(08.03.08)
道草 夏目漱石 著 岩波書店
(漱石全集 第六巻 :1966年 初版)
全17巻/月報1
形態/丸背 厚表紙クロス装 貼函入り
本文/旧字・旧かな
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先月、3日間寝込む程度の病気をしました。
病院に行くのは10年に1度あるかないかぐらいの私ですので、
寝込むだけでもめったにないことでした。あの時は、
高熱と猛烈な下痢に見舞われ、一時は動くことが出来なくなりました。
ちょうどその頃は、中国から輸入されたギョーザ問題に世の中が揺れていましたので、
もしかしたら…、と考えたものです。
その病気がよくなりだして、ふと手に取ったのがまだあまり読んでいない漱石
全集でした。漱石といえば、近代日本を代表する大作家ですが、
私には難しくてよく分からなかった、というのが本音です。
これまでよく読んだ漱石と言えば、
誰が読んでも面白い「坊ちゃん」と、難しい小説の中でも例外的に
よく分かる「こころ」だけ、といってもよいと思います。
漱石との最初の出会いは、たぶん小学校6年生の頃だったっと思います。
夏休みの読書感想文に何がよいか迷っていたところ、母親が漱石の
「吾輩は猫である」の文庫本を買ってくれたのです。
しかし、面白いと思ったのは、最初の数ページだけで「猫」には
歯が立ちませんでした。
それもそのはず、「猫」は漱石の小説の中でも、最も難しい部類の属する
もので、科学少年だった小6の私が面白いと思うわけがありません。
「猫」では、特に事件らしい事件が起こるわけでもなし、
舞台は一貫して主人公の家の中、明治のインテリの軽妙な会話が延々と続く、
という構成です。これを面白く読めるためには、明治時代に対する深い
理解と、人間そのものに対する深い経験や洞察が必要なのです。
小6の私は、買ってもらった「猫」を数ページで投げ出して、別のSF小説を読んで
感想文を書いたものです。それはそれでよかったと思います。
なぜならば、分からないものを無理して読んで分かったつもりになるのは、
読書家にとって最悪の態度だからです。一流の文学は、平凡な小学生や中学生
には解らないようになっているからです。
さて今回、漱石全集第六巻の「道草」を読んで特に驚きました。
あんなに難しいと思っていた漱石が、心に沁みるようによく分かるのです。
20年か30年前、少し読みかけて投げ出していた漱石最晩年の「道草」
が、切実な問題として私にうったえてきます。
「道草」は漱石最後の完成された小説です。
(次の「明暗」が未完成に終わっています)
そして、「道草」は漱石の自伝的小説と言われています。
江藤淳氏などの漱石研究者によれば、「道草」には30代までの漱石の生活が
かなりリアルに描かれていて、周囲の人の固有名詞を書き換えてあるだけで
自伝に近い、とのことです。
御存知のように、漱石(本名は夏目金之助)には本当の親と育ての親がいます。
種々の理由があって、
漱石の姓は、夏目 → 塩原 → 夏目 と変わりました。
さらに複雑なことに、その塩原(小説では島田)夫妻は途中で離縁してしまいました。
「道草」では、大学の先生となった漱石のところに、すでに老いた島田夫妻が
金をせびりに別々に何度もやってきます。気が弱い漱石(小説では健三)は、
ない金を借金してまで与えてしまいます。健三の細君はそれを非難します。
そして健三は、その細君と連れ立ってすでに10年以上経て、子供も3人
いるのに、いつまでたっても細君と心が通じ合いません。
一方細君は、帝国文科大学(現在の東京大学)の教師である夫を尊敬していません。
なぜなら細君は、実業家だった父親を理想の男性と思い込み、
実社会にうとい健三を軽蔑しています。
しかし、その父親も仕事に失敗し、また少なくなかった財産は
誤った投機ですべてなくして
しまい、借金だけが残っています。細君は実家に帰ろうにも帰れないのです。
細君は健三の元を離れたくても離れられないので、軽蔑している夫の
庇護を受けざるを得ないのです。
細君は、何もはじめから健三を嫌いだったわけではありません。
結婚して夫が実際的なことは何も知らないとことが分かっても、
「この人も世の中に揉まれれば、父親のように実際的な男に変わっていくだろう」
と期待していました。
しかし、健三はずっと健三のままでした。
家の中のことは何もできず、子供にもまったく触れない、
引越しの時もタンスひとつ動かそうとしない、
細君に優しい言葉ひとつかけない、健三はそんな男でした。
そして、毎夜毎夜部屋にこもってなにやら難しい洋書を読んでは、
唸っている、その洋書を買うために月給のかなりの部分が消えるので
教師の薄給では家計がいつも苦しく、細君の質屋通いが絶えないのでした。
一方、経済的にさらに困っている健三の姉が近くに住んでいて、
そちらのほうにも毎月金が出て行くのに、さらには
育ての親までが現れて金をせびる、おまけに子供は次々に出来るのでした。
細君は、このような生活から脱出しようとしない健三を、どうしようもない
男だと思っています。
健三はといえば、細君とはほとんど会話らしいことは出来ず、
いつまでたっても細君を理解できません。
細君に「御前は馬鹿だ」とまで言い放ちます。
実際的なことが出来なくても、自分は帝国文科大学に教師をしているとおり、
周りの連中よりずっと優れている、と思います。
しかしふとした時、
「御前は畢竟(ひっきょう)何をしに世の中に生まれてきたのだ」
と己に疑問を何度も呈します。健三の心はそれを明確にすることを
いつも拒みます。
そして、
「分からない」
と叫びます。
「分からないのではあるまい。分かっていても、其処(そこ)へ行けないのだろう。
途中で引懸っているのだろう」
と思い、また、
「己(おれ)の所為(せい)ぢゃない。己の所為ぢゃない」
と逃げます。
このようなことは、私にとってというか、世の中に出てある程度の
時間が過ぎていれば、誰にとっても一度は切実な問題として
提起されるのではないでしょうか。そして多くの人にとっては、
今でも他人事ではないでしょう。漱石は深いですね。まだ読んでいない
「行人」「門」「明暗」など後期の小説をこれから読もうと思います。
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(07.12.29)
小林秀雄 全集 小林秀雄 著 新潮社 2001/4〜2002/7
全14巻/別巻2
形態/丸背 背革装 厚表紙クロス装 貼函入り
用紙/最高級レイド紙(簾の目入り)
本文/旧字・旧かな 精興社活字明朝10P
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ついに念願の小林秀雄全集を手に入れました。買ったのは神保町交差点
近くにある三茶書房です。先日、仕事の帰りに
(どんなに忙しくても書店を覗く時間は作ります。最優先です)
三省堂方面に向かって横断報道を渡ると、三茶書房入り口付近の
ショーウンドウに飾ってあるのを見つけました。
これで今年は、9月に三島由紀夫全集36巻
に次いで、また大きな全集を手に入れました。じっくりと味わいながら、
少しずつ読んでいきたいと思います。この先が楽しみです。
この全集の特徴はまず、全690編もの作品が発表年月順に並べられていると
いうことです。すなわち、第1巻の「様々なる意匠・ランボオ」(1922年:大正11年)から、
第14巻の「流離譚を読む」(1982年:昭和57年)までです。
1922年からあと数年で昭和になり、また1982年からあと数年で昭和が終わる
わけですから、小林秀雄氏は昭和時代全般を網羅して活動した人、
といってよいでしょう。
もうひとつの特徴は、「旧字・旧かな」をあえて採用した、と
いうことでしょう。「新字・新かな」か「旧字・旧かな」のどちらが
よいかは議論の分かれることろです。私はその作家が書いた
とおりがよい、と考えています。その方が作家に意図がより正確に
読者に伝わるからです。
また、装丁も気に入っています。
特に「簾の目入りのレイド紙」は、なかなか味わいがあります。
それにゆったりした行間にも、ゆとりを感じます。(小さな字を
詰め込んだ本はせせこましくて嫌いです)
装丁の重要さに関しては三島由紀夫全集でも記しましたので、このぐらい
にします。
これまで私は、小林秀雄氏をきわめてわずか(文庫本2冊、単行本1冊)
しか読んでいません。
その中でじっくり読んだのは、著名なエッセイ「モオツァルト」ぐらいのものです。
ところで私は、今年始めに新潮社CD講演で小林秀雄氏の声を聞くように
なりました。そして、ほぼ1年を費やしてCD14枚の講演を繰り返し聞き、
しだいに氏の魅力にとりつかれるようになりました。
小林秀雄氏の心が赴く範囲は実に広大です。
学生時代はフランス文学を専攻したこともあり、まずは、ランボー、ポードレール、
ジッド、に関するエッセイから氏の文筆活動が始まっています。
その後しばらく、国内の作家、中原中也、志賀直哉などをとりあげていました。
そして、小林秀雄氏の興味はロシアの大文豪ドストエフスキー
(つい最近、また流行ってきました)に行きます。
そして、昭和14年(1939年)には最初の大著(この全集は第6巻に収録、
200ページあまり)
である「ドストエフスキーの生活」が実を結びます。
しかし、これが氏の文筆活動の最初のピークでした。
この頃はすでに満州事変、2.26事件があり日本は戦争へと突き進んでいきます。
どんな自由な魂、鋭敏な頭脳をもってしても、戦争を遂行する国家権力に
勝つことは出来ません。小林秀雄氏の活動は徐々に鈍く(戦争には積極的に
協力せずに)なり、
昭和19年には完全に止ってしまいました。
昭和20年、ドイツ=日本連合の敗北となって第二次世界大戦は終わり、
小林秀雄氏は文筆活動を再開します。昭和21年(1946年)には先にも記した
音楽エッセイ「モオツァルト」が書かれました。この、
驚くほど勁くしなやかで、また
新鮮な文体は多くの読者を魅了したといわれています。
それから遅れること35年、1981年頃からモーツァルトに憬れた私も、この
エッセイを繰り返し繰り返し読んだものです。
不思議なことに、小林秀雄氏はその後、音楽に関してはほとんど
言及することはなくなりました。その代わりは絵画です。
昭和27年(1952年)には「ゴッホの手紙」が、
あるいは昭和33年(1958年)には「近代絵画」を著わしました。
昭和40年(1965年)には、著名な対談「人間の建設」があります。
小林氏は座談の名人とよく言われています。「人間の建設」は、
初対面だった数学者、岡潔氏との対談から生まれました。
聞くところによれば、二人は会ったはじめから気が合い、
予定されていた時間を8時間も延長して話し込んだといわれています。
小林秀雄氏の晩年の大作「本居宣長」は昭和52年(1977年)に
書かれました。氏の年齢は70歳代後半であり、(まだ読んではいないのですが)
まさに円熟の境地を期待します。
ちなみに、氏はCD講演では本居宣長のことを「のりながさん」と親しみを込めて
呼んでいました。親しみを感じるほどに本居宣長と深く付き合ったという
ことでしょう。
小林秀雄氏が、力を入れて書いた文章は実に難解な表現を含みます。
話題になっている周辺のことや人をよく知らなければ、
あるいはそう感じたことがなければ、一体何を言おうとしているのか
わからないことも多々あります。しかし、氏の短いエッセイなどの多くは、
それほど難解ではなく、ゆったりした気持ちで読めそうです。
こちらの方も楽しみです。
私は期待しています。
私の智がもっと深く沈潜し、また樹木が四方に枝を伸ばすように、
好奇心の翼が広がることを。
滋味ある言葉を繰り返し深く味わうことで、
私のこころに豊かさをもたらされることを。
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(07.12.09)
カラヤンとフルトベングラー 中川 右介 著 幻冬社 2007.01
松田聖子と中森明菜 中川 右介 著 幻冬社 2007.11
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驚いたことに、「カラヤンとフルトベングラー」、「松田聖子と中森明菜」の、
著者は同じなのです。両者共に、
中川右介氏が幻冬社から今年に発行した新書なのです。
中川右介氏は1960年生まれ、
現在は「クラシック・ジャーナル」編集長だそうです。
「オタク第一世代」を自認し、クラシック音楽の他には、1970、80年代の
歌謡曲、コミック、アニメ、ミステリー、SFにも詳しいそうです。
さて、「カラヤンとフルトベングラー」、「松田聖子と中森明菜」ですが、
一般的には、前者を面白いと思う
読者は、後者にはまず興味はないと思います。あるいは大部分の人は、
後者は本のタイトルを見ただけで、その内容の
おおざっぱな見当はつくのでしょうが、前者はいったい何のことなのか
皆目分からない、といったところでしょうか?
「カラヤン、フルトベングラー」、「松田聖子、中森明菜」、この2つのペアは
「音楽」という大雑把なキーワードだけで結ばれていて、
その他には何も共通点がありません。しかし、私はこの休み中に、この2冊を
とても面白く読んだのも事実です。極端に異質なものに深い関心や感心を持つ
中川右介という人にもとても興味があります。
一方、この2冊の本の書かれ方にはある共通点もあります。
まず、「カラヤンとフルトベングラー」は1934年から1954年の間に関してだけ
触れられています。フルトベングラーは1954年に没したのですが、
カラヤンはその後35年、1989年まで現役で活躍していました。しかし、
1954年以降の、カラヤンの全盛期のことはほとんど書かれていません。
一方、「松田聖子と中森明菜」は1980年から1985年までの間に関してだけ
触れられています。松田聖子はその後もスキャンダラスら「ママドル」として
活躍しましたし、今も現役です。中森明菜もその後に自殺未遂事件を起こし、
あまり幸せとは言えない半生です。しかしこの本では、そうしたことはわずか数行に
限られています。
「カラヤンとフルトベングラー」と「松田聖子と中森明菜」に共通するのは、
それぞれの二人が係わった、「濃密な時代」だけをクローズアップしている、
ということです。その上で、
作者が明確な対立点を設定して話を進めていくという手法をとっているの
です。本人のみならず周囲の思惑や陰謀なども興味深く取り上げて
います。詳しくは実際に本を買って読んでください。
中川氏は「カラヤンとフルトベングラー」のあとがきに、「人柄のいい人」の
「お上手な演奏」など聴きたくない、
すごいものを聴かせてくれるなら、どんな悪人でもいい −
そう思うのは私だけだろうか。
と記していますが、私もまったくその通りだと思います。
「健全な芸術」などというのは、その言葉自体が矛盾なのです。
芸術は麻薬に一番近いと私は思います。
(幸いにも、私は立派な芸術の中毒患者です)
ところで、この4人の中では、「フルトベングラーって誰?」
という方が一番多いでしょう。
フルトベングラーは20世紀前半から第二次世界大戦をまたいで活躍したドイツの
指揮者です。
もしも、「音楽史上最も偉大な指揮者は? 」という問いがあったならば、
まず確実にトップになるのがフルトベングラーです。
「作曲家が書いたスコアには必要最低限のことしか書かれておらず、
その曲の真の意味を見出して音に具現化するのが指揮者の使命である」、
と彼は考えていました。フルトベングラーの音楽は精神の塊であり、
常に精神のドラマがありました。フルトベングラー以後の指揮者は
成し得ない音楽がそこにはありました。
一方のカラヤンですが、ベルリンフィルとのコンビで録音されたレコードの
売上高は、ポップスを入れても史上最高なのでしょう。
史上最強のビジネスマンと言われるゆえんです。
「好きな指揮者は?」あるいは「キライな指揮者は?」の両方の質問で、
カラヤンは多分トップを得るのは確実でしょう。
「カラヤンとフルトベングラー」には音楽論的な視点はほとんどありません。
あえて書かなかったのでしょう。
では、なぜカラヤンをフルトベングラーがあれほど嫌い排斥しようとしたのか、
私はこう思います。音楽に対するカラヤンの姿勢、もっと狭く言うと、
カラヤンの音楽そのものをフルトベングラーは
許せなかったに違いない、それが私の結論です。
しかし、フルトベングラーの亡き後、音楽の歴史は、
圧倒的にカラヤンに沿って流れていきます。
フルトベングラー的な芸術家は現代に近づくに連れて徐々に少なく
なってきました。現在はスコアは記号の集合とみなされ、音楽家はスコアを
忠実に再現する役割だけ
になってしまいました。そのぶん事務的な演奏が増え、生のコンサートも録音も
つまらなくなり、音楽ファンはすますフルトベングラーの時代に憧れる
ようになりました。
さて、松田聖子の魅力はその声にあります。アイドルの中では歌の力
も出色です。
それから、あまり語られることはありませんが、その数々のアルバムには隠れた
名曲が多いと思います。LP時代の録音も素直で大変いいと感じています。
私は彼女の残したアルバムの音楽論を読みたいです。
私は中森明菜をあまり聞いていないように思っていましたが、
LPは6枚もありました。その歌は、どこか投げやりで荒んでいて、
いまにも崩れてしまいそうな
感じです。私はあまりそう思いませんが、このような女性を好きな人も
結構いるのでしょう。
最後に余談ですが、音楽界にはライバルとされている2人もしくは2組の
ペアが無数にあります。中川右介氏がの次の著作はどれで
しょうか?
・ビートルズとローリングストーンズ
・ポール・マッカートニーとジョン・レノン
・ジミー・ペイジとエリック・クラプトン
・モーツァルトとベートーヴェン
・シューマンとブラームス
・ヴェルディとプッチーニ
・ベルリンフィルとウィーンフィル
・ピアノとヴァイオリン
・モンクとパウエル
・陽水と拓郎
・おにゃんこクラブとモーニング娘。
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