(05.06.11)


2007年までは株で稼げます! 未来かたる 著 中経出版:2005/6月初版 

 「IRネット」でお馴染みの人気者、未来かたる氏の著作。 「バラ色相場2005年-2007年」等のように氏が「IRネット」で日々論じている自説に加え、 この15年間氏が歩んだ苦難の道(ショッキングな話もあります)も記されています。







 ユーモアに溢れていてアイディアマンの未来かたる氏がこんなにも凄惨な 時期があったとは夢にも思いませんでした。1990年以来日本株は万年株価が低迷して、証券マン である氏は相当困ってはいるとは思っていましたが、あそこまでとは思いませんでした。 涙なしに読めない部分さえもあります。

 それなのに、この8年間というもの、主催するWEBサイトでは氏は時には強く、 そして暖かく個人投資家を励ましリードし 続けていました。なんと強い意志を持っているのでしょうか。 氏は人と自分を信じるオプティミストなのでしょう。 この事実だけでも感嘆してしまいました。

 本の中味をあまり詳しく書いてしまうと問題がありますが、 「上がる株には三つの条件がある」はその通りだと思いました。
1:時代背景がマッチしていること
2:業績と株価の関係でギャップが生じていること
3:業績が好調で、先行きに対する強弱感が対立していること



 しかし、そのような未来かたる氏の姿勢に感動しても、実際の売買手法となると 個人的には疑問符をつけたいと思います。 一言でいうならば、上手く行かなかった時、予想が外れてしまった時の打撃が大き過ぎると 思うからです。これではたった一度だけでも失敗すると致命的な打撃になります。

 かたる氏の売買手法では、株が上がった時には大きな利益になりますが、 下げ相場にほとんどすべての利益を吐き出し、再び上げ相場になれば 何倍にもなり、下げれば大損…、の繰り返しになるように思います。 (実際そうなっているようです)日本株が再び長年にわたって 右上がりになるならこれでもよいのでしょうが、そうなるとはとても思えません。

 また「株は精神力、信じる力が利益を約束する」 といった考え方には反対はしないのですが、出来たら精神力や忍耐などは最小限に 抑えて(できたら楽しく)利益を得たいと思うほうが自然でしょう。 音楽に例えていうならベートーベンの「英雄」や ブラームスの交響曲1番のような、「苦悩から歓喜へ」、「陰鬱な長い闇から光溢れる世界へ」 の世界では、少なくても私は精神的に耐えられません。

 ですから「狙った株が下がっても、業績が好調なら喜んで安値を買い増す」 などは絶対したくはありません。何故ならば、株価が下がり出した時は その企業がもはや「業績が好調でない」ことを知っている投資家が売っている 可能性があり、また実際そのような場面はこれまで何度も経験したからです。



 日本がデフレ終息にもメドがつき長期金利が上がり出したら、株価は爆発的に 上昇するというかたる氏の予想には全面的に賛同し、また 近いうちに起こるであろうその時を心待ちにしています。 2006年、2007年は個人投資家にとってほんとうにチャンスであると思います。





(05.01.22)


「おろかもの」の正義論 小林和之 著 ちくま新書:2004/12初版 

 ”「正しさ」を定める規範とその原理は、誰にもわかるように語られなければなたない。 ここが自然法則と大きく違うことろだ。引力の法則を理解していようがいまいが、 ビルの窓から飛び出せば下に落ちる。だが、「正しさ」は人に理解されてはじめて「正しさ」 としての力を持つ”







 ご存知のように昨今は日本企業のグローバル化が進み、 エンジニアが純粋に技術を追うことが許された「プロジェクトX」的時代はもはや 過去のものとなりました。今やエンジニアといえども、自らの所作が環境に与える影響を 考慮するべきなのは当然として、その他にも法律や契約に対して どのようであるのかも考えるよう要求されるようになっています。

 そのよい例が記憶に新しい青色LEDの裁判です。あの出来事は数多くある法律のうちの 特許法の中の、第35条という1つの条文の解釈次第で200億円、 あるいは600億円が右から左に動く可能性があったことを示唆しています。

 また、昨年は韓国、あるいは台湾企業から国内に輸入される薄型TVを日本企業が法に訴えて さし止める事件が数件起きています。海外ではそうした係争は日常茶飯事で、最近話題に なったのは、米Rambusと韓国Hynixの訴訟、グーグルの商標侵害訴訟などが あります。

 このようにグローバルな時代が到来し、エンジニアでも文系的な知識やセンスが求められるように なっています。法律など知らない、興味がないと避けていては、いつ自分に火の粉が 降りかかってこないとも限らない世の中になりつつあります。



 さて、我々理系の人間にとって「法律」を始めとする文科系の学問は なにか不透明でいかがわしく思えます。 理系の学問は何が真実であるのかが絶対的な拠所ですが、文系の学問は いったい何を基準にして考えれば良いのかが、なかなか見出せないのです。例えば 法律にしても解釈しだい、あるいは関係する人間の力次第でどうにでもなり、 そこには真実あるいは「正しさ」など存在しないように思えます。

 文系の学問は数式も使わずに、曖昧で不安定な言語を頼りに論じるだけ、 実験も出来ないので、それが正しいのか正しくないのかもさっぱりわからない、 理系の人たちの多くはそう思っていると思います。

 ところでこの「おろかもの」の正義論にもその辺の事情が面白く書かれています。
”理系バカが文科系をバカにすることに理由がないわけではない…
学としての厳密性という点でも人文・社会科学系は自然科学に大きく劣っている。 質量、長さ、時間といった概念に対して、権利、効用、愛などという概念はあまりにも 曖昧である…
数式のような、基本概念の関係を明確に記述する言語ももっていない。立証も 反証もできないタワゴトをぐだぐだ言っているだけ…”



 さて古い話ですが1977年「日航ハイジャック事件」がありました。 日本赤軍が人質と引き換えに服役中の仲間を釈放するように要求した事件です。 時の首相、福田赳夫氏は「人の命は地球より重い」として、「超法規的に」犯人の要求を のんでしまいます。飛行機の人質と引き換えに釈放された仲間とともに犯人は アルジェリアへと亡命してしまいました。

 この事件で印象的だったことが二つあります。 一つ目ですが、裁判で有罪と判決をうけて服役中の囚人を総理大臣は解放させることが できることです。法で決まっていることを覆す権力が総理大臣にはあるという事実です。 法とは万能ではなく、ある人にとっては覆すことの出来るのが驚きでした。 もう一つは「人の命は地球より重い」という福田首相の言葉です。

 この「人の命は地球より重い」に関して、しばらく考えたものでした。 人の命がそれほど重いのなら、年間に10.000人近くも交通事故で人が死ぬことを なぜ放置しているのだろう。ハイジャックの人質100人ぐらいの命を法を曲げてまで 助けるのに、確実に年10.000人近く人を殺す自動車を法が許しているのは なぜだろう、と。

 「人の命は地球より重い」と自動車を禁止しないのはいったいどう言う関係にあり、また どちらかが正しいのか正しくないのか、あるいは「正しい」とはどんなことなのかさっぱり わかりませんでした。そして、この疑問はあれからずいぶん経つのに、 心の中ではなんら解決を見ないでいました。



 この「おろかもの」の正義論には28年前に抱いた疑問への一応の回答が記してありました。 (完全に納得したわけではありませんが) 簡単に言えば、「人々が享受する自動車の利便性、快適性、娯楽性の総計が 年間10.000人弱の人命よりも重い」ことが「正しい」と社会が判断しているから 自動車が許されているのだといいます。

 言いかえれば、加害者あるいは被害者(の遺族を含め)が経済的に破綻しないように 保険制度を設け、またなるべく事故が起きないように交通ルールや運転免許制度などを定めるなどして 社会が納得した上で、年間10.000人弱の生贄を悪魔捧げているようなものだと言います。 それを社会が「正しい」と判断しているのであって、真実真理といった理科系的 意味の「正しさ」ではないようです。

 これを私流に再解釈します。もし自動車によって一人も死ぬ人がなかったら、 自動車を禁止する理由がありません。しかし、もし自動車によって年間1.000万人死ぬならば まず禁止されることでしょう。では、100万人だったら?これも禁止でしょう。 現在年間1万人で許されるのですが、10万人ならばどうでしょう? 要するに何処かで違法か合法かを線引きして「正しい」か「正しくない」を 決めているのです。



 再びハイジャックの例に戻ると、当時日本政府が行った判断は世界の 笑い者になりました。世界(キリスト教圏?)の常識は「法を遵守することは 人命よりも重い」が「正しい」ことだったからです。もし 犯人を釈放すればそれが次のテロを生み、結果としてさらに多くの人命が失われる 可能性があるなど、犯人との妥協は犯罪の連鎖を作りだしてしまうからです。

 実際、1972年に当時の西ドイツで 行われたミュンヘン・オリンピック中、パレスチナ・ゲリラがイスラエル選手を人質に とってイスラエルの刑務所にいる同志の釈放を要求した事件では、日本とは全く反対の 結末になっていました。ゲリラは3人を除いて射殺され、人質は全員死亡するという 痛ましい結末となってしまいました。

 この事件に関してはオリンピックというスポーツの祭典中だったこともあり、 多くの議論を巻き起こしましたが、その後の世界の趨勢はあの判断が「正しい」と する方向に向かっているようです。犯罪の連鎖を食い止めるためには、人質の命もを 悪魔に捧げることが「正しい」選択なのでしょう。



 「正しさ」に関してひとつの結論は、「正しさとは社会との約束ごと」である ということです。「正しさ」を知るということは、社会の意向を知ると いうことです。

 そう考えれば、青色LED裁判も、「ああなるほど」と納得がいくようです。 一審のように中村氏に発明の対価600億円を認めれば、日本企業には研究開発リスクが発生し、 製造現場に加えて研究開発まで海外へ出てしまいかねません。 それは「産業の発展に寄与する」とした特許法の精神にも合致しなくなります。

 中村氏は特許法35条を根拠に理系の「正しさ」を持って発明の対価 600億円の正当性を主張しましたが、文科系の裁判官に「正しい」額である8億円に減額され和解に なってしまいました。



 夫々異なる「正しさ」があるおかげで人は自由で豊かに過ごすことができる 反面、世界中で異なる「正しさ」のために命まで落す人が今も毎日いるのも事実です。 絶対的に正しいことって、ないのでしょうか?





(04.08.21)


潜在意識を活用した最強の投資術入門 石川臨太郎 著 Pan Rollng:2004/8年初版 

 ”E-Mails のページでも紹介した個人投資家、石川臨太郎氏の著書です。帯(裏側)では 「年収3.000万円を稼ぎ出す現代の錬金術師と紹介されています。 日本橋丸善などでトップ10に入る売れ行きのようです。”







 話題の1冊、「潜在意識を活用した最強の投資術入門」を買いました。 購入場所はJR川崎駅前に新しく出来たビル”MUZA”(ミューザ)内の書店です。 この本は他の本よりも一回り大きく(値段もちょっと高い)堂々として いますので、すぐに見つけることができました。 あのW.バフェット氏やさわかみ氏、あるいは田丸好江氏の著書に並んで、 個人投資家石川臨太郎氏の著作は2冊も棚にありました。

 さて、「潜在意識を活用した最強の投資術入門」は3章からなります。 第1章では、なぜ投資をするのか、どうしたら強い投資家になれるのか、あるいは 潜在意識を活用するとはどういうことがが著者の体験を交えながら丁寧に記してあります。 第2章では株式投資について、第3章では不動産投資に関しての実践の各論が述べて あります。



 第1章に書かれている「サラリーマンも経済的独立を急ぐべきである」という著者の考え方には 強く共感しました。 そして、次にはなぜ今経済的な独立を急がなければならないのか、 経済的に独立するとはどういうことかが記してあります。 また、経済的な独立を果たすとおこる3つの変化をあげていますが、FLは 「精神の自由、考え方の自由」を得られるメリットをこれに加えたいと思います。

 次に潜在意識を活用する8つの方法に関して詳しく記してあります。 その中の一つに、このページで以前取り上げたことのある神田昌典氏の著書のことにも触れ、 「望みを紙に書く」効果がいかに大きいかを体験を交えて記しています。 そして著者は、「やり方を学ぶ必要のあるものを時間をかけて学んでからやるよりは、 簡単に出来ることを、今すぐにやったほうがよい」といいます。 まったくその通りだと思いました。

  第2章は楽しく読めました。試行錯誤の結果生み出された著者の必勝方法が詳しく記されて います。儲けられる人はやはり努力しているのですね。 アテネ・オリンピックでメダルをとった選手たちも、周囲を巻き込んで大変な努力をした人ばかりで、 どんな分野でも簡単にはいかないのですね。(もっとも「試合で集中して力を 発揮すること」を「楽しむ」という言葉に置換える選手が多いのですが)

 この章の終わりには著者の失敗投資の例も記してあります。FLも 自分の失敗をみんなで一緒に笑うことができる、そんな余裕のある人になりたいと思っています。 ところで、ここには1997年頃の日立造船(7004)の例がありますが、 FLも同じ頃この銘柄を見ていましたので、とても共感できました。 あの時の日立造船の下落のし方は意味不明で恐ろしかったです。

 第3章は不動産投資です。不動産投資と聞くと、たまにかかってくる「マンション買いませんか」 といった怪しい電話しか思い浮かびませんでした。 そんなときはまともに相手になると長くなるので、「興味ありません」と一方的に 電話を切ることにしています。

 しかし、ここには不動産投資のメリットがわかりやすく記されています。 将来のインフレ対策にもなるようです。 ただ実際に不動産投資を行うかといえば、資金の制約は別として、これまでマンションに 住んだ事もなく、物件を見る目もありませんので当面は無理でしょう。



 最後に著者は会社に依存することの危険性に関して述べていますが、非常に共感 します。 FLはまた、こう考えています。ものごとは、「自分の力でなんとかなること」と、 「自分の力ではどうしようもないこと」に分かれると思います。前者は試験だとか、 仕事の成果、株式投資等で、後者は天気、生死、会社の業績などです。 前者の場合は、成功したかったら全力で努力すればよいのですが、 後者の場合はある程度のヘッジが必要です。

 雨が降りそうならば傘をもたなくてはなりません、天気は個人の力では変えられない からです。多くの人は もしもの場合に備えて種々の保健に入っているでしょう。また 非常に小さな企業なら別でしょうが、一般的には自分が仕事でがんばったかどうかは 会社の業績とはほとんど関係がありません。 そんなことはない、と反発する方もいるでしょうが、残念ながらそれは9割がた 真実だと思います。

 とても面白い仕事、あるいはやりがいのある仕事を任せられて 夢中になる気持ちも少しはわかります。しかし、だからといって100%の収入を 会社に依存するのは危険すぎるような気がします。 勤め先の給与に関しても、雨が降った場合と同様のヘッジが必要では ないでしょうか。いつ給与ゼロになってもおかしくない世の中です。

 人は様々な才能をもっています。稼げる場所は一つとは限らないと思います。 あなたがもしかして2つ、3つ、あるいは10のステージで稼げる人かもしれません。 潜在意識を活用すればそのことに気がつくのかもしれません。