、あらかじめ録音   生のオーケストラ
 C歌   生の声   マイクを通した声   生の声
 D歌手   音楽性と体力を最も重視   外見、演技力も音楽性と同様に重視   ミュージカルに近い
 E劇場   オペラに特化された専用劇場   汎用劇場   オペラに近い
 F本場   イタリア、オーストリア   アメリカ   フランス、オーストリア
 G言語   イタリア語、またはドイツ語   公演が行われる国の言葉(日本では日本語)   フランス語、またはドイツ語
 H観客    分別をわきまえた大人    子供からお年寄りまで誰でも    ミュージカルに近い
 I収支   赤字   黒字   オペラに近い
 J価値観   楽しい、美しい   楽しい、綺麗   両者の中間




 さて、オペラの最大の欠点と私が考えているDに注目します。 オペラでは、何よりその役を歌えることが条件となります。 あたりまえに思えますが、これが実際はすごく高いハードルになります。 その役を全うできる音楽性と、そして体力。 オペラでは、これらが備わった歌手であれば他のこと、例えば歌手の年齢や容姿までには考慮が及びません。

 「サロメ」の場合もそうです。 あの大オーケストラを向こうにまわして、サロメ役を歌い演じられるソプラノ歌手は多くありません。 さらにサロメはスリムな体型で、おそらく10代後半で20才は過ぎていないでしょう。 そんな歌手は世界どこを探してもいないでしょう。 その上、ダンスが出来て、さらに…、となると、なお現実的ではありません。

 他のオペラでも、17才の可憐な王女役に45才の恰幅のよいソプラノ歌手が出てきたり、 20才のイケメン青年役に55才のビール腹のテノールが出てきたりします。 劇場ではステージが遠いのでまだよいのですが、DVDやBru-Rayは高解像度であるが故、 これをごまかすことができず大きなギャップが残ります。

 この辺の違和感、私もまだ克服?できていません。 余りにギャップが大きいと、映像なし音だけのオペラの方がいいと思うことも少なくありません。 一方、ミュージカルやオペレッタでは、このようなギャップに悩むことは少ないです。



 次にIです。

 ミュージカルは、原則として毎日同じステージをできるだけ長期にわたって維持することで興行収入を増しコストを抑え、 黒字を確保しようとします。ミュージカルは基本的に市場からの収入で成り立っているのです。

 これに対しオペラは、数日に一回という上演でありチケット代だけでは大幅な赤字になります。 オペラは国や州からの補助金を前提に劇場が運営されています。

 平たく言えば、ミュージカルが大衆文化における消費財(商品)なのに対し、 オペラはその社会の中の高級文化を代表する価値財 (大衆の意向に関わりなく価値があるとされるもの)である、という位置づけです。

 これはミュージカルやオペラ、オペレッタの楽しさとは関係ないです。



 最後はJ。  「美しさ」と「綺麗さ」とは、同義の場合と正反対の場合があります。