北海道1周&礼文島へ…一人でキャンプツーリング第2弾
〜後編〜

1995年7月19日 礼文島→稚内→留萌→然別湖

礼文島にまだまだ居たい気もしましたが、何分小さい島のため、1日で充分島内を見てまわれた為、翌朝のフェリーで稚内へ。礼文島の港では、ユースに泊まっているらしき人達が、オリジナル?の別れ踊り?をフェリーに向かって踊ってました。フェリーには、カモメが沢山群がり、人間から餌をねだっていました。連中は「かっぱえびせん」が好物らしく、ぽーんと投げると上手く空中でキャッチしてました。もっと慣れてくると、飛びながら指先からも持って行く様になってました(^_^;)

稚内からは日本海側の「オロロンライン」という道をひた走り南下しました。この道はとにかく何もない…。海岸線をひたすら1本道が続くだけ。あまりにも何もないので、燃料の事が心配になり、久々にあったSSで早めに給油する。そして、札幌との中間くらいにある「留萌」に到着。ここは戦争中、母親が疎開していた所らしい。今でも遠い親戚が住んでいるらしいが、モチロン会った事も無いし、名前もわからないので、街の様子だけ見てきました。

もうすぐ然別湖、という所で昨年に続き「キタキツネ」に出会いました。彼も餌をねだろうと出て来たようでしたが、あいにくレトルトしかないので「餌ないよー」と言いつつ写真だけはしっかり撮って別れました(^^)

1995年7月20日 然別湖→東雲湖(遊覧船にて)

然別湖では2泊して少しゆったり。何人かバイクでキャンプに来ている人が居て、その人達と遊覧船に乗って、然別湖の奥にある東雲湖を見に行こうという話しになる。船でたまたま乗り合わせた関東から来ていた女性グループも交え、東雲湖へちょっとしたトレッキング。



←東雲湖。左の大きい湖は早朝の然別湖。

1995年7月21日 然別湖→鹿追→富良野→札幌

然別湖を出て最初の町がこの鹿追。自衛隊の駐屯地の外から、戦車が見えたので写真を撮ろうとしたら、守衛所の人が「中に入って、乗っかってもいいよ!」と言ってくれた(^^)左が64式、右が74式。モスグリーンのジャンパーが軍隊っぽい?戦車・軍艦・戦闘機とか好きなんですよね。



←74式戦車上から。

今回のお目当ての一つ、富良野のラベンダー畑。このような観光目的のラベンダー園が富良野にはいくつかあるのですが、ここは無料。ここ以外は有料の所が多いようです。昨年は時期を逃したが、今年はこの為に早めに夏休みを取っただけに、まさに最盛期。バッチリでしたね(^^)ラベンダーのボディーソープなど、お土産をいくつか買って、札幌方面へ。

ここは滝川市付近(だったと思う)にある「日本一長い直線」。実に29.2kmもあります。でも、意外と街中なので、それほど感動的な場所ではないです。しかし、29kmも直線があったら、ゼロヨンし放題!って感じですよね〜。最高速にもチャレンジ出来るだろうし(^_^;)ただ、信号が無ければ、なんですけどね。

この後、札幌へ行ってまたビールを飲んでから、札幌郊外のキャンプ場へ。時間が遅く「もう、受付終わりだよ」とか言われつつも無理矢理入れてもらう(^_^;)まぁ、そう堅い事言わずにぃ、という感じ。

1995年7月22〜23日 札幌郊外→ニセコ→倶知安→比羅夫→函館→青森→東京

札幌郊外から中山峠へ。向こうに見える山が蝦夷富士こと「羊蹄山」。今日もいい天気ですね(^^)
ここは羊蹄山からの涌き水が湧いている「羊蹄のふきだし湧水」。ここの水をペットボトルに汲んで、お土産にしました。ここの付近では、売店でポリタンクなども売っていて、持ちかえる人が大勢いるようです。水はとにかく冷たくて、おいしいです。

「スキーの町」倶知安。スキー場の前まで行きました。いつか冬にスキーをしに来てみたいです。後ろの看板、よく見るとスキーの先端に雪ダルマが乗ってます。
今回この町に来たのは、以前父が何かでもらった土地がこの辺にあるから、役場に行ってどんな場所か探って来るように言われたからでした。広さは100坪ほど。役場に行って住所を言うと「原野」との事(^_^;)明確な区画などはわからないし、その場所はまだ開拓されていないので行っても分からないだろう、との話。とりあえず行っては見たもののやはり分からず…。坪3000円、という看板が出ている所もありましたが。
ここはニセコのスキー場の駐車場。バックの山は羊蹄山。蝦夷富士と言われるだけに、こうして見ると富士山そっくりですね。


←泊まれる駅「比羅夫駅」です。
函館に戻ってきました。ここでは北海道最後の食事を豪勢に?海鮮でいただきました(^^)この後は青森までフェリー。青森から東京までは東北道。今回の帰りは給油以外ノンストップで7時間半で戻りました。早過ぎ(^_^;)
東京に戻っても、東北道で冷えた体は、しばらく冷えて余韻を引きずっていました。