(20.08.09)


7タイプ別 交渉術  谷原 誠 著 秀和システム  2020年4月30日 初版



 私は人間関係が苦手です。 「苦手」というと、頻繁に人と対立する、人間関係に悩んでうつ病になる、 みんなにシカトされる、友達がいないので休日に一人を持て余す、 等ということを想像するかもしれませんがこれらはいずれも当たっていません。

 「苦手」というよりむしろ「関心がない」という表現が私の場合当たっているかもしれません。 まず人の顔や名前が正確に覚えられません。 5回も10回も会って初めて顔と名前が一致するのがふつうです。 特に最近はみんな「コロナ対策マスク」をしているので顔もわからなくなっています。 人間関係の第一歩は相手の顔と名前を知ることなのでさらにまずい事態です。

 職場でもプライーベートでも、

私を知っている人 > 私が知っている人

 という不等式がずっと成り立っているように思います。



                      




 かつて今太閤と言われた故田中角栄元総理は、多くの人の顔や名前を記憶できたそうです。 数年ぶりに偶然会ってもすぐにその人のフルネームを思い出すことができたそうです。 それどころか、その家族や友人、上司、部下の名前まで覚えていたそうです。 政治家、官僚、支持者、庶民まで一度田中氏に接した人はたちまち氏のファンになったと言います。

 そのライバルだった故福田赳夫元総理は、田中氏ほど人に関心がなかったので多くの人の名前を記憶できませんでした。 そこで福田氏は以下のようなテクニックを使っていました。

 顔と名前が一致しない人には、
「やあ、キミの名前は何だったけ?」
「佐藤です」
「いや苗字は知ってるよ、佐藤クン。僕が知りたいのは名前の方だよ」

 このテクニックは目上の人には使えない欠点がありますが、 人の上に立とうとする人はみんな努力しているのです。 私もこれはまずいと思って人間関係の本をたまに手に取ったりします。



 さて、この「7タイプ別 交渉術」は人を、
・損得
・成功
・快楽
・勝敗
・人情
・論理
・平和主義
の7つに分けてそれぞれ異なった接し方をするいうものです。

 しかし、これまで長く付き合った人たちの性格や行動、言動を思い出してこの7つのうちどれに当たるか考えてみましたがどうも不調に終わりそうです。 よくわからないのです。 (ちなみに私自身は「損得」か「論理」ではないかと思います。どうでもいいことには「平和主義」です。)



 また、この本には「人は自分で決めたことは喜んで実行する」とありますが、 これも場合によっては考え物です。私には以下のような体験があります。

 その上司は仕事の際、部下に考えさせ案を出させ実行するという方法を好んでいました。 「人は自分で決めたことは喜んで実行する」という上記の原則をどこかで知って、 仕事の効率を上げるためにそれを職場で実行していたのでしょう。

 ところがその上司は部下の案が自分のそれと一致しないと首をタテに振らないのです。 私の案も多くの場合却下でした。 そのうち私も含めてみんなは、自分のやりたいことではなく上司はどのような案ならば採用するのだろう、 と考えるようになりました。

 上司の考えと一致するまで案を考えなくてはないらいので仕事の効率はかえって落ちてしまいます。 それに疲れた私はある時、 「効率が悪いので、あなたの考えを最初に話してください」 と提案しました。 もちろん、この提案は却下されました。



 もう一つの原則として「相手を否定しないでまずは同意する」とありますが、 これも常によいとは思えません。再び私の体験を書きます。

 私の話にすべて同意する人がいました。 私は本心が見えないので気持ち悪いと感じました。 ある時、その人に矛盾する二つの話をしました。 その人は二つに同意した後、少しして「エッ?」とした顔になりました。

 考えてみれば、私がすべて同意するのはそれらの案件もしくはその人がどうでもよい場合です。 私はすべて同意されると相手から軽く見られた気分になります。 ですから、私はどうでもよくない案件とか、これからも付き合っていきたい人の話には直ぐ同意せず時には否定から入ります。



 人間関係が苦手な自分について、たまに悩みこんな本を買うこともあります。 しかし、やっぱり自分には当てはまらない、無理だ、と思いまた無関心になります。 そのようにして人生三分の二を過ぎてしまいました。







   



(20.04.12)


ベートーヴェン闘いの軌跡  井上和雄 著 音楽の友社  1988年7月20日 初版



 買って32年間そのままにしてあった井上和雄著「ベートーヴェン闘いの軌跡」やっと読みました。 と言うか、今やっと読めるようになりました。



                        








 冬は不活発になるので音楽をじっくり聞くのに適しています。 今冬はベートーヴェンの16曲の弦楽四重奏曲を重点的に聞きました。 演奏者を変えながら何度も何度も聞きある程度親しんでからミニスコアで音符を追ったり、 またいくつかの解説を読んだりします。 その中で一番親近感を思えたのが井上和雄著「ベートーヴェン闘いの軌跡」です。

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、特に後期の5曲は昔から「神秘体」とも称され、 何か容易に近づき難く特別に選ばれた人間でなければ理解できない世界が広がっているようなイメージでした。 その弦楽四重奏曲と作曲家ベートーヴェンの心の軌跡の解明に挑戦したのがこの本です。

 なお著者の井上和雄氏は著作当時アマチュア弦楽四重奏団「ブタコレラ・クァルテット」で第二ヴァイオリンを担当しています。 同クァルテットで演奏可能なのは全16曲のうち初期の6曲、 中期の「ハープ」で残りは「サマにならない、または歯が立たない」とのことです。



 さてベートーヴェンの作品群は弦楽四重奏曲に限らず「初期」「中期」「後期」と分けられます。 作曲した時期はもちろん、意味内容ともはっきりと分類できます。 交響曲でいえば、第一〜二番が「初期」、 「エロイカ」〜第八番が「中期」、 第九番が「後期」です。

 特に著名な第五、「田園」、七番もみな「中期」で、 他のジャンル例えば、ピアノソナタ、ピアノ三重奏、チェロソナタ、オペラ等、 傑作群は「中期」に集中しています。



 「ベートーヴェン闘いの軌跡」において井上和雄氏がは後期の作品に対して他に見られない独自の論を張っています。 一言でいえば、「ベートーヴェンの後期は作品の構成に破綻が見られる」とのことです。 私はこの論に同意したくなります。

 後期5曲の弦楽四重奏曲の直前には今日最も人気が高い「第九」が作曲されています。 第九は終楽章に4人の独唱と合唱が配置され、 しかも人類愛が高らかに歌われています。 クラシック音楽を普段聞かない人でも感動できる部分です。

 私は「第九」の第3楽章までは非常に素晴らしいと思っています。 しかし終楽章は、 それまでの音楽を大幅に凌駕する画期的なものであることは認めますが、 私は作品としては成功とはいい難いと思っています。 この楽章は接続曲であるので当たり前ですが全体としてきわめて強引で散漫な印象を受けています。

 井上和雄氏も第九の終楽章は構成に弱点があり、 それは後期の弦楽四重奏曲にそのまま受け継がれていると書いています。 一例をあげれば第十五番イ短調の第二楽章です。

 この楽章のトリオは第二ヴァイオリンのアルペジォに乗って第一ヴァイオリンが休止符をはさみながら非常に高い単音を奏でます。 それはまるで太陽の光にキラキラ輝く水晶のようなこの上なく美しい楽想です。 ところが一転、 (141小節の3拍から)第二ヴァイオリンは一拍早い3拍子の四分音符から成る和音に変わり、 最初に第一ヴァイオリン次にヴィオラが八分音符から成る流麗な旋律を奏でます。

 井上和雄氏はこの唐突な変化の意味や両者の関係がまるで分らないと言います。 これは一例ですが他の四重奏曲にも唐突な変化が多くて構成の破綻が見られ、 最後の第十六番ヘ長調に至っては創作力の減退さえ感じるそうです。



 この本を著した時著者はまだ40代であり、ベートーヴェンが後期の弦楽四重奏曲を作曲した年齢に達していません。 本の中でも「後期」について書いたことだけはもしかしたら間違っているかもしれないと言っています。 「後期」を断定するには著者は若すぎるということです。

 井上和雄氏は今年81歳です。 「後期」に対する見解を聞きたいです。



 



(20.02.01)


ショスタコーヴィッチの証言  S・ヴォルコフ 著 水野忠夫 訳 中央公論社  1980年10月30日 初版



 学生時代に買って約40年間そのままにしてあった「ショスタコーヴィッチの証言」やっと読みました。 と言うか、今やっと読めるようになりました。 (本書は偽書ともいわれていますが、以下ではその点に関しては触れないことにします)



                        








 ドストエフスキーの、例えば「カラマーゾフの兄弟」を読んだ時も同じように感じたのですが、 本書においても文章の流れをつかむのに苦労しました。 ロシアものはみんなこのようなものなのでしょうか?

 カラマーゾフでは、突如としてこれまでとは無関係に思える会話が長々と書かれたりします。 その会話がこれまでの主題の補足なのか、比喩なのか、あるいは新たな展開なのかが全然わからないまま読み進めることになります。 若き日の私にとってはそのストレスが大き過ぎてカラマーゾフは途中で挫折したのでした。

 本書「ショスタコーヴィッチの証言」にもそのような個所が多くみられます。 ショスタコーヴィッチの心情が綴られているのに、突如として別の人物のエピソードが長々と書かれているのです。 先の心情とエピソードの関係がわかることもあれば全然わからないこともあります。

 そうした読みにくさはあるものの、本書はショスタコーヴィッチに興味がある方には必読だと思います。 彼の交響曲や協奏曲、室内楽、オペラなど著名な楽曲を知ってから読むべき本だとも思います。 私の場合、そうなるまでの時間が約40年だったのでした。



 1930年代、ソ連で大ヒットしたオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を聞いたスターリンが激怒したことをきっかけに、 若きショスタコーヴィッチは当局から睨まれ、作曲家としての生命のみならず文字通り命の危険にさらされます。 そのピンチをどう逃れたのか?

 それは神から祝福された音楽の天才と、暴力と策略で国民を自在に操る狂気の独裁者とのギリギリの攻防でした。 スターリンによる粛清からからくも逃れ生き残って、 交響曲第5番で鮮やかな復活を遂げたショスタコーヴィッチの心情がこの本には生々しく描かれています。

 この部分は本書の白眉です。



 またショスタコーヴィッチの音楽には多くの誤解があるとも述べています。 例えば最も著名な交響曲の一つ、第7番「レニングラード」です。 これはナチスドイツが古都レニングラードを包囲し最後にソ連軍が勝利した戦いを描いていると今でも解釈されていますが、 本書によればそれはまったくの誤解だそうです。

 本書によれば、ショスタコーヴィッチは頭の中で曲が完成してから初めてスコアを書き下すそうです。 第7番「レニングラード」の場合、構想が浮かんでから頭の中で作曲するのに数年もかかったようです。

 つまり、曲の構想や作曲段階では第二次世界大戦はまだ始まっていませんし、 その時点で西からヒトラーが攻めてくるとはショスタコーヴィッチは夢にも思ってもいなかったそうです。 交響曲第7番の初演後、ソ連当局がナチスとの闘いを描いた愛国的な交響曲であると解釈をし、 今でもそういうことになっているとのことです。

 この「誤解」は当局から睨まれているショスタコーヴィッチにとっては「政治的に都合がよい」ことは言うまでもありません。 しかし芸術家としてのショスタコーヴィッチは、大きな声では言えないものの、馬鹿げていると思ったに違いありません。



 真実は藪の中ではなく、音楽の中にあります。