(15.02.11)


お金持ちの教科書  加谷珪一 著  阪急コミュニケーションズ  2014年2月11日初版 



 「お金持ちの教科書」はジャスト1年前に出版された本です。当時はかなり話題になったそうですが、 私は1年遅れでこの本を知りました。これはいわゆるノウハウ本とはちょっと異なり、お金持ちの、あるいは、 お金持ちになる人の行動や考え方について具体的に書いてあります。





 「お金もち」の定義はいろいろあるでしょうが、その入り口は純資産(資産マイナス負債)が1億円と 著者(加谷珪一氏)は書いています。 これ以上の資産を持っているお金持ちは日本で150〜180万人だそうです。子供を除いて約50〜60人に1人、 学校時代の1クラス2クラスにお金持ちが1人いるかいないかぐらいでしょうか。これは納得できる数字です。

 そして著者の経験則によれば、その半分、つまり純資産5.000万円を越えれば、 その人の思考回路がお金持ちのものに変化し始めるそうです。 ここで私はハッとしました。現時点の私はまさにその段階に達しているのです。 著者にほぼ共感できる私は、お金持ちへの入り口、つまり純資産1億円が近いのかも知れません。



 この本で面白かったのは、お金持ちの、あるいは、お金持ちになる人の行動や考え方です。 それを自分に当てはめて、〇×で評価してみました。

 @お金持ちは腕時計に金をかける。

 × 私は腕時計をこの10年以上使っていません。 毎日の仕事では目の前に常にPCがあり、 プライベートでは常にスマホを携帯するので実用的な意味で腕時計はまったく不要です。 しかし将来、お金持ちの入り口に立ったらよい腕時計を買おうと思いました。

 お金持ちがいい時計をつけるのは、初めて会った相手がまずは腕に視線を落としてチェックすることが多いからだそうです。 つまり、よい腕時計は相手に対して言を要しない自分についての説明になるという訳です。 逆にいうと、お金持ちはよい腕時計の価値が分からない人とは会わないように心がけている人なのです。



 Aお金持ちは全部自分のせいにする。

 〇 不受理なことも含めて、結果についての責任はすべて自分にあると考えることです。 いちいち言い訳をしたところで状況が好転するわけではないし、そんな暇があったら次の作戦を考えた方がよい。 すべて自分で受け入れる、これは基本だと思っています。



 Bお金持ちは行列に並ばない。

 〇 私は気が短く、行列や渋滞が嫌いなので絶対並びません。 何時間も並んで何らかの商品を最初に手に入れたという満足感は分かるような気もしますが、 それはお金持ちになることとは無縁でしょう。 行列に何時間も並んで自分の資産にプラスになることがこの世にあるとは思えません。



 Cお金持ちは友達が少ない。

 〇 私の場合、知り合いは沢山いるのですが友達とよべる人はあまりいません。 私は心までサラリーマンに成りきっていないで会社の同僚とは共感度が低く、 また、芸術や文学が好きな人も周囲に少ないので、話が合う人が少ないです。 スポーツ関係でも付き合いは多いですが、友達という程でもありません。 いつも同じメンバーで「つるむ」のは基本的には嫌いです。

 著者によれば、お金持ちは自分と同程度か、それ以上のお金持ちとしか付き合わない傾向が強いそうです。 その理由は、一般人とは話が合わないし、そこから得るものが少ないからだそうです。 したがって例えば、純資産1億円でお金持ちの入り口にいる人は、日本人50人のうち49人の一般人は付き合う対象から外れてしまうので、 結果的に友達が少なくなるのは当然かと思います。

 そういえば思い当たることがあります。私の中学時代の同級生で従業員数十人の会社のオーナー社長 (お金持ちの入り口に入っていると推定)がいます。 彼は昔人当たりがよく、付き合いがいい方でしたが、今ではたまの同級会では決して2次会に参加しません。 また、雇われている身である昔のクラスメートの苦労話には共感せず、どこか冷たく話を聞いているだけです。



 D「使われる側」になってはいけない。

 × 心までサラリーマンになっていないと書きましたが、私は紛れもなく30年間も「使われる側」にいます。 進学する時、職業を決める時、小学校⇒中学校⇒高校⇒大学⇒院⇒就職(サラリーマン) 以外のルートを描くことができませんでした。無意識に「使われる側」になったと言えます。

 それはそれとして、もう過去のことなので、これからどうするかが問題です。 このまま「使われる側」に留まってはならないのです。





 なお、この本に書いてあるほぼ8割は、ここ↓で読むことが出来ます。それにしても、 このネットワークの時代に「本を出版する」ということの意味はなんでしょうか?

 http://kanemochi.kyokasho.biz/okanemoch

 このWEBSITEには、本にはない最近の話題、例えば「ピケティから何を学ぶか」なども読むことができます。





(14.07.06)


リヒャルト・シュトラウス 鳴り響く落日  田代 櫂(かい) 著  春秋社  2014年3月発行 



 バッハ、モーツァルトから始まり、 ブルックナー、マラーに至るドイツ + ハプスブルグ帝国の血を引く大作曲家の最後を飾るのが、表題のリヒャル・トシュトラウス ”Richard Strauss”です。リヒャル・トシュトラウスは1864年に生まれ1949年に没していて、今年2014年が 生誕150年にあたります。その前半生は後期ロマン派 の全盛期を、後半生は2つの世界大戦に荒れ狂う中を生き抜きました。







 リヒャルト・シュトラウス、 Who?

というところが大方の正直なところでしょう。シュトラウスの生前も、 「次はどんなワルツを作曲しますか?」という失礼なインタビューを受けたことさえあるようです。 「美しく青きドナウ」「ウィーンの森の物語」などのワルツで著名なヨハン・トシュトラウスと間違われたのです。 (ちなみにヨハンはリヒャルトより40年も前の生まれで、血縁関係はありません)

 リヒャルト・シュトラウスで一般的にポピュラーな曲は、映画「2001年宇宙の旅」のあの印象的な冒頭に使われ、 テレビのコマーシャルなどでもよく耳にする交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき ” Also sprach Zarathustra Einleitung ”」 のはじめの部分ぐらいでしょう。ドイツ +ハプスブルグ帝国の血を引く最後の大作曲家リヒャルト・シュトラウスは、 一般には幻の作曲家なのかも知れません。



 そういう私も、実はリヒャルト・シュトラウスあまり聞いていません。知っているのは、 何度か取り上げた私のもっとも偏愛しているオペラ「薔薇の騎士”Der Rosenkavalier ”」と、 それから「赤い薔薇”Rote Rosen”」「献呈”Zueignung”」など小さな宝石のような 魅力を持っているのいくつかのリート(歌曲)ぐらいのものです。

 新境地を切り開いた交響詩の数々は全集も持っているのですが、実はほとんど聞いていません。 「サロメ”Salome”」「エレクトラ”Elektra”」を頂点とするオペラの数々もトライをしたのですが、 いまだにその良さが分かりません。 あるいは室内楽などにも桂品があるようです。

 では私も含め、なぜリヒャルト・シュトラウスの良さが分からないのでしょうか?それは多分、 彼の音楽が非常に表面的な技巧が勝っていて内容が薄い印象を与えるからでしょう。
しかし、本当にそうでしょうか?
では、表面的な技巧が勝っていて内容の薄い音楽をするヘルベルト・フォン・カラヤンがクラシック音楽界では最も 人気があったのはなぜでしょう?どうもよくわかりません。



 さて、田代櫂氏の本著「リヒャルト・シュトラウス 鳴り響く落日」に見る作曲家の 個性は、彼の音楽から想像される通りのようです。本著から作曲家の個性にかかわるエピソード を以下に拾ってみます。

・聴衆に人気が出るように作曲することが重要…これは現代のポピュラー音楽なら当たり前のことですが、 芸術音楽では必ずしも一般的な考えではありません。シュトラウスが生きた後期ロマン派の時代はそう考える作曲家は少なかった し、第一次世界大戦後の新ウィーン派は、聴衆に理解されない音楽を作曲することに熱心でした。しかし、 このシュトラウスの考え方はモーツァルトにも似ています。

・職人的な作曲態度 …シュトラウスは一日の決まった時間に作曲に励み、締切をたがえたことはほとんど なかったといわれています。職人的といえば、膨大なシンフォニーを残したハイドン、 やはり膨大で多岐にわたる作品を残したバッハなどを思い浮かべます。 傍で子供が遊んでいてもかまわず作曲できたようで、これは雑談しながら作曲できたモーツァルトにも似てます。

・確固たる政治的思想がない …シュトラウスは自分の作品を発表でき、オーケストラを指揮出来て 満足な収入が得られれば政治は皇帝だろうがヒットラーだろうが何でもよい、という考えでした。 自国で戦争が起こっても、(どっちが勝ってもいいから)早く終わって欲しい、とも考えて いたようです。

・自分勝手 …作曲家のみならず成功者は全部自分勝手なのですが、シュトラウスの場合それを無防備に 表に出してしまうところが特異なのでしょう。たとえば、「サロメ」などのオペラで大きな収入を得た後、 インタビューで「弱者や貧乏人のことには関心がない」と発言しています。 あるいは「私がそこにいないときは(今困っていても)エジプト人はこの世界にいないと同じだ」とも発言 しています。



 しかし、私にとってその音楽同様、まだ分からないことがたくさんあります。 人生が続く限り、目の前に置かれた謎を解きながら進んでいきます。





(14.06.28)


わが青春のハプスブルグ  塚本 哲也 著  文芸春秋  1995年3月発行 



 今からジャスト100年前の今日、1914年6月28日、フランツ・フェルディナント大公(ハプスブルグ家の 皇位継承者)とその妻がボスニアのサラエボでセルビア人によって暗殺されました。 その1か月後の7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国(=ハプスブルグ帝国)はセルビアに宣戦布告し 第一次世界対戦が始まりました。 オーストリア=ハンガリー帝国はドイツのと組み、一方のセルビアには ロシア、フランス、イギリス連合が付き、4年間にわたる凄惨な戦に至ってしまいました。なお、日本も その年の8月23日にこの戦いに参戦しています。 アメリカは3年も後、戦がほとんど終わりかけた2017年4月に重い腰をあげました。







 ちょうど100年前に始まった第一次世界大戦は、その歴史的意義において、 あの第二次世界大戦を上回る影響をその後の世界に与えたと言われています。第一次世界大戦後に起こった出来事を思いつくままに あげても、その影響の大きさがうかがえます

 @650年続いたハプスブルグ帝国が瓦解した。
 Aロシアに共産主義の革命が起こった。
 B世界の覇権国がイギリスからアメリカに移った。
 Cヒットラー、スターリン、フランコ、ムッソリーニなど第二次世界大戦を引きおこす独裁者が生まれた。

 音楽が好きな人なら、それに加えて、
 D後期ロマン主義が終わり、コンテンポラリー音楽の時代になった。
 EアメリカにJAZZやミュージカル、映画音楽等のポピュラー音楽が勃興し、以後(少なくても商業的には) 各国で形を変えたポピュラー音楽が主流になっている。



 さて、「わが青春のハプスブルグ」の著者の塚本哲夫氏は、1950年代にウィーン大学に在学し、 以後も記者としてウィーン、プラハ等の旧ハプスブルグ領内に在住していました。 日本人がほとんど行けなかった時代に長期にわたって旧ハプスブルグ領内に住み、 またハンガリーなどの「東側」にも足を運び、 その重層的な歴史や文化を体験できた氏でなければ書けない現代への洞察がこの 本には横溢しています。

 氏の文からは、 「鳴り響く落日」後のハプスブルグ帝国への思いが、通奏低音のように聞えてきます。 例えば、氏はザルツブルグなら落ち葉の後木枯しが吹き始める晩秋が好きだと書いています。 悲しみを知っている方だと思います。



 さて、私事ですが、私はあと1か月後にザルツブルグに旅行します。 ザルツブルグは言わずと知れたモーツァルトの生誕の地で、 昔から今日まで避暑地としても知られています。 オーストリアのみならずヨーロッパ中からザルツブルグ人が集まるのなら、 そこで音楽祭をということで始まったのがザルツブルグ音楽祭です。第一次世界大戦後にハプスブルグ帝国が分断されて、 小国に転落してしまったオーストリアが、 音楽を愛したかつてのハプスブルグ帝国の威容を少しでも取り戻したいとの気持ちもあったのでしょう。

 かつてはフルトベングラー、トスカニーニをはじめ、次の時代のカラヤン、ベームも 棒を振りましたし、その後もその時代で一番光っているアーティストがザルツブルグ音楽祭に 参加しています。ザルツブルグで演奏することは、音楽家のステータスシンボルだった 時代もありました。

 しかし時は流れ、この音楽祭は俗化してしまって音楽的意味はほとんどなくなってしまった、と嘆く向きもあります。 ほんとはそうかもしれません。 でも、それは実際に行って見て聞いて歩いてから判断してもよいと思います。何よりも「今の」音楽を 楽しめればそれでよいと思います。

 現地では、いちばん愛すべき2つのオペラ、リヒャルト・シュトラウス作曲の「薔薇の騎士」、 そしてモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」を見ます。 他にウィーンフィルのコンサートもあります。 それから、地味な(実は極上のワインのような)室内楽などは当日券があるとの噂もあるので、ぜひ足を運んで みたいと思います。

 今回はわずかな期間の滞在ですが、かつてのハプスブルグ帝国の残照を感じることができたら 幸いです。また、モーツァルトがまったく完全に無視したザルツブルグの美しさも 目の奥に焼き付けてきたいと思います。そして、これがこの次の旅を作るきっかけとなれば と思います。