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(15.11.14) デューン 砂の惑星 1〜4巻 (Dune) フランク・ハーバード 著 翻訳:矢野徹 カバー・挿絵:石ノ森章太郎 ハヤカワSF文庫 1972年12月31日初版 「砂の惑星」はSF(Sience Fiction:空想科学物語)です。 しかし、SFはすべて子供・少年少女向けとバカにしてはいけません。 この「砂の惑星」は驚嘆するべく構成力と、確固とした世界観と、濃密なディテールと、 詩的ともいうべき陰影に富んだ一級の大河小説だと思います。 ちなみに「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」(ランダムハウス社)では、 この「砂の惑星」が14位に 入っています。このランキング、私が読んだことのある小説は… 4位: 「指輪物語」(トールキン) 16位:「異星の客 」(ハインライン) 19位:「ライ麦畑でつかまえて」(サリンジャー) 22位:「怒りの葡萄 」 (スタインベック) 24位:「風と共に去りぬ 」(ミッチェル) |
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小説の舞台は遠い遠い未来、大戦争(ジハード)の後の銀河世界。 古代のコンピュータにとって代わり各惑星政権の頭脳を担う、予知力さえもつメンターと言われるミュータントは、 メランジという天然の成分を含むスパイスを摂る必要がある。スパイスがなければ帝国の運営もギルド(宇宙教会)の宇宙航行もできないのだ。 宇宙で唯一、そのメランジを産出するのは惑星アラキスである。 アトレイデ家は銀河皇帝の命により、宿敵ハルコンネン家に代わってそのアラキスを統治することになる。 しかし、それはハルコンネン男爵とそれを操っている皇帝の策略だった。 アトレイデ公爵はアラキスで暗殺される。 アトレイデ家の一人息子ポウルとその母親のジェシカは、かろうじてアラキスの砂漠へ逃げる。 そこには巨大な砂虫がうごめき、砂漠の民と呼ばれるフレーメンが暮らしている。 一杯の水が人の血よりも貴重とされる過酷な世界である。 さて、ジェシカはベネ・ゲセリットという宗教的政治結社に属していた。 ベネ・ゲセリットは、何代もの遺伝子操作で「預言者」(クイサッツ・ハデラッハ) の実現を目指した組織である。 その預言者伝説は銀河にあまねくいきわたり、フレーメンの間でも信じられていた。 ポウルは砂漠で生のメランジを吸収して脅威の能力を覚醒、やがてフレーメンの統率者なる。 フレーメンはポウルこそ伝説の預言者だと信じたのだ。 やがてポウルは、フレーメンとともにハルコンネン家を倒して再度アラキスを支配、そして皇帝にも宣戦布告する。 しかし皇帝と言えど、メランジを押さえているポウルには抗せず、 やがてポウルは皇帝になる。 あらすじは以上の通り、これだけだと平凡です。 1984 年公開、デビッド・リンチ監督の映画は、このあらすじをなぞったようで面白くありませんでした。 この小説の神髄は映画にできないのではと思います。 ところで、この「砂の惑星」を最初に私が手にしたのは、おそらく中学3年か高校1年でした。 石ノ森章太郎のカバー・挿絵をみてこれなら読めそうだと思ったのでしょう。 しかし、読破はしたものの、当時の私の読書力ではこの本を楽しく読むことは無理でした。 例えば、1巻の冒頭の場面、少年ポウルがベネ・ゲセリットの魔女から 「ゴム・バシャール」と呼ばれるテストをされる場面があります。 このテストの不合格イコール「即死」です。ここで、以下の心理描写があります。 「恐怖は心を殺すもの。恐怖は全面的な忘却をもたらす小さな死。ぼくは自分の恐怖を直視しよう。 それがぼくの上にも中にも通過してゆくことを許してやろう。 そして通りすぎてしまったあと、ぼくは内なる目をまわして、そいつの通った跡を見るんだ。 恐怖が去ってしまえば、そこにはなにもない。ぼくだけが残っていることになるんだ」 意味がよく分からなかった。 「恐怖は全面的な忘却をもたらす」とあるが何の忘却なのだろう。 恐怖自体ではなさそうだ。 なぜなら、恐怖が通り過ぎた後、「そいつの通った跡を見るんだ」と言っているから。 「恐怖が去ってしまえば、そこにはなにもない。ぼくだけが残っていることになるんだ」と言っていることから、 恐怖によって全部が忘れ去られ、残ったものが「ぼく」だということなのか。 そうすれば、デカルトの「われ思う、ゆえに我あり」と似た意味になる。 しかし、ポウルはこの「ゴム・バシャール」の恐怖によって何を忘れたのだろうか? 「全面的な忘却」と言いながら何を忘れたか小説には書かれていない。 しかし、代わりにポウルは自らの未来について予見する能力を増したようだ。 それは、殺された「心」とどいう関係にあるのだろう? 分からない事だらけ。 しかし、なぜか分からないが、この心理描写には説得力があり、また勇気づけられる。 人生のピンチに陥って大いなる恐怖が押し寄せた時、余計なことは考えずにいわゆる「腹をくくる」ことが出来そうだ。 あるいはアトレイデ公爵が暗殺された後、 以下のような警句がある。 アラキスはナイフに対する態度を教えている −不完全なものを切り落とし、そして言う。 「さあ、これで完全だ。これで終わりだから」と。 唐突に書かれているこのような言葉をどのように解釈すればいいか? 小説の何処とどのような関係があるのか? 聖書やコーランの言葉と同じように、いくつかの異なった解釈が可能で、 それらが信者の人生に含みと豊かさを与えるように、 小説にちりばめられたこれらの警句はこの小説の読者に同様な効果を与えているようにも思えます。 冒頭にも書いたように、この「砂の惑星」は、 驚嘆するべく構成力(皇帝、各王家、ギルドやベネ・ゲセリットと権力、伝説との相互関係)、 確固とした世界観(宗教とエコロジー)、 濃密なディテール(戦いの所作、王家やフレーメンの慣習・儀式、砂虫とメランジ生成の秘密)、 その上に詩的ともいうべき陰影に富んだ一級の大河小説だと思います。 |
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(15.11.07) 狂王ルードヴィヒ(LouisU de Baviere) ジャン・デ・カール 著 中央公論社 1983年8月10日初版 19世紀後半、バイエルン王だったルードヴィヒ2世の謎めいた物語は、 21世紀の今でも依然として魅力に満ちています。「狂王ルードヴィヒ」を読んで、 バイエルン地方への憧憬が強くなり、ぜひ旅をしたくなりました。 ※なお、この本の原題はフランス語で”LouisU de Baviere”(バイエルンのルードヴィヒ2世)であり、 「狂王」は出版社が勝手につけたものと思います。 この題のは分かりやすいですが、同時に多くの誤解を招きます。 |
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ルードヴィヒ2世といえば、 なんといっても”ノイエシュヴァンシュタイン”(新白鳥城)でしょう。 この中世の山城を模したメルヘンチックな美しい建物に、今も多くの観光客が魅せられています。
ルードヴィヒが生まれた19世紀半ば、ヨーロッパ大陸には3つの大国がありました。 フランス共和国、イタリア王国、ハプスブルグ帝国です。 今のドイツにあたる地方には、いくつかの王国がありました。 ベルリンを中心とするプロイセン王国、ミュンヘンを中心とするバイエルン王国、 あるいはドレスデンを中心とするザクセン王国、 フランスとの国境にはアルザス-ロートリゲン公国、その他数か国です。 最も強大なのがプロイセン、次がバイエルンですがその国力の差は大きく、 代々の王は王国の独立維持に心を砕きます。 なお、「バイエルン」という地名はいまも残っており、例えばドイツの自動車メーカーBMWの’B’はバイエルンの’B’です。 ※'Bayerische Motoren Werke'(バイエルン発動機) 幼い時のルードヴィヒは夢想癖が強く、特にバイエルン地方に伝わる白鳥伝説に夢中でした。 長じては、その白鳥伝説をもとにオペラ「ローエングリン」を作曲したリヒャルト・ワグナーに夢中になります。 そして18才で王になったルードヴィヒの初仕事は、 革命を先導したとしてヨーロッパ中で逮捕状が出ているワグナーを自国に匿うことでした。 ※18歳のルードヴィヒは長身で痩躯、ため息が出るようなイケメンであるばかりではなく、 気品と威厳に満ち、はじめから王になるべく生まれてきたように見えます。 そこからワグナーとルードヴィヒとの奇妙で複雑な関係が始まります。 ワグナーにとってルードヴィヒとは、パトロンであり、金を引き出せる財布であり、友人であり、芸術への厄介な介入者でした。 また、ルードヴィヒにとってのワグナーは、崇拝の対象であり、愛人であり、20才以上年上のアドバイザーであり、 王国内でトラブルを起こす頭痛のタネでした。 ワグナーとルードヴィヒは仲違いをしては元に戻ったりしていましたが、次第に疎遠になります。 そうしているうちにルードヴィヒの行動に異常性が強くなっていきます。 例えば、オペラや芝居を見る際、国民から見られるのが嫌だといって、 王一人だけの観劇を生涯あわせて数百回も行ったりしたのでした。 きわめて贅沢で、そして淋しい観劇です。 また、中世の伝説やフランスのルイ王朝に憧れるあまり、 遠い過去の遺物である山城(ノイエシュバンシュタインもその1つ)や、 フランスを模した宮殿(しかし、ルードヴィヒは一度もそこに住まなかった)を建設させたのでした。 なんと有意義でロマンティッシュな無駄使いです。 ルードヴィヒは王としての政務に、はじめこそ熱心に取り組んでいましたが、 次第に疎ましくなり、やがては王宮のあるミュンヘンには寄り付かなくなりました。 郊外の森で狩をしたり、月の狂気に犯されて夜中に山中に出かけたり、 次第に昼夜逆転の生活をするようになりました。 孤独なルードヴィヒと心を通わせることができたのは、 従姉のエリザベート(愛称シシィ、オーストリア皇妃)だけだったといわれています。 やがてルードヴィヒは、陰謀によって王から引きずり下されます。 それから間もなくルードヴィヒは、ミュンヘン郊外のシュタルンベルグゼーの湖面に浮いているのが発見されます。 まだ40才台半ばでした。その死は今でも謎に包まれています。 この「狂王ルードヴィヒ」を手にした1983年、私はまだ学生でした。 当時の私の読書力ではこの本を楽しく読むことは無理、それから30年以上にわたって本棚の奥で眠っていました。 やがて時は満ち、高い枝に生っていた果実が熟して自然に落ちてくるように、 この本を読む機会が訪れたのでした。 もし仮に、私がルードヴィヒの立場だったら…、あり得ない仮定をします。 やはり、ルードヴィヒとほぼ同じことをすると思います。ルードヴィヒに強く共感します。 |
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(15.09.22) ウィーン楽友協会二00年の輝き オットー・ビーバ他 著 集英社新書ヴィジュアル版 2013年11月22日初版 ウィーン・フィル音と響きの秘密 中野雄 著 文芸春秋社新書 2002年10月20日初版 プラハ迷宮の散歩道 沖島博美他 著 ダイヤモンド社 2010年10月22日初版 今年ウィーンやプラハに旅をして以来、それらの文化に関する理解が実感をもって深化したように思います。 古(いにしえ)から現在まで、多くの先人が旅することを勧めるのがよく分かった気がします。 |
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ウィーンは昔も今も随一の音楽の都です。
まず何と言ってもウィーンは、
ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、シュトラウス親子、
ブラームス、ブルックナー、マーラー等が実際に住みついて音楽活動をした街なのです。
こんな街はウィーンの他はありません。他の都市が何を言っても黙らせる、水戸黄門の印籠のようなものです。 しかし、これらの大作曲家は偶然にウィーンに集まったわけではありません。 大作曲家の音楽活動を支えた重要な存在が、「ウィーン楽友協会」と「ウィーンフィル」、 音楽の都ウィーンの両輪かも知れません。 ハイドン、モーツァルトを除く上記のウィーン在住の大作曲家は、 この2つの団体の活動に深くかかわっていたのです。 ウィーン楽友協会は1812年に産声を上げた民間の団体です。1812年といえば、 ヨーロッパ中を席巻したナポレオンがロシアとの戦争で挫折した年に当たります。 一方、ウィーンフィルの創立は1842年ですが、 それ以前から王立の宮廷歌劇場(後の国立歌劇場)オーケストラという形で演奏活動をしていました。 ウィーンフィルは21世紀の今日でも、オペラを演奏する時は国立歌劇場のオーケストラであり、 コンサートの時にウィーンフィルになります。 また、ウィーンフィルのコンサートは、 ウィーン楽友協会が所有しているムジークフェラインザールを借りて行われます。 「ウィーン楽友協会二00年の輝き」は、ウィーン楽友協会の資料館館長オットー・ビーバの書き下ろしです。 歴史的価値がある写真や図が100点余り、ビジュアルで分かりやすい本です。 先のウィーンへの旅行ではムジークフェラインザールでのコンサートをきいたものの、 資料館までは足が廻りませんでした。 その分をこの本は補ってくれました。 「ウィーン・フィル音と響きの秘密」の著者は、ウィーンフィルのメンバーと個人的な付き合いがある中野雄氏です。 ウィーンフィルの独特の響きの真相、現代におけるその意義等、 深く肯いてしまう読み応えのある本です。 「プラハ迷宮の散歩道」を書店で見たとき、 なんて的を得たタイトルなのだろうと思いました。 そして掲載されている美しい写真によって、プラハの街の路地を歩いた感慨が鮮やかによみがえりました。 …夕方、狭い路地から見えるまるでお伽の国への入り口のようなボヘミアグラス屋さん。 旧市街広場のディーン教会の2つの尖塔の間から光を放つ早朝の太陽、 ヴァルタヴァ(モルダウ)にかかるカレル橋から見た旧王宮。 中世からそこでずっと動かない銅像。 プラハはあまりに美しい… プラハは奇跡だと人は言う。 何百年物間に多くの戦争が起こった。 それでも街は破壊されなかった。 中世の街並みがそのまま残った。 (「プラハ迷宮の散歩道」P.6より) 第二次世界大戦が始まる直前、プラハを首都とするチェコは戦わずしてヒットラーに占領を許してしまいました。 一説には、プラハの街を戦場にするのを避けるために降伏を選んだとも言われています。 真実は分かりませんがありそうな話です。 また、プラハに行きたい。迷宮を探検したい。 そのために、株式投資をがんばろう。 苦しいこともあるだろうが、がんばれる。再びプラハの迷宮を歩くために…。 |