(02.09.21)

数学嫌いな人のための数学 小室直樹 著 東洋経済新聞社:2001年初版:下写真は2001年第3刷

「数学の本質は論理である」と一見あたりまえのことをいい、政治、経済、法律、哲学、果ては神学にまで 話題が及ぶ。一癖、二癖、三癖もある小室センセイの怪著でありまた快著です。 また、この本を小泉首相に一読を薦めます。FLが思うに、 「構造改革なくして成長なし」は必要条件と十分条件を混同しているようですよ。

 数ある学問の中で、数学ほど比類なきほど磐石な土台の上に、壮麗に構築されている 美しい建物はないと思っています。科学分野の物理学以上に完全性を持った学問ではないかと 思います。

 土台があやしい学問は、例えば経済学です。経済学は物理学と同様の手法で、物事の末枝を 取り去り、本質だけを問題にするところから出発します。一例として、物理学では、 時にまったく空気抵抗のない力学モデルで 理論を構築します。次にそれを元にして空気抵抗を考慮し、理論を補正して真実 のふるまいに近づきます。

 経済学でも、例えば人々が完全に経済的に合理的な行動をとる「完全市場」を仮定し、 需要と供給などの理論を構築します。しかし、そのような完全市場はこの世のどこにもありません。 どこにも存在ないモデルから出発し、検証実験も出来ないのですから、 経済学はそもそも土台があやしいことになります。

 一方、物理学の「空気抵抗のない力学モデル」は宇宙の99%以上の場所で古典力学的に完全に成り立ち、 今では検証実験も出来ます。地球の大気圏のような例外的に抵抗のある場所では補正をします。

 法学なども相当に怪しい学問だな、と感じます。国会議員の過半数が 手をあげれば、独裁者がこうしろと言えば、どんなに矛盾が大きくても法は法になります。「法の体系」 なるものも、人の都合で 簡単に変わるもので、その解釈しだいでどうにでもなるように思います。もっともらしい 理屈を言われても、根本的な疑いは晴れず学問としての美しさは感じません。

 物理学では、皇帝だろうと教皇だろうと、その法則を変えることができません。 ヒットラーの様にユダヤ人が作った学問の書物を焼き捨てるぐらいがせいぜいです。 自分が鳥だと信じても、ビルの上から飛び降りれば、王様も乞食も、麻原ショウコウも物理の法則通りに、 必ず下に落ちます。


 しかし、その物理学も他の科学も、数学の「不完全帰納法」的な考え方からは、「土台が怪しい」学問に 貶められてしまいます。完全な帰納法は数学だけが唯一持っているそうです。

 物理学を含む科学の理論では、例えばキリストが復活したとか、水の上を歩いた、 海が2つに割れた、といった聖書の 話が事実ではないと完全に証明することは出来ないというのです。むろん光速度不変の原理も 証明できず、したがって相対性理論も正しいかどうかわからないいう、驚くべき 結論にになります。


 その他では、「(一般相対性理論に使われる)非ユークロット幾何学は、ユーグリットの第五公理の正しさを 背理法によって証明しようとして生まれた」とのくだりには、20年ぶりで目の鱗がとれました。

 あるいは、「マルクス主義者は、必要条件と十分条件を混同し、ソビエト連邦の実験に 失敗した」との大胆な仮説には驚きます。

 この「数学嫌いな人のための数学」は乱雑な話題に満ちているようで、見事な論理の 調和に貫かれた、小室直樹氏の怪著です。小泉首相にも一読を薦めます。FLが思うに、 「構造改革なくして成長なし」は必要条件と十分条件を混同している ようですよ。



(02.09.15)

エリザベート 塚本哲也 著:文型春秋:1992年初版:下写真は1993年第18刷

 パプスブルグ帝国の黄昏の時代、最後の皇女として生まれたエリザベートの 生涯を綴ったノンフィクション。 ウィーン、プラハ、ブダベストをめぐる美しく、悲しい叙事詩です。

 10代の終り頃からFLはロックやJ-POPよりも、クラシック音楽を愛好するようになりました。 誰の影響を受けた訳でもなく自然にヨーロッパの古典音楽に熱烈に傾倒していきました。

 中でもハプスブルグ帝国の影響下にあった作曲家は魅力的です。
ミューズの神そのものと言える光と翳が交錯するモーツァルト、真の革命家ベートーヴェン、 リートの夢想家シューベルト、 ウィーンPOPのヨハン・シュトラウス、魅惑の誇大妄想狂ワグナー、 渋く哀しいブラームス、 宇宙に突き抜けたな内面世界をもつブルックナー、人気絶頂、死の作曲家マーラー、 第一級のニセ者リヒャルト・シュトラウス、音楽を「音が苦」にしてしまったシェーンベルク、 等。

 その他にも帝国内で育ち、長ずるに及んで帝国外に出て活躍した作曲家としては、
ボヘミア出身の旋律の天才ドボルザーク、我が祖国のスメタナ、 ハンガリーの名人リスト、鋭敏なバルトーク等、 枚挙にいとまがありません。 

 これらの作曲家は500年以上も続いたハプスブルグ帝国の最後の花とも言うべきでしょう。 歴史を遡っても大帝国中で、軍事や経済よりも音楽、文学、、絵画、建築等の文化を 重視したのはハプスブルグが随一ではないかと思います。


 エリザベートは帝国の末期に皇女として生を受け、やがて帝国は崩壊分裂、 後にヒトラー、スターリン等の 独裁者に生涯を翻弄されました。数々の苦難が襲いかかる中、皇女としての誇りを失わず、 毅然と生きたエリザベート、1980年代に元の帝国がソ連から開放されるのをどんな思いで 天国から見ているのでしょうか。

 その後、チェコスロバキアが二分し、ユーゴスラビアが再分裂しました。 民族の独立を旗印に国が分解し、小国に転落してしまって本当に幸福なのかと エリザベートは思っているのではないでしょうか。

 小さな国が隣接する大国の思惑に運命を左右されるのは、今も昔も歴史的な事実だからです。 ハプスブルグ帝国の要諦国、オーストリアもまだエリザベートがこの世にあった第二次世界大戦後、 ソ連と西側の間で小国としての辛酸をなめさせられました。

 自由化運動である「ハンガリー動乱」や「プラハの春」が共産主義側に切り離された ハプスブルグ帝国の中心都市、ブダペスト、プラハで起ったことも象徴的でした。


 最後に、「ボーダレス」なのはインターネットの世界だけで、良いかか悪いかは、意識するかしないかは 別として、今も昔も個人の大きな命運はほとんど国家が握っていると断言できます。 日本の国も、行き先を誤らないようにしなければなりません。現在は日本にとってまさに分水嶺です。 しっかりしてください、小泉首相



(02.08.03)

左 野口英世 奥村鶴吉 著:岩波書店:昭和八年初版:下写真は昭和14年第八刷
右 遠き落日 渡辺淳一全集第七巻:角川書店:平成八年初版

 渡辺氏の小説は奥村氏の伝記の現代版と考えていいようです。奥村氏は野口と日米で直接交遊が あった人らしく、会話など非常にリアルに書かれています。しかしその伝記は 「真面目な時代」に書かれてTいますので、「女性」という視点だけが欠落しています。 そこに目をつけたのが、「女性」を得意とする渡辺氏、とっても面白く笑え、迫力があり、感動があり、 勇気づけられ、また淋しい小説です。

 新札に野口英世が登場します。野口はお金に関してはいわくつきの人です。 この人は東北の貧乏農家に生まれ、幼いときに火傷をして左手が使えず、 苦労して大学者になった、と少年物伝記にはありますが、 実際にはお金を使いまくった人だったようです。

 貧乏なのにお金を使いまくるには、借金をしてそれを返さないしかありません。野口は借金の天才 で、彼に懇願されるとみんな魔法の様にお金を貸してしまったそうです。 お金が返ってこないと分かっていても、 今この男に貸しを作っておけば後に何かメリットがあるのではと思わせるほど、何かやりそうな オーラを秘めたタイプだったらしい。

 ある人は給料日に野口を待ち構えて返してもらおうとしました。よし今日返すから飲みに行こう、 と誘われついていったら、飲み屋をはしごして最後は妖しげな店に行って有り金すべて散財し、 すまん君に借金を返せなくなってしまった、と謝られてしまったそうです。

 野口にはそんな話が100回も200回もあったらしい。中国に派遣された時も当時としては非常に高額の 仕度金を1日で使ってしまい、あわてて借金をしています。渡米する際も、ある資産家の娘と 婚約しその資金を得た。米国に渡ってからその娘との婚約を一方的に破棄しても渡米費用は 返しませんでした。

 こんな調子ですので、米国で一流の学者になり高額所得者になっても一向にお金は 溜まらず借金もほとんど返していません。賭けポーカーをやれば、よい手がくると得意 満面になり、悪い手だとシュンとするので、勝負にならず大金を巻き上げられたそうです。 野口はなんだか面白い怪人物だったらしい。

 どうも野口は手元にお金があると不安になるたちだったらしい。こんな野口英世をお札に する政府日銀はどういう魂胆があるのでしょうか。「666兆円の借金は返さないよ」とのメッセージ なのかも知れません。あるいは借金しても金を使いなさいと言うことかもしれません。


 さて、肝心の細菌学の研究ですが、これはもう他の研究者の10倍も努力したようです。 「人間ダイナモ」「24時間人間」のニックネームどおり、研究に対する態度の厳しさも並外れて いて、キチンと業績を残すタイプでした。

 また「野口の紹介があれば米国大統領でさえその客と会わないわけには行かない」といわれたような、 日本人最初の国際人でもあったようです。マスコミの使い方も上手で、研究に関する センセーショナルな話題を当時のアメリカ社会に提供していたようです。

 現代の日本で、こんな無茶苦茶な男はたぶん表社会からは葬られてしまうでしょう。 古き良き米国だったからこそ、野口は世界的な名声を得られたのかもしれません。