(04.03.20 …今週は新幹線に乗っている時間が長く、いつもよりも多くの読書ができました)
アポロ宇宙飛行士が撮ったUFO コンノケンイチ 著 徳間書店:1994年第初版
1960年代後半から1970年代にかけて、人類を初めて月に立たせたアポロ計画の
本当の意味は?最後のアポロ宇宙船から30年もの間、なぜ米国は
月に人を一人も送らないのでしょうか?
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近年、アポロ計画で月に人類を送ったのは真っ赤なウソであると真顔で
主張する方もいます。あの数多くの写真は実はハリウッドのスタジオで撮られたもの
であるといいます。しかし、そうだとすればばれたら大恥をかくような
リスクの大きな賭けを、なぜあの時点でしなければならないのでしょうか?
また別の説もあります。すなわち、人類は本当に月に行ったのですが、そこがあまりにも
衝撃的な世界だったので本当のことは公表することができず、
やむを得ずに一部の写真はハリウッドのスタジオで
撮られたものにすりかえているとの説です。
本書は後者の説に従ったもので、月の裏側には太陽系外からと思われる
訪問者の基地が点在していたと著者は主張しています。
著者はアポロ計画の際に撮影された写真をとりあげ、その証拠となる物体が数多く写されていると
しています。
この本に取り上げられている数々の写真が、知性を持った別の生物によって
作り出されたものであるか否かは???と思われます。しかし、現実にはこの宇宙に数多く
(億単位?)の文明が存在するのは100%間違いがないと思われます。ただその中の
幾つかがこの太陽系に到達しているのかということになれば、少し疑うべきかも
しれません。
一番の問題は距離なのです。宇宙とは空間ばかりで実は何もないところなのです。
太陽系を直径1kmに縮めてみましょう。すると太陽は夏みかん一個の大きさになりそれを
真中におきます。一番外側の冥王星はそこから500m離して置きます。大きさは直径0.5mm
ぐらいの砂粒です。
中心の夏みかんから5mぐらい離れて砂粒ぐらいの水星が、そこから10m離れて1mmぐらいの
金星、さらに10mには金星と同じ大きさの地球です。一番大きな惑星である木星
(ジュピター)は葡萄粒ぐらいで、夏みかんからは100mほど離れています。
すなわち太陽系とは、直径1kmの円の中に、夏みかん1個と葡萄が2個、数mmぐらいの小石が5個、
あとは砂粒が100個か200個あるだけなのです。しかし驚くのはこれからです。このモデル
の大きさですと隣の恒星(ケンタウルス座α星)は新幹線で何時間もかかるほど
遠くになります。
実際にはケンタウルス座α星まではこの世で一番速い光の速さでで4.3年、
現代のロケットなら10万年はかかります。この距離が「お隣さん」で、
この間には何もないのです。
また最も近い大銀河集団であるアンドロメダ大星雲(M78…ウルトラマンの出身地です)
までは、光でも200万年、ロケットなら465億年
(なんと地球の年齢の10倍)もの時間が必要です。隣町のM78からやってくる
ウルトラマンは、人類がまだ猿だった時代に出発しなければ、
光速で飛んだとしても現代のテレビ番組には間に合いません。
では、この太陽系に別の知性体が訪問する、あるいは将来人類が
べつの太陽系を探検するといったことは、時間と距離という壁に阻まれて
絶対に無理なのでしょうか?たぶんそれは違う可能性が高いと思います。
何十年後ぐらいの科学の発展はある程度予想できても、
数百年後、数千年後にどうなっているのかを予想するのはまったく
無理でしょう。それを予想するのは、古今和歌集に出てくる言葉だけを使って、
液晶に使うTFT駆動回路の動作について説明する以上に難しいでしょう。
また、科学の歴史をひもとけば、その道の専門家が何十年、何百年もの間真実であると
みなしてきたことが、実は正しくなかったといった話に溢れています。
ですから現在の基本的な法則が将来まったくの間違いであったと
される可能性は、ほとんど100%に近いと思われます。
ところで、物理学の世界では、アインシュタイン以前にはニュートンの世界観がゆるぎなく
支配していました。ニュートンはこの世界がユーグリット幾何学(中学や高校で習う普通の幾何学)
に従うと暗黙のうちに仮定しました。例えばユーグリット幾何学には「線分は無限に延長できる」
という第二公理があり、ニュートンもこれをあたりまえと考え暗黙のうちにその
理論に採用しました。
しかし現在では宇宙は非ユーグリット的であり、空間自体に限りがあって無限に伸びた直線など
現実にはあり得ず、
また空間自体も、曲がっていない場所はこの宇宙に一ケ所もないので、
まっすぐな線は、たとえどんなに短くても引くことができないことが分かっています。
ニュートンの理論が完全に正しくなかったというより、最初に暗黙のうちに採用した仮定が
間違っていたのです。同様に、アインシュタインは光速度を不変であると仮定し
相対性理論を構築しました。しかし、光速度が変わらないということは、あくまでも
仮定ですから、ニュートンと同様に証明をしないで採用しているのです。
まだ決定的ではないと聞いていますが、近年この光速度不変の原理を覆す実験が
なされているようです。実験精度の飛躍的な向上によって、まもなく光速を超える
速度が発見されるかもしれません。そして将来において、あるいは地球以外のどこかで現在にも
光速を越える速度で動くものが作られていても不思議ではありません。
ところで米国では議会下院において「UFOシンポジウム」が開かれたことがあり、
著名だったカールセーガン博士や現国防長官であるラムズフェルド氏もこの重要メンバーでした。
シンポジウムは通常は非公開でおこなわれ、たまに公開されると
次々に地球外生命の来訪に関して否定的な見解が述べられています。
しかし地球に来訪しているらしい知的生命体に関することは、米国ではトップシークレット
であることは常識です。カールセーガン氏も若いころは「知的生命体が地球にきているらしい」
と公の場で発言していましたが、学者としての地位が上がるにつれて慎重な立場に
変化しました。
この世界には分からないことがまだまだ沢山あり、調べれば調べるほど
分からないことが増えていくようです。人類にはまだまだ
課題が沢山残されています。
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(04.01.11)
成功の掟 M・フィッシャー著 日本能率協会:1990年第4刷(初出1989年)
非常識な成功法則 神田 昌典著 フォレスト出版:2003年第7刷(初出2003年)
この2冊にはお互いほとんど同内容のきわめてシンプルな成功の秘訣が語られています。
「成功の掟」では小説風な、「非常識な成功法則」は体験談による
成功の秘訣です。この秘訣は、コスト殆どゼロ、リスクもまったくなし、
誰にでも実行可能で成功率も非常に高い(二人の著者とも「これしかない」
と言い切っています)、魔法のようなものです。
※ 下写真左側には「成功の掟」と金文字で真中に印刷されているのですが、
不思議なことにスキャナはこれを黒としか認識しないようです。
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世の中には成功を夢見ている人は非常に多く存在するのは論を待たないでしょう。
そのために昼夜を継いで努力している方も多く、また反対に棚からボタモチを期待して
特に何もせずに成功だけを夢見ている方はもっと多いと思われます。
なお、「成功」という言葉の意味は非常に広く、例えば科学者でしたらノーベル賞をとることが最高の成功かも
しれません。相撲取りでしたら横綱になることかもしれませんし、
マラソン選手だったらアテネへ行くことかもしれません、政治家だったら大臣になることかも
しれません、歌手だったらレコード大賞(今でもあるのかな?)を取ることかもしれません。
また理想の相手と結婚すること、重役になって事業を成功させる
こと、ボランティアで困っている人を助けること、子供をよい大学に
入れること、海外旅行に行くこと、あるいは健康で長生きすることかもしれません。
このように世の中には色々な「成功」の形がありますが、ここは株式投資のサイトですので、
「成功とは金銭的に豊かになること」と定義します。上記の本もそこに焦点を当てています。
また「豊か」とはどのぐらいを言うかですが、議論すれば収拾がつきませんので、
負債を引いた純資産(すぐにキャッシュに換金できる形で)
十億円程度と勝手に決めさせていただきます。
成功の意味を上記のように定義すると、世の中はわずか0.1%程度の成功者と、残り99.9%
以上の非成功者あるいは敗北者によって構成されています。このサイトをご覧になっている方も
ほぼ全員が現在非成功者であり、しかし大部分は成功者になることを願っている
ことでしょう。
では、誰でも夢見る成功者になるためにはどうしたらよいのでしょうか?
この2冊の本は驚くべき、そしてあっけにとられるほどシンプルな成功の方法を
語っています。この方法の唯一のそして致命的な欠点は、あまりにも簡単にできるので、
みんな馬鹿にして実行に移さない、
だから成功者はいつでも少ないことなのです。
M・フィッシャーの「成功の掟」では、大金持ちの老人「ミリオネア」に伝授された
この法則を軽い小説風にわかりやすく記しています。
また、神田昌典氏の「非常識な成功法則」では半ばおちゃらけながら、
この法則によって著者に生じた効果を記し、
「成功者はほぼ全員がこの方法を用いている」と断言しています。
ところで、いろんな所でよく目にする、
「人間は自ら期待した以上にはなれない」
「潜在意識が人間の行動を支配する」のは、どうも本当らしいのです。
このように言うと”では100メートルを5.0秒で走るように願えば実行できるのか?”と
反論する方がいます。しかし、誰も本気でそんなことを願うとは思えません。
疑いながら願っても実現しないのです。心から信じないと実現率は低くなります。
ところでこんな体験があります。小学校4年生、10歳のころです。学級担任が
やたら恰好をつけて児童に喝采を浴びて有頂天になるような人でした。
例えば算数の授業中小学生にはわからないような数式を書いたり、
国語の時間漢字の横に英語を書いて、どうだ俺はすごいんだといった
態度を見せる等です。
他の児童は、ほーと言った感じで感心していたのですが、
「この先生が今書いていることはたいしたことではない、
大人になったら自分は数学や英語ではこの先生よりずっと上になっているだろう」
とFLは明確に考えていました。10歳の子供でも確信を持ってそのように信じることができたのです。
一方この先生は絵が非常にうまく、図工の時間には精密な未来都市を鮮やかな色彩の水彩で
描いてくれました。この時は心から感嘆したものです。そしてまた、自分はこのような素晴らしい絵
は生涯書くことが出来ないだろうと確信してしまいました。
この場合は、本能的にネガティブ・フィードバックをかけてしまったのでした。
そして上記の出来事は中学、高校、大学と進学してもなぜか鮮やかに心に残っていました。
とりたてて印象的ではないきわめて平凡な出来事ですが、思い出す度に記憶が強化されて
行くように思われました。
あれから数十年、その先生がご存命かもよくわかりませんが、
10歳で抱いた期待と確信はたぶんその通りになっています。数学は大学院まで
やりましたし、絵の方は好きですが一向に上手くなっていません。きわめて些細な例なのですが、
期待と確信を長い間心に止めておけば何時の間には実現してしまうのは本当だと
思います。
潜在意識に成功を信じさせる、これが成功の秘訣です。
ではどうやって、自分に成功を信じさせることが出来るのでしょうか?
これがこの2冊の本の核心です。最後に、それを記します。あまりにも簡単で、
馬鹿馬鹿しいと思わないで下さいね。
成功のためには・・・
たったこれだけです。
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(03.10.24)
白い巨塔 山崎豊子 著 新潮社:1994年再発売(初出1964年)
白い巨塔がTVドラマ化されるようです。しかし、たぶん見ない方がよいでしょう。かつて
故田宮二郎が主演した映画「白い巨塔」を見た際も、その底の浅さにガッカリしたものです。
この小説の真髄は、映画よりもさらに底の浅いTVではうまく伝わらないと思われます。
推測ですが、TVドラマでは、
主人公財前五郎とその愛人 あるいは財前の妻や家族との葛藤や人間模様、といった描き方しか
できないと思われます。
(違ったらごめんなさいね)
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長い小説です。964頁もあります。はじめてこの小説を読んだのはまだ学生の頃でした。
最初は一気に読み、その後折りにふれていろんな部分を何度も読みこみ、最初買った文庫本(上・下)
はボロボロになりました。上記の本は買いなおした一冊です。
簡単な粗筋を記しますと、腕の立つ外科医で浪速大学助教授である財前五郎は、
あらゆる陰謀智謀を尽くし、教授の座を手に入れます。しかし、自信過剰による不注意から
医療事故を起してしまい、
死亡した患者の家族に訴えられ法廷に立たされます。財前は裁判の最中に病に倒れて
はじめて患者の心がわかりますが、すでに手遅れでした。
さて、前半のハイライトは「神聖な」教授会や教授選挙での駆け引きでしょう。
また、その裏で行われる、カネと権力による凄まじいホンネムキだしの闘争でしょう。
財前助教授はあまりにもメスが切れるため、上司である東教授に疎まれて
後継者に推してもらえない事態になり、不本意ながら”学長派”に接近します。一方の”東教授派”は
自分の出身校である東都大学出の少壮教授を推薦します。
また”改革派”と称する第三の派閥が別の人物を担ぎあげ、両派に揺さぶりを
かけてきます。
この三派が表と裏で、あるいは建前と本音で、権力と金力を駆使し、
教授戦を戦います。財前を含む学長派の武器はカネ、
東都大学の大物ボスと繋がる東教授派のそれは権力、
そして、改革派はその間隙を縫っての漁夫の利を狙います。
そして、弱者である一般医局員は教授達の意向で将棋の駒のように動かされます。
病院で治療を受けるもう一つの弱者である患者にも、派閥間の争いの影響が間接的に
及びます。また、その影響は教授達の妻にも少なからず及んでしまいます。
どんな世の中でも強者の横暴のしわ寄せは弱者にきます。
しかし、もっとも面白いのは、三つの派閥を構成する人達が、教授会などで議論する際の
ロジックの構築展開方法です。例えば、ある時は二派が共同し他の一派をやり込め、
自派が優位になると見れば、今度は別な派と組み残りの一派を攻撃したりします。
建前を上手に駆使しホンネを実現させてゆく絶妙のロジックこそ、この小説の最も
面白い部分で、作者もかななりの頁数をさいています。
後半のハイライトは原告である家族側と被告の財前・浪速大学側との法廷での
やり取りです。ここでも、医療事故に対する法廷でのロジックがとても面白いと
思います。小説では大きな頁数をさいているこうしたロジックの構築
展開を、TVドラマでは最も退屈な部分とみなし、
おそらくほとんど扱わないと思われます。
ところで、この小説に出てくる人物で最も魅力的なのは誰でしょうか?
主人公の財前五郎でしょうか?それとも財前と同期で真摯に医学を追求する里見でしょうか。
あるいは、孤高の医学者大河内教授、英国紳士然とした東教授、世渡り上手鵜飼医学部長、
財前の義理の父親財前又一、財前の腰ぎんちゃく佃医師、骨のある金井講師、
執念の関口弁護士、”改革派”のボス野坂教授、あるいは医療事故で失った夫の仇に
執念で挑む佐々木よしえでしょうか?
それは財前又一です。
又一は、後継ぎに恵まれず、貧乏学生だった黒川五郎を一人娘と結婚させ養子に迎えます。
若き日の財前五郎も、大学で教授にまで上りつめるには、医者としての知識・技量や人望・人脈だけ
ではまだ足りないものがあることを承知していたのでしょう。
一方の財前又一は、大学の医師に嫉妬、羨望を持ち続け、養子の五郎にその夢を託します。
五郎を養子にしたのは投資である、とまで公言します。
そして、投資資金を得るために行っている産婦人科の仕事を侮蔑的な表現をします。
「今日も溝(ドブ)さらえを3件をやった」等と。
なお、医師の世界にはいまでも明確な序列があります。大学 → 公立病院 → 開業医 の順で
ステータスが下がります。大学でも私立より国立が高く、国立の中でもまたステータスが分かれています。
この序列からすれば、最低の医者とは開業医に雇われる者ということになります。余談すでが、渡辺淳一氏
が小説家の駆け出し時代に、この身分になって「俺もここまで落ちたか…」と嘆いたものでした
さて、最期に財前又一の言葉です。
「…金がうなるほど出来ても、淋しいもんや。わしみたいに自ら大阪の町人医者と割り切って、
それに徹しているものでも心淋しい、人は金ができたら、次に名誉が欲しなる、
人間の究極の欲望は名誉や、
名誉ができたら自然に、金も随いて来るけど、金はどこまでもただの金に過ぎん…」
「ほう、品位?そんな一銭にもならんものまで、欲しがりますんか?」
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