(08.11.02)


銀河鉄道の夜 〜校本 宮澤賢治全集  宮沢賢治 著  筑摩書房 1973年初版本 



 秋が深まってきて、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を聴いたり(朗読CD)、見たり(アニメ)、 読んだり(本)しています。 銀河鉄道の夜には、きわめて豊かなイメージが散りばめられています。 そして読むほどに不思議な光や音、香、触感が文章の 間から現れ、そして緩やかに緩やかに時間が流れてゆく、稀有な傑作です。

 宮沢賢治がこの「銀河鉄道の夜」を書き始めたのは、 1924年といいますから、時代はまだ大正時代です。あの時代に、このようなSFファンタジーが 東北地方の田舎で書かれたとは、瞠目に値します。







 朗読CD(2枚組:岸田今日子朗読: 新潮社)は主にクルマの中で聞きます。朝夕の通勤( 片道10分)と、片道90分ぐらいの外出 が月に1〜3度ぐらいありますので、その時に聞きます。1枚のCDは原則として1ヶ月聞き続け ますので、10回は繰り返し聞くことになります。

 そしてその10回ともに少しずつ違う小説のように思えるのです。 その10回とも新しい発見があるからでしょう。 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、それだけ豊かな イメージがあるファンダジーなのでしょう。



 アニメは、1985年制作の映画「銀河鉄道の夜」で、 監督:杉井ギサブロー、 原案:ますむらひろしのものです。ご覧のように、主人公のジョバンニとカンパネルラ は猫という設定です。それ以外は原作に忠実なアニメで、豊かな色彩と穏やかな時間が 流れる大人のファンタジー仕上がっています。

 私がこの中で好きなキャラは、「鳥を捕る人」です。 何か一癖ありそうな、ぞれでいて人が良さそうな謎の人物です。 そして、「銀河鉄道の夜」の中で、この人だけが何を意味するのか、いまだによくわからない のです。

 また、最後の方に出てくる不気味な「石炭袋」とは暗黒星雲のことでしょうか? このアニメではブラックホールのようにも見えます。 「銀河鉄道の夜」が書かれた頃は、アインシュタインの一般相対性理論が出てから 10年ぐらいで、ブラックホールのことは知られていたはずです。

 宮沢賢治は故郷の花巻と東京を何度も行ったり来りしていたようです。 理由は、東京の女子大に通う妹が病気になって見舞いにとか、 ある宗教に凝って家出したとか、肥料のセールスをするためとか、 いろんな理由があります。 そのため世界の最新の知識も得ていたようです。

 ちなみに、宮沢賢治が、最後の東京で 病に倒れた旅館は、今の御茶ノ水と神保町の間、ちょうど「カザルスホール」がある場所です。 チェロを愛した宮沢賢治ですが、その後にチェロの神様カザルスの名前が ついた音楽ホールができるとは偶然でしょうか?

 

 ↓に、ジョバンニが「天気輪の丘」で銀河ステーションに吸い込まれる直前の 実に美しく情緒のある描写、 そして、不思議な「プリオシン海岸」の場面も記しておきました。

「銀河鉄道の夜」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

五、「天気輪の柱」 から:

 ジョバンニは町のはずれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。
 そこから汽車の音が聞えてきました。

その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、
その中にはたくさんの旅人が、苹果(りんご)を剥いたり、わらったり、
いろいろな風にしていると考えますと、ジョバンニは、もう何とも云えずかなしくなって、 また眼をそらに挙げました。

 あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。
 ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、
がらんとした冷いとこだとは思われませんでした。

それどころでなく、見れば見るほど、
そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

七、「北十字とプリオシン海岸」から:

カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌にひろげ、指できしきしさせながら、
夢のように云っているのでした。

「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」
「そうだ。」
どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えて いました。

 河原の礫は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉(トパース)や、
またくしゃくしゃの皺曲をあらわしたのや、
また稜から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。

ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。
けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。

それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、
少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、
うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







   そして、「銀河鉄道の夜」ばかりではなく、他の宮沢賢治も読みたくなったので、 神保町にて、「校本 宮澤賢治全集」を手に入れました。この全集には、 世に出た作品ばかりではなく、完成できなかった作品や、落書きやメモの類まで収録 されていて、きわめて雑多な印象があります。それだけに、いろんな楽しみ方ができる 全集です。

 まだ全集をざっと眺めている段階なのですが、宮沢賢治はなんだかエイリアン のように得体の知れない人だったように思います。 そして、文学(歌、詩、童話、エッセイ、小説)ばかりではなく、 数学、科学、音楽、宗教、農業、グルメなど多くのことに興味を持ち、 まずは実践してみる、というタイプだったように見えます。

 そして生涯があまりに短く(37歳)、かつ病気がちだっために、興味を持ったことの ひとつも満足に成就できずに一生を終えてしまったように思えます。この15巻の全集 を残すほど励んだ文学でさえ、宮沢賢治は生前、無名の存在(出版した本が2冊) だったのです。

 





 (ご覧のように石油ショック以前に出版された全集は、りっぱな装丁です。 30年以上経た今でも古くなったりしません)







(08.09.06)


広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由  スティーヴン・ウェヴ 著  青土社 2004年 



 この宇宙に、地球以外の星に文明はあるのか? これは、人類がこの先もずっと存続していくことができるのか、と同じぐらい 重いテーマです。というのも、何百年後、何千年後、もし人類が続いているならば、必ず他の 惑星系へ移住するだろうからです。

 もし、他の文明があるとするならば、 なぜ彼らは今も沈黙を守るのか?彼らはいつになったら、我々の前に 出現するのか?もしかしたら、我々はこの宇宙で唯一の存在なのでではないか? そんな疑問に、現代の科学とイマジネーションを駆使して著者が答えます。







 スティーヴン・ウェヴの「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」の冒頭には こんなことが書いてあります。
”…1984年のことだった。プリストル大学を出たばかりで、夏休みをかけてエイチソンと ヘイによる「ゲージ理論入門」を読まなければならなかった…”

 ちょうど、同じ頃偶然にも、私も同じ本に悪戦苦闘していたのでした。 私は懐かしい感じで一杯になったので、その本を探そうとしました。しかし、 私は、社会人になってからは大学の専攻とはまったく違う仕事をしているので、 理論物理の本は今はほとんどが残っていません。

 どうせないだろうと探してみると、「ゲージ理論入門」は 書棚の奥深くに眠っていたのでした。入門書と言いながら大変難しく、 しかも図がほとんどなく、数式で埋め尽くされている その本、私はスティーヴン・ウェヴという著者に親近感を感じました。



 さて、この「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」では、 文明を持った宇宙人が、
@すでに地球に来ている
A存在するが、まだ連絡がない
B存在しない
の3つのケースに分けて、科学的イマジネーションを駆使して、 あわせて50の検証をしています。 そして、最後に著者スティーヴン・ウェヴの意見 (意外にも、彼の立場は…)を記しています。

 中には、「彼らはすでに地球に来ていて、ハンガリー人と名乗っている」などと いうユーモアのある検証もあり、楽しく読めます。あるいは、この地球の文明こそが、 ある宇宙人による巨大な仮想現実の世界にすぎず、我々一人ひとりはその中の 登場人物に過ぎない、などという戦慄すべきものもあります。詳しくは本を 買って読んでください。



 さて、私自身は@ないしはAの立場です。 なぜならば、我々だけが特別なものであると考えるのは、不遜だと思うからです。 しかし、Bの立場では、この地球の生命が誕生し進化するには、いかに多くの偶然(幸運)が 重なったのか、その確率が数億分の1もないことを主張します。

 しかし、私はこれに対してこう思います。数億分の1もないのは、我々人類とおなじような 文明が築かれる確率なのだと。別なところでは、別の数億分の1の確率に従って、我々とは 別な文明が築かれていると私は思います。中には我々と似ている文明も少しはあるし、 まったく違いものも多いでしょう。そして、 この宇宙は我々の科学やイマジネーションをはるかに 越えたものに満ち溢れていると思います。



 このページの冒頭で、「何百年後、何千年後、もし人類が続いているならば…」 と記しましたが、今の我々はどんなにイマジネーションをたくましくしても、例えば1.000年後の 世界を思い描くことはきません。それは逆に、1.000年前の人たちが、 今の世界をイメージできたかを考えると明らかです。

 1.000年前といえば、ちょうど源氏物語が著わされた頃です。 源氏物語の頃の言葉だけを使って、例えば先に記した「ゲージ理論入門」の中の 数式のみならず、言葉で さえも的確に書き表すことが出来るでしょうか?「まえがき」にある、
”ラグランジアンに基礎をおく相対性理論的な場の理論のしくみ”
なんて言葉をどうして説明できるのでしょうか?

 これと同じ類推をすれば、現在の我々の科学や数学では、1.000年後の科学や数学を 書き表すことは不可能であるし、その概念さえもまったく説明できないし、 イメージさえ出来ないと 思います。 現在の我々の科学や数学と、1.000年後の科学や数学の差はたぶん、 3歳児と大学教授以上だと思います。

 ましてや、地球外の文明が、どのようにして地球に来ているのか、 あるいは、どのようにコンタクトを取ろうとしているのか、 なぜ我々の前に現れないか、などという理由は、 まったくのイマジネーションの外、理解不能であると思います。



 そこまで言い切ってしまえば、「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」 のような本を書くこと自体がムダということになります。そして、この本は 現代科学に基づいて、せいいっぱいの想像をしたものと考えれば、その限界も知りながら 楽しく読むことができます。

 宇宙は私にとっていつまでも、イマジネーションの泉源です。もうすぐスイスのCERNで、 世紀の実験が行われようとしています。やや専門的ですが、Higgs粒子、超対象性粒子を 探す実験、そしてその過程で小さなブラックホールを人工的に作る実験がなされます。 この結果次第で、宇宙の構造に関する常識が一変するかもしれません。 「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」のうちの1つに近付くかもしれません。

   







(08.08.30)


天才の父 レオポルト・モーツァルトの青春  石井宏 著  新潮社 2008年 

反音楽史  石井宏 著  新潮社 2004年  

誰がヴァイオリンを殺したか  石井宏 著  新潮社 2002年  



 毎日毎日、しのつく雨を心地よく感じながら、 石井宏氏の本を3冊まとめて読みました。どれも読み応えがあって、すごく面白かったので 簡単に紹介します。どれも買って損はない本です。







 「天才の父 レオポルト・モーツァルトの青春」は、 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父親であるレオポルトの物語です。 本の帯にもあるように、レオポルトもまた若い頃から優れた人物で、 18世紀当時、1学年がわずか数十人だったザルツブルグ大学に入学しています。

 大学と名の付くところはハプスブルグ帝国(現在のオーストリア、ハンガリー、 チェコ、スロバキア、 イタリアの一部)にはウィーンとここしかなく、レオポルトはエリート中のエリートでした。 しかし、レオポルトは何かの間違いで大学を放校されて、当時最下層に近かった 楽士に転落してしまいます。



 ※この点に関して、「オーストリア散策」↓のPomfiさんからメールがありました。(8/09/06)
http://www.onyx.dti.ne.jp/~sissi/index.html

 レオポルト・モーツァルトの時代のハプスブルク帝国にお読みなった本の 記述よりもたくさんの大学がありました。古いところではこざらし2さんも ご存知のウィーン大学(1365年)よりさらに古いプラハ大学(1348年)もあります。

 で、その後のボヘミアとハンガリーはよく知りませんが、 オーストリアですとグラーツ大学(1585年)とインスブルック大学(1669年)が できています。また、ハプスブルク領イタリアではプラハやウィーンよりさらに 古いフィレンツェ大学(1321年)などもあります。 それから、 ザルツブルク大学の創設は1622年なんですが、レオポルト・モーツァルトの 時代のザルツブルクはまだローマ教皇領で、ハプスブルク家の領土ではありませんでした。 ザルツブルクがオーストリアに組み入れられたのは19世紀初めです。



 レオポルトの行く手を阻むのは、自らの低い身分に加えて、要職についている イタリア人でした。 なぜならば、当時はイタリア人こそミューズ(音楽の神様)に愛されている人たちで、 レオポルトのようなドイツ人は、どんなに優れていても一段低い存在とみなされていました。 しかし、それでもレオポルトは志を失うことなく、ポジティブに 生きていこうとします。

 そんなレオポルトに、ミューズはこれ以上考えられないほど「最高の贈り物」します。 そう、最高の贈り物は、天才中の天才ともいうべき息子、 ウォルフガングでした…



 「反音楽史」は19世紀から勃興した新勢力であるドイツによって、 書き換えられてしまい現在にいたっている音楽史に関する本です。 実際のヨーロッパの音楽の中心は、ルネサンスのイタリアに始まり、19世紀までは その中心はイタリアであり続けた、ということです。

 すなわち、バッハのバロック時代、ハイドン、モーツァルトの 古典(クラシック)の時代、ドイツ人の彼らはあくまでもマイナーな存在であり、 ヨーロッパを席巻していたのはイタリアの音楽家だった、ということです。 つまり、スカラルティ、ヴィヴァルディ、マルチェロ、タルティーニ、ペルゴレージ、 ボッケリーニ、チマローザ、ヴィオッティなどは、バッハ、ハイドン、モーツァルト よりも、ずっと活躍していた、とのことです。

 その事情は、ロマン派の時代になっても変わらず、19世紀には ロッシーニ、パガニーニ、ヴェルディ、プッチーニへと受け継がれていきます。 ロッシーニなどと同時代のベートーベン、シューベルトは、 ウィーンでさえマイナーな存在であり、彼らがいたウィーンは音楽の都どころか、 ベネチェア、ミラノなどのイタリアの都市よりは、 音楽的に「遅れた都市」でした。

 しかし、19世紀の中ごろになると、ビスマルクなどによってドイツの国力が 増し、それと共に重厚長大のドイツ音楽が勃興して、 ワグナーやマーラーまで行き着いてしまいます。その過程で、まずベートーベンが見直され、 ついでハイドンやバッハも見直されます。そしてそのうち、あたかも初めから ドイツ・オーストリアが音楽の中心だったような音楽史観が確立します。

 すなわち、音楽の源流はバッハにあり、ハイドン受け継ぎ発展させ、ベートーベンが革命を 起こし、さらにシューマン、ブラームス、ワグナー、マーラーなどの煌く個性が 音楽界を席巻した、その中でイタリア人はマイナーな存在、 という私たちにはお馴染みのストーリーです。 (モーツァルトはドイツ人にも忘れられた存在で、人気が出始めたのは20世紀の半ば 以降だそうです)

 また、交響曲と弦楽四重奏が最高の音楽で、協奏曲やオペラが一段低い音楽とされている のは、ドイツ人たちが勝手に創作したものだ、と石井氏は弾劾します。 この辺は、ヘーゲルの哲学などがからんでくる面白いところなので、これ以上は 記しません。

 また、芸術音楽(クラシック音楽)が20世紀になってまもなく空中分解 (新曲の聴衆を失ってしまった)してしまった理由、 あるいは第一次、第二次世界大戦が起こった理由も、示唆に富んでいます。 この辺は、本を買って読んでください。



 「誰がヴァイオリンを殺したか」は、最も興味深い本でした。 ここに書かれている驚くべきことは、本当なのでしょうか? もし本当だとしたら、私が愛好している音楽の大部分は、大したものでは ない、ということになります。

 19世紀までに演奏されていた楽器、特にバイオリンは、いまではすっかり改造 されてしまっていて、奏法も当時とはまったく違うとのことです。 バイオリンは本来、もっと美しい音色を出す楽器で、 近年はますますダメになってきているらしいのです。 そしてヴァイオリンのみならず、芸術音楽全体も20世紀に入ってこの「劣化」が進んで いると石井氏は主張します。

 これに関しては思い当たることはあります。 私が音楽を聴き始めたのは、まだティーンだった1970年代ですが、どうしてもそれよりも過去、 1960年代、1950年代の演奏の方が当時から好きでした。 そして、1970年代、1980年代と進むにつれて、演奏はつまらなくなっていきます。そして、 私は1990年頃から、新しい演奏を追うのをやめてしまっています。この先、 よい演奏家が出てくる見込みがないように思われるからです。

 すなわち、19世紀生まれの演奏家に感じるような深い情感を、20世紀生まれの 多くの演奏家から聞くことができなくなったからです。 理屈はともかく、私の感情や好み、あるいは美観が20世紀生まれの演奏家の大部分を、受け付けなかった のです。私は本能的に、19世紀の香りを求めたのです。

 「誰がヴァイオリンを殺したか」には、私が感じていた感情を、ある仮定を交えて 説明を試みています。これに関しては全面的には賛同はできませんが、これはぜひ 一読してみたい本です。